LIGIE.GRACE

OVER AGAIN 白84〜



白84

「ヒカル、大丈夫? この間からなんか変だよ?」
「うん・・・・」
葉瀬中の理科室件囲碁部室のこと。久しぶりにヒカルは囲碁部に顔を出したのだった。
最近ふさぎがちで口数も減ったヒカルをあかりが誘ったのだ。久しぶりの囲碁部はヒカルにとってホームグラウンドだと実感した。そこに居るだけで何となく気分が落ち着く。


「最近体調もあんまり良くないしね。」
「・・・・・この間の雨の時、傘なくて濡れちゃったからな。もう平気だから」
ヒカルは言い訳がましく言った。

母親があれ程気を使ったにもかかわらず、その後体調がすぐれない日が続いた。
といっても風邪をひいたというよりは、疲労がたまっていて抜けない感じだ。原因は名人との対局や、その後の緒方九段の追及のせいだと思われた。

そんなヒカルに三谷が容赦ない言葉を投げつける。
「要するにたるんでるんだよ。体調管理も仕事の内だろ」
「もう治ったってば! それにこの間の対局だって勝ったんだから大丈夫だ」
プロ最初の大手合は対局相手の塔矢アキラが欠席のため不戦勝。その後のプロ二戦目が数日前に行われたのだが、ヒカルは無事勝利を収めていた。
といっても対局内容は相手が前回通りに打ってきたので、負けるわけがなかった
最近での出来事を振り返ると前回通りだったり、違っていたりだ。

「やっぱり塔矢名人の引退発表がショックだったの?」
あかりが心配そうに訊いてきた。

塔矢名人の引退は、実現しないことを願っていたがこれは歴史通りになった。
ショックかと訊かれればその通りだが、引退は名人がその後のプランを含めて元々考えていたことだろうし、対sai戦の敗北はきっかけにすぎないことも分かっていた。
それでも囲碁界にとって四冠棋士のいきなりの引退宣言は事件だった。棋院は大騒ぎになっていたし、森下九段が本人と親しいこともあって、記事を読むと早速塔矢家へ訪ねて行ったそうだ。森下研究会でもこの先の日本の囲碁界を心配して皆があれこれ言い合っていた。
そんな中、ヒカルは外からその様子を静かに見ているしかなかった。
塔矢行洋はこれで終わらない。これから日本のタイトル戦を離れて、より自由な世界に羽ばたこうとしている。
今度もそうなるはずだ。なってくれなければ困る。



「それは関係ねェよ。囲碁界にとっては大騒ぎだけど名人には名人の考えがあるんだろ?」
「塔矢くん、これから大変だろうね」
金子も言葉をついだが
「アイツだってもう独り立ちした棋士なんだから。平気さ。」
とヒカルはあっさり断じた。
そこで碁笥の石をじゃらじゃらと触って遊んでいた三谷がぼやいた。
「塔矢名人ってまだ五十過ぎだろ? 年寄の桑原本因坊がまだ現役なのに、早すぎるんだよな」
「妖怪と一緒にされてもな・・・・・」
桑原本因坊。すでに人間とは思われていない・・・。
「てか、別に棋士をやめるとは言ってないし。碁はじーさんになっても打てるのがいいところだよ。うちのじーちゃんだって、まだ家で打ってるぜ・・・・・あれ?じーちゃん・・・」

そこでヒカルは動きを止めた。何かひっかかる。
何か忘れている。何だ?
椅子を後ろに傾けて、ヒカルは頭を捻った。
「ヒカル、椅子が倒れるよ。何やってるの?」
あかりが心配して声をかけたところで、ヒカルは大声をあげた。
「じーちゃんの家!」
「は?」
その場にいた全員が「?」という顔をした。
「じーちゃんの家のお蔵に泥棒が入る!」
「えええ?!」


“sai”のことが緒方にバレたことと名人の引退のことですっかり忘れていたが、そういえば数日後に祖父母の家の蔵に泥棒が入っていたことを、ヒカルは突然思い出したのだった。


「入ったの?」
「いや、これから」
「これからって何だよ」
「・・・・・・予言?」
時々ヒカルは予言(?)をする、という話を以前、金子は津田久美子から聞いていた。
これがそうか。金子が津田を見ると、彼女も頷いた。
本当にスピチュアル少年なのか?
三谷がすばやく突っ込みを入れる。
「蔵って、時代劇に出てくる蔵?オマエのじいさんの家には蔵があるのか」
「そう、庭にある」
「何だよオマエん家、金持ちか!!」
三谷にとっては、そこが重要事項らしい。童謡に黄金虫が金蔵を建てる歌がある位だから、蔵は富の象徴と思ったらしい。


