項 目 名 |
そ の 意 味 と 簡 単 な 解 説 |
大聖寺伊万里 |
明治から昭和の初めにかけて、文字通り、加賀江沼郡(現 石川県加賀市)の大聖寺や山代、山中町などで伊万里を写して焼かれた九谷焼。伊万里の錦手を写したものの中には、元禄伊万里の上手(じょうて)ものを写した良品が多く、他にも柿右衛門写し、鍋島写し、染付がある。 |
テグス |
美術品などを地震対策等のため展示台に固定させる糸。ナイロン糸が釣り糸に使用される以前は、テグスサンというヤママユガに近い蛾の幼虫の絹糸腺から作ったテグスや、スガ糸(絹)などが使用された。 江戸中期から大阪の薬問屋が釣り糸として売り始めたという。 |
デルフト陶 |
デルフト焼は白地に錫釉で施された青(デルフトブルー)の模様が多い。中国製品の品質に追いつく為に努力を重ね、産業として大きく成長し、18世紀の始めに頂点に達した。ヨーロッパ中の人気を集め、焼成技術や絵付技能を持ったオランダの陶芸技術者達が有名なドイツのマイセン陶磁器の始まりにも大きく貢献したといわれる。加賀藩はオランダ東インド会社を通じて大量のデルフト陶を発注した記録が残っている。 |
徳田八十吉 |
初代徳田八十吉(1873年 - 1956年)は、吉田屋窯風の作風を得意とし、浅蔵五十吉、二代目、三代目徳田八十吉等を育てた。
二代目徳田八十吉(1907年 - 1997年)は、1923年に初代の養子となり師事し、九谷焼の近代化を推進した。
三代目徳田八十吉(1933年 - 2009年)は、初代、二代目等に師事した。1997年、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定された。釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性がある。また、古九谷の学術研究にも尽力した。 |
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