LIGIE.GRACE

OVER AGAIN  ニギリ 




ニギリ

遠くから懐かしい声が聞こえる。

 “私の声が聞こえるのですか?・・・”

大好きでずっと会いたかった人の声。返事をしようとした瞬間、彼の意識は圧倒的な光に飲み込まれ、そして。




 進藤ヒカルは目を開いた。
「ヒカル!!」
誰かが自分を呼んでいる。ぼんやりした焦点を何とか合わせると、彼の母親が必死の形相で自分を見つめていた。

「お母さん・・・?」
息子の声を聞いて進藤美津子は、「ああ良かった」とつぶやき、泣き笑いのような顔を作った。
「ヒカル、あんた倒れたのよ、覚えてる?」




 彼の名前は進藤ヒカル。年齢は15歳だが高校には通っていない。職業は囲碁棋士だ。
12歳で碁を始め、約1年後に日本棋院の院生になり、その10ヵ月後にはプロ試験合格を決めた。
プロ入りまでのスピードといい、その後の(無断)自主休業といい、何かと話題の多い彼であったが、才能は本物であるらしく、休業明けからは順調に勝ち星を挙げ、今年から始まった北斗情報システム主催の「日中韓ジュニア杯」の日本代表に選ばれるまでになった。
この「北斗杯」、残念ながら善戦の甲斐なく彼の結果は2連敗。一緒に戦った塔矢アキラのみ全勝したものの日本は最下位に終わった。

 対局後、負けた悔しさを胸に、塔矢に促されて立ち上がったところまでは覚えている。しかしその後の記憶が全くなかった。





 ヒカルは周囲を見回した。いつか見たような室内。病院だ。彼は病棟のベッドの上に寝かされていた。
「おぼえてない・・・。オレどうしたの?表彰式は?」
彼の言葉を聞いて美津子は再び不安そうな顔をした。傍に居た祖父の進藤平八は医者を呼んでくると言って部屋を出て行った。
「何言ってるのヒカル」
そして母親が発した一言にヒカルは驚愕することになる。


「あんたあかりちゃんと一緒におじいちゃんの家のお蔵に入って、そこで倒れたのよ?」


 ヒカルは数秒固まってしまった。何を言ってるんだよ。お母さん。
「なんで?なんでお蔵?なんであかり?」
嫌な予感がする。冗談じゃない。

 彼は動揺しながらも(まさか)と思い右手を顔の前に持ってきて眺めた。
小さくてやわらかそうな手。そして碁石で削れた形跡の全くない爪。背中を冷たい汗が流れた。
「お母さん、鏡。鏡持ってない?」
「鏡?」
美津子はあわてて自分のバックを探そうとして、ベッドの横にある作り付けの棚に鏡が付いているのに気が付いた。
「ここにあるけど・・・。外せるかしら、これ」
ヒカルは起き上がって鏡に自分の顔を向けた。
「ヒカル、急に動いて大丈夫なの?」
美津子はヒカルに声をかけたが、彼にはそれにかまっている余裕などななかった。


 何だ。何だ。これは何だ。この鏡に映っているオレはいったい何なんだ?
「う・・・そだろ・・・?」


鏡には進藤ヒカル12歳当時の姿が映し出されていた。





 完全にヒカルが固まっていると医師が看護士を伴ってやってきて、看護士が血圧を測り、検査のためといって血液を採取していった。その後医者が聴診器を胸に当てたり、容態について質問してきたりしたが、ヒカルは全て上の空だった。それはそうだろう、15歳だったはずの自分が突然12歳に戻ってしまったのだから。

 何故ヒカルが12歳と断定したかについては根拠がある。
彼は12歳、小学校6年生の時に幼馴染みの藤崎あかりと共に祖父の家の庭にある蔵に潜り込み、そこで倒れたことがあったのだ。
その時の状況と今の状況は全く同じだったからだ。
唯一つを除いては。


(佐為・・・)
ヒカルは室内を見回した。後ろを振り向いた。いつもしていたように心の中で何度も呼びかけた。

しかし、いない。
あの時に初めてヒカルの前に姿を現したはずの藤原佐為が今度はいなかった。
(何でだよ・・・いないのかよ佐為)


 ぼうっとして顔面蒼白になりながら、落ち着きなく首を振っている息子の姿に美津子は真剣に不安を覚えた。

「先生、この子大丈夫でしょうか?」
医師もヒカルの様子を見て、「一日様子を見ましょう」と入院手続きをするように美津子に告げた。