そこで、自分が不思議発言をしてしまったということにヒカルはやっと気が付いた。
椅子を傾けるのをやめて座り直すと、尤もらしくに言い直した。
「金持ちじゃねェよ。だけど進藤家は昔からこの辺に住んでるし、じーちゃんの家は戦争中に米軍の空襲で焼けなかったから昔の蔵がそのまま残ってるんだ・・・ってお父さんが言ってた。家は建て替えてるけどな」
「・・・で。なんで泥棒?」
「さ、最近、えっと、怪しいヤツがよく歩いているって話を聞いた。絶対泥棒だって。オレはソイツを捕まえたい・・・」
「近所で被害が出てるの?」
「・・・・・これから出るんだってば」
「警察に言えばいいのに」
「警察は被害が出ないと動かないってテレビで言ってたぞ」
「不審者情報があればパトロールはしてくれるはずだよ」
ヒカルは困った。これから泥棒が入るのは事実なのだが、その前に不審者情報が警察に寄せられているか、警察のパトロールが回っているかなど知る由もない。


とにかく自分の祖父母の家に泥棒が入るなんて気持ちが悪いし、相続した品や思い出の品を盗まれて祖父が怒り、落ち込んでいたのも可哀そうだったし、片づけになっていいと言っていた祖母だって実は大切にしていた茶道具を盗られていた。
泥棒が入ると事前に分かっているなら、何とかしてやりたい孫なのである。



「よし、分かった。オレも行くぜ」
と言って三谷が立ち上がる。
「えっ?」
「オマエだけじゃ返り討ちになるだけだろ。愚かな泥棒に葉瀬中囲碁部の強さを思い知らせてやろうぜ」
「思い知らせる強さが違うんじゃないの」
金子の言葉に三谷は口の端をあげて答えた
「いいじゃないかよ。それに蔵って中がどうなってるのか見てみたいしな」
「・・・・そうねえ、それは私も見てみたい」
金子が突然賛成票を投じた。
学級委員でもある金子が参加を表明したので、驚いてあかりと津田久美子は顔を見合わせた。
「金子さん、いいの?」
「いいわよ。本当に泥棒が来るかどうかはともかく、現役の蔵なんてめったに見学する機会ないしね。社会勉強じゃない?」
優等生的前向きさ全開のコメントである。
それを見て他の部員の面々も次々賛成の手を上げる。
「よし、じゃあ決まりだ。いいな進藤」
「うそだろ・・・・・」
「みんな、がんばろうぜ!!」
「おう!!」
「・・・・・・・言っとくけど、蔵があったってフツーの家だからな!がっかりすんなよ」


にわか警備員の配置日は悩む必要はなかった。実際に泥棒が入った日は分かっていたからだ。
祖父母はその日は出かけているので、庭で張り込みをしていればよい。
むしろ家を空ける言い訳の方がめんどうくさかった。理由としては囲碁部勉強会ということで口裏をあわせることになっている。




そして当日。
この日集まったのはヒカル、三谷、夏目、金子そして小池の5人。
泥棒退治に女子が来るのは危険だと、藤崎あかりと津田久美子は来るのは禁じた。金子が混ざっているのは「私はお目付け役だから」という本人の主張のためだ。金子が来るというのを止められる男子はこの部に存在しない。

「わあ、本当に蔵だ」
夏目がヒカルの祖父の家の蔵を見るなり歓声を上げた。
ピクニック気分で集合したようにしか見えない囲碁部員達の能天気な顔を見ていると不安しか感じない。いっそのこと歴史が変わっていて泥棒が来なければいいと願うヒカルなのだった。
なかなか蔵を見る機会のない子供達ははしゃいでいた。注意しなければそのまま隠れん坊でも始めそうな勢いである。
「オマエ達、遊びに来てるんじゃないんだからな、分かってるんだろうな」
「わかってるって!!」
・・・・・とても楽しそうである。



