項 目 名 |
そ の 意 味 と 簡 単 な 解 説 |
八郎手 |
宮本窯の絵付主工 飯田屋八郎右衛門によって確立された九谷焼の様式の一つ。白磁胎に濃艶な赤を使って細密な中国画風を展開させ、さらに金泥を細かい線描で加え、中国趣味の強い華やかな作風をいう。古九谷様式にこの金襴手が加わり、九谷焼の様式が確立した。 |
茇憩紀聞 |
加賀藩群奉行 塚谷沢右衛門が亨和3年(1803)に編集した)には陶器場の所在地、ものはら・窯道具・朱石や陶石の状況、そして開窯の時期を示す「明暦元年六月廿六日」銘の花瓶の存在、後藤才次郎と田村権左右衛門との仕事上の役割などが具体的に記述されている。 |
八種画譜 |
中国で出版された絵の手本集のことで、明清時代に盛んに刊行された。近世初期以降、日本に明、清の画譜が舶載されてきたが、それらから影響を受けた画譜、画帖がたくさん流通した。江戸初期に伝えられた画譜のひとつに、山水図、花鳥図等をたくさん載せた八種画譜がある。この画譜は狩野派、土佐派の画家たちに強い影響を与えたと見え、この頃の絵の構図、図柄にはこの画譜に酷似するものが多いといわれ、また古九谷の陶画工たちも粉本(手本)として用いたと考えられている。 |
花紺青 |
コバルトガラスを粉末にした顔料の明るい青のこと。エジプトやミケーネで古代から用いられていたとされる。日本でも花紺青はなこんじょうと呼ばれ、顔料として用いられた。スマルトは絵の具の色として画家たちに愛用された。 古来、日本には岩紺青という紺青の顔料が使われてきたが、花紺青は、古九谷や吉田屋のような濃い紺青ではなく、少し空色をしている。この紺青は、18世紀初め英国で製造されてから陶磁器などに使われた顔料で、清国経由で日本に多く輸入された。伊藤若冲、葛飾北斎などの絵にも使われ、江戸末期から明治にかけて使われ、松山窯でもさかんに使用された。この花紺青は色合いとか透明感の点から比較すると、古九谷、吉田屋窯の紺青とかなりことなる。 |
方氏墨譜 |
明の万暦16年、方干魚によって著された全8巻の画集。宮本窯の絵付主工飯田屋八郎右衛門はこの画集の高尚豊富な題材に啓発され、赤絵細描に優れた手腕を示したといわれる。 |
本歌取り |
歌学における和歌の作成技法のひとつ。すぐれた語句、発想、趣向などをもった有名な本歌の1句もしくは2句を意識的に自作に取り入れる表現技巧。現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナルの存在と、それに対する敬意を明らかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が単なるコピーとは異なるとされる。 |
本多貞吉 |
肥前島原の生まれで、春日山窯に従事し、晩年は若杉窯の頭取として加賀地区の窯業の発展に貢献した名工。花坂村字六兵衛山に良質の陶石を発見し、この花坂陶石がその後の九谷焼の素地を改良し、今日まで九谷焼の素地の原石として使用されることになった貞吉の功績は大きいといわれる。 |
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