前回事例の通りなら泥棒は母屋には侵入しない。古びた錠前だけしかない蔵だけに入り、適当に骨董品をさらっていっていた。

勝手知ったる祖父母の家のはずなのに無人の家の庭は何故だか不気味な感じがした。
これから泥棒が来るという予感のせいなのか。
庭への侵入ルートを考えて死角になる場所、すなわち母屋の壁際と縁側前の盆栽が乗った棚の下の二組に分かれて蔵の入口を窺う。
壁際チームはヒカル、三谷、夏目。盆栽チームは金子、小池の布陣だ。


「本当に来るのかなあ・・・」
体格が大きいために壁際チームに入った夏目が、家にあった野球のバットを膝にかかえて呟いた。
それに対して三谷が意地悪そうな顔をして言った。
「来るよな進藤。来なかったら、ただじゃおかねェ・・・。部員全員に放課後マック3回奢りだからな」
やはりそれはビックマックでしかもセットなんだろうか・・・、などと少々気が遠くなりながらヒカルは答えた。
「来るってば・・・・多分・・・。それより少し黙ろうぜ」

住宅地の夜は暗い。しかも聞こえてくるのは虫の声と近所の家のテレビから漏れる音くらいだ。話していないと少々怖いが、話声が聞こえると泥棒に警戒されるかもしれない。
「・・・・・・・」



それから20分程経っただろうか、玄関から庭へ通じる路地の方から微かな物音が聞こえてきた。
(うそ。マジで来たのかよ)
(どどど、どうしよう)
(本当に泥棒か?民生委員だったり、回覧板持ってきた近所の人じゃないのか)
泥棒らしい感じではない。会社帰りのサラリーマンのようなグレーのスーツを着た男だった。
だが、善意の隣人でないことは明らかだった。何故なら入ってきた人物は真っ直ぐ蔵の入口に向かうと鍵に何か細工を始めたからだ。
子供達が本当に現れた不審者に向かっていくか逡巡していたほんの1分にも満たない時間で、その不審者、恐らく泥棒は鍵をあっさり外して音もなく扉を開き、蔵の中に消えた。


「早っ!」
「おいっ、入っちゃったじゃねーかよ」
「ど、どうしよう」
最初に行動を起こしたのは三谷だった。壁際から飛び出すと彼は言った。
「どうしようじゃねえ!早く捕まえてあの鍵を外す技を教えてもらおうぜ!」
「・・・・・オマエは何をしにここに来たんだっ!!」
泥棒をというより三谷を追いかけてヒカルも駆け出す。
それを夏目がバットを構えながら、不安そうについていく。



そしてそれを見ていた盆栽チームの二人。
「大変だ。金子さん、僕らも応援に行きましょう」
隠れていた棚の影から立ち上がろうとした小池を金子が押しとどめる。
「ダメ、しゃがんで」
「えっ?」
「仲間がいる」
「・・・・!」

金子は、先程不審者が入ってきた路地の方を指差した。
何か動く影が見えた・・・・・。

「あいつら、何で一緒に蔵に入っちゃうかな。泥棒一人だったら閉じ込めて警察呼べば良かったのに」
金子がつぶやくと同時にその影が蔵に向かう。今度は紺スーツの男だ。
子供達が居ることを仲間に知らせてそのまま撤収してくれればいいが、ヒカル達が無茶をして怪我でもしたら一大事だ。
「小池君、ちょっと電話するから庭と蔵の様子見てて」
金子は命じると、ポケットから携帯電話を取り出した。



黒85

そして蔵の中。
勢いよく飛び込んだ割には、不審者が居る怖さと暗闇と淀んだ空気で動きがスローになった三谷である。
ひきつった笑いを浮かべながらヒカル達に顔を向け、小声で言った。
「・・・・・さっきのおっさん、居ねェな・・・この後どうする?」
何を今更!と言いたいヒカル達である。だが、ここまで来ては後に引くわけにもいかない。
懐中電灯をONにして辺りを照らす。
一階部分は古くなったタンスなどの家具の他、庭仕事の道具なども置いてあり金目の物があるようには見えない。泥棒が狙うとしたら二階だ。そして二階には・・・。
(佐為の碁盤がある)


前回、佐為の碁盤は盗られることはなかったが、一応無事を確認したいヒカルは階段に向かった。
「ええっ、進藤君、二階に行くの?」
夏目が小声で非難の声を挙げた。
「一階に居ないんだから二階に行くしかねェだろ」
ヒカルが言うと、三谷まで反対し始めた。
「いや待て進藤。本当に悪者がいたら危険があぶないぞ」
「・・・オマエ、本当に何をしに来たんだよ?」
ヒカルは言い捨てると、構わず階段を上がって行った。
「ああ、行っちゃった。」
三谷は、「ううう」と唸りながら暫く逡巡していたが、
「仕方ない。オレ達も付き合ってやるか」
と言ってヒカルを追おうとしたところ、背後から物音が聞こえた。
「・・・」
閉めたはずの扉が静かに開くのを見て三谷と夏目は飛び上がった。
「わあああっ!」
と、叫ぶと二階へ駆けあがった。



彼らが二階に上がると、進藤ヒカルが何か探し物をしている姿が目に入った。
どう見ても人を探しているようではない。
「進藤?」
「ないなあ、じーちゃん、どこかに動かしたのかな」
「おい、やばい、やばいぞ」
三谷が苛立たしそうに言った。
「何がやばいんだよ。やっぱり暗いと見えないな」
ヒカルはそう言うと、階段の横にある電灯のスイッチをつけた。
「わっ!オマエなんてことを」
「眩しいっ」
二人の抗議は尤もで、暗闇に似た状況からいきなり明るくなって暫く周辺が見えなくなった。

目が慣れてくると、そこに侵入者が立っていた。
「出たっ!!」
「ばかーっ!!だから言っただろ!」

男も暫く目をしばたかせていたが、3人に向かって近づいてきた。
「おい、君ら、何をしている!」
先に蔵に入って来たグレーのスーツの男だ。
中肉中背の三十歳台後半位、サラリーマン風に見せているが、本当はどうだかわからない。

ヒカルが前に出て言った。
「アンタ誰?」
男はヒカルの質問には答えず、無表情のまま訊いてきた。
「君らだけ?大人は?」
「そんなこと、アンタに言う必要ないぜ」
「ああ、そうか、居ないんだ」
男は納得すると今度は怒りを込めた低い声で言った。
「君らはどこの子だ。勝手に人の蔵に入り込んで、どういうつもりだ。盗みに入ったんだろう!警察と学校に通報するぞ!!」
泥棒を捕まえるつもりが、逆に叱られて子供達はぎょっとした。
勝手に上がり込んだのは本当なので、後ろめたい気持ちもある。三谷と夏目は震え上がった。
この日に泥棒が入ったことを事実として知っているヒカルだけが踏みとどまった。

「そういうアンタ誰?こんな夜中に人の家で何してるんだよ」
それを聞くと、ふん、と鼻を鳴らして男は言った。
「私は、この家のご主人に依頼されて蔵の中の物を調べに来た骨董商の者だ」

それを聞いてヒカルも含めて子供たちは、「えっ」と声をあげた。
「・・・骨董商?」
「そうだよ、ご主人に留守の間に蔵の中の骨董品の価値を調べておいてほしいと依頼されてきたんだ。」
「・・・・・」
話が聞いていたことと違う。三谷と夏目は顔を見合わせ、ヒカルを見た。
ヒカルは信じられないという顔しか出来ない。
「小父さん、泥棒じゃないの?」
「馬鹿な事を言うな。」
それを聞いて、夏目は胸をなでおろした。

「何だ、そうだったんですか。てっきり泥棒かと・・・」
男は大きくうなずいた。
「今なら誰にも言わずに黙っていてあげるから、分かったらさっさと出ていきなさい」
「はい、どうもすみません。行こう、みんな」
夏目が慌てて帰ろうと促す。それを三谷がさえぎった。
「いや待て。だったら、何で入口の扉を、鍵じゃなくて変な針金で開けたんだよ」
「・・・・・・・」
「こんな夜中、灯りもつけずに主人の留守に調べるなんて変じゃねェ?」」
それを聞いて男の表情が徐々に不穏なものに変わっていった。
「小父さん、本当に骨董屋なら名刺見せろよ」
男は名刺を出す代わりに
「ようし、本当に警察に連絡するからな」
低い声で言うと携帯電話を取り出した。
ヒカルは言った。
「脅したって無駄だ。警察なんてオレは怖くないぜ。だってオレはこの家の関係者だからな。警察が来たって、せいぜい親とじーちゃんに叱られるくらいだ。本当に警察に通報されて困るのはアンタだろ」
「・・・何だと・・・」
「骨董屋だなんてウソだ。そうじゃないなら早く警察に通報してみろよ!」
「・・・・・」
男は黙った。そして通報もしなかった。
それを見て、三谷は後ずさり、自分の携帯電話を取り出した。それこそ警察に通報するためである。
だがそれは出来なかった。
後ろから三谷の腕を掴んだ者がいたからだ。
「痛えっ!!」
後から来たもう一人の紺スーツの男だった。

「今日はだめだな。どうするこのガキども」
「そうだな。でも顔を見られた」
三谷は腕を捩じりあげられ痛みで悲鳴を上げた。
「いっ痛てええええっ!!離せバカ野郎っ!!」
「三谷君っ」
夏目は持っていたバットを振り上げて、三谷を掴んでいる男の腕を狙って振り下ろしたが、あっさりかわされてつんのめって転んでしまった。
「おい、三谷を離せよ!」
ヒカルも叫んだが、大人の男二人に素手で飛びかかる程無謀でもなかった。
取りあえず、投げるものを探した。
蔵ではあるが、物置でもあるので明らかに値打ちがないものは、投げて破損しても許してもらえるだろう。
部屋の隅に積んであったハードカバーの本があったので、それを次々と三谷の腕を掴んだ男に向かって投げつける。

男は避けたが、本の角が少し三谷のアゴに当たってしまった。
「うわっ!痛てえっ、バカやめろ」
「あ・・・ごめん・・」
三谷は「くそっ」と悪態をつくと、男の腕にかみついた。
「痛っててててて!ふざけんなこのガキ、殺すぞ!」
男は叫ぶと三谷を突き飛ばした。
勢いで三谷が壁に打ち付けられる。三谷は痛みでその場にうずくまった。
「三谷!」
怒った男は、棚の脇にあった碁盤に気が付いて持ち上げた。それはヒカルが先程まで探していた佐為の碁盤だった。
思わずヒカルは悲鳴のような叫び声を上げた。
「やめろ!!!それに触るな!!」
碁盤に価値を見出さなかったらしく、紺スーツの男はせせら笑いながら碁盤を「そらよっ!!」と、ヒカルに投げつけた。
三谷も夏目も当然ヒカルがそれを避けると思った。

だが、ヒカルはそうしなかった。
正面から碁盤を受け止めたのだ。
佐為の碁盤は木で出来ていて、それなりに厚みも重みもある。そして、それが不安定な体勢で直撃するとどうなるかといえば、
ヒカルは碁盤ごとふっ飛んだ。そのまま整理棚に背中から激突し、ついで床に崩れ落ちたが、その衝撃で棚にあった桐箱がいくつかヒカルの頭上に降っては床に散らばった。
そして、それでもヒカルは碁盤を離さなかった。というより、しがみ付いているように三谷には見えた。
「進藤・・・!」
「進藤君!」
仲間二人が叫んでヒカルに駆け寄る。「大丈夫か」と三谷が声をかけると俯いていたいたヒカルがようやく顔をあげた。そしてヒカルの顔を見て夏目が悲鳴を上げた。
「進藤君、血が出てる!」
「・・・・・」
碁盤の角が当たったのだろう。ヒカルの目の際の上辺りから血が流れ出していた。ヒカルは額に手を当て止めようとしたが止まらない。滴った血が碁盤に落ちていった。
「わ、やばい。碁盤が」と言って慌てるヒカルを夏目が叱った。
「進藤君、いいから碁盤を置きなよ!」
だが、ヒカルは首を振った。「・・・。無理。絶対やだ」
「バカか!! 何言ってるんだ、いいから離せ」
と三谷が碁盤を取り上げようとするのをヒカルが抵抗した。
「・・・やだってば!」

「バカ野郎、離せ!」三谷が無理やり取り上げると夏目がすかさずハンカチでヒカルの傷口を抑えた。

当然その間、自称骨董商の二人もその場に居たわけだが、子供達が取り込み中の内に退散することに決めた。このままでは警察に捕まった場合、傷害罪まで加わってしまう。彼らの目的は盗みであって人を痛めつけることではなかった。ここは撤退すべき時と判断して子供達が気づかないように静かに後退し、階段を下りて行った。


男二人は蔵の入り口にたどり着き、静かに扉を開けた。そしてそのまま何もなかったように立ち去るつもりだった。
だがそうはならなかった。
いきなり懐中電灯の明かりの一斉放射が彼らを襲った。
「うわっ」
蔵の前に立った彼らに浴びせられた光の奥に、立ちはだかる男達がいた。その数十人以上はいるだろう。

「・・・・・・・・え?」

若い、そして、揃いもそろって背が高く体格の良い男達が1ダース程。
「おっさん達、どこに行くつもり?」
「何だ、おまえら!」
スーツの男達は、明らかに狼狽しながら、それでも虚勢を張って言った。
「わ、私達はこの家の主人に頼まれた骨董商・・・」
「はあああああ―――っ?!聞こえないなあ!!」
一番前に居た青年が大声を上げた。その声と同時に男達が一斉に二人を取り囲んだ。
「な、何なんだよ、これ・・・」
グレースーツの男が思わずつぶやいたその時、庭の奥から警察官が二人やってきた。
「はい、どいてどいて〜」と呑気な声を上げながらやって来た警察官はスーツ二人組を前に警察手帳を見せた。
「通報を受けてね、ちょっと署に来て話を聞かせてもらおうかな」
警察官と青年たちの立つ向こう側、この家の前の通りの方からは赤い光が複数点滅しているのが見えた。
今度は流石にスーツ男達も黙った。舌打ちすると観念したように俯いた。




その後、警察官はぞくぞく庭に入って来た。青年達の間をかき分け、警察官が二人、蔵の中に入って大きな声で中に潜む子供達に呼びかけた。
「警察です!もう大丈夫。どこに居ますか?」
警察と聞いて、二階から三谷が顔を見せた。「アイツらは?捕まえてくれた?」
警察官が「捕まえた」と答えると「怪我人を居る!」と三谷は叫んだ。

それからが大騒ぎだった。大勢の大人たちが蔵に殺到してヒカル達三人を保護し、その後、緊急車両の種類が増えた。つまりパトカーに加え救急車が呼ばれたのだ。


ヒカル達が蔵から出てくるとヒカルの祖父母の家の庭は人で一杯になっていた。
「何コレ」と驚く彼らに、庭で控えていた金子が近寄って来た。その後ろには気まずそうな小池が居る。
二人は血染めのハンカチで額を抑えるヒカルを見て驚き、大丈夫かどうか訊いてきた。たいしたことはないとヒカルが答えると、思ったより普通の様子にやっと安心したようだった。

実際ヒカルの傷は大したことはなかった。頭部は少しの傷でも出血は多くなるので子供達は慌てたのだ。あとは軽い打撲をいうところだ。
だが、状況が特殊だったため、救急車で搬送されることになってしまったのだ。


金子の傍らには一人の青年が立っていた。先ほど泥棒に大声を出していた人物だ。
「この人、中田くん。私の彼」
「ええっっ!?」
三人は度肝を抜かれて推定身長190センチの「中田くん」を見上げた。明らかに中学生ではない。多分大学生だ。
そういえば、あかりが「金子さんには大学生の彼氏がいて、バレー部の先輩だよ」と言っていたのをヒカルは思い出した。失礼極まりないが絶対冗談だと思っていた。
人懐こそうな「中田くん」はニコっとヒカル達に微笑みかけた。結構なイケメンであることも衝撃だ。

得意そうに金子が説明を始めた。
「泥棒が来るのが本当だったら中学生だけじゃ危ないからね。中田くんに頼んで大学のバレー部の友達と一緒に外に控えていてもらったんだ。」
「はあ」
「そうしたらホントに怪しい大人が来たから、警察に通報してもらったってわけ」
「・・・・・・・・・・」
「お礼言ってよ」
金子にせかされて、やっと三人は我に返った。
「そ、そうか。ありがとうございました・・・」
「大丈夫かい?ごめんな。怪我をする前に蔵の中に入れば良かった」
中田は心配そうにヒカルの額を見つめた。三谷に借りたハンカチはかなり血に染まっていた。
「いやっ、十分です。助かりました。ホントにありがとうございました」
そこへ救急隊員がやって来て、ヒカルを連れて行こうとした。
「待って、碁盤が」
ヒカルは現場検証の準備が始まった蔵を振り返った。
「オマエ、まだそんなこと言っているのかよ」
三谷が呆れたように声を上げる。

警察が蔵に入ってきて三人を保護した際に皆が困惑したのは、ヒカルが凶器になった碁盤を警察に渡すことを拒んだことだった。「絶対に返す」と約束してもらい、やっと手を離した。
警察も証拠物件なので持って行かないわけにはいかなかったのだ。

ヒカルは、救急車に乗り込む前に囲碁部の仲間に迷惑をかけたことをあやまった。
そして、搬送中は親達への言い訳をどうしようと頭を悩ませていた。
しかし、当然ながら、この話がそんなことで一件落着となる訳がなかった。