染付は、『角川日本陶磁大辞典』などに詳しく解説されていますが、コバルト顔料などの呉須を使った釉下彩の技法をいうこともあれば、特に、その技法によって図案などが描かれたやきもののことを指します。
九谷焼といえば色絵磁器を代表するやきものですが、九谷焼には古九谷を始めとして多く窯で染付の作品が焼かれました。それらの染付からは、ブルー一色のやきものでありながら、その濃淡や色合いによって作品の広がりを感じさせくれます。
九谷焼美術館では、このように“染付によって作られたやきもの”に焦点を当てた展覧会を初めて開催しました。展示品は「藍九谷」「藍柿」(あいかき)などと括り、あるいは伊万里、中国などと地域で分けられていて、36の窯や作家から構成された、合計76件164点に及び、染付というやきものの全体像をつかめる展示内容となっています。
藍九谷(藍古九谷とも呼ぶ)と藍柿は日本における染付の始まりといわれます。藍九谷は色絵にもある虎と竹を描いた輪花形の皿(展示会ポスターの画像)と五客の角皿です。柿右衛門の染付である藍柿2点はいかにも柿右衛門手といった感じ、いずれも繊細で絵画的な筆致の作品です。
これらの皿は、あえて裏面を見せるという展示方法をとって、裏側まで丁寧に絵付されていることを教えてくれます。8件29点の古九谷には染付に濃淡もあって文様も色々で、染付だけの皿もあれば、色絵を挿している端皿もあります。特に、染付の輪郭線のみを描いた素地のままの伝世品はたいへん珍しいものです。4件20点の伊万里の端皿には唐草文様や、ちょっとオシャレな楓の模様が敷きつめられたものがあります。この楓の皿には染付で銘「渦福」が描かれています。
若杉窯は再興九谷でも先を走った窯といえますが、それだけに、染付でも初期の濃い呉須のものから、後の淡いものまであり、また扇形や仙盞瓶(せんさんぴん)などいろいろ工夫してきたことがわかります。濃いものは藍九谷に近く、淡いものは藍柿か初期伊万里のように見えてきます。それらのモチーフを考えると、若杉窯の経営者や名工などが博識で多趣味な当時の文人たちであり、彼らが再興九谷の先駆者として立ち上がり、先進する中国の優れた画風や画題をもとに日本風にアレンジしたことがわかります。
一つの組物で、見込みに山水が染付で描かれています。20枚並べると(展示は5枚です)、青っぽいもの、黒っぽいもの、茶色っぽいもの、と発色が違うのがわかり、一点だけ見てもわからないことが組物からわかってきて興味深い染付の作品です。
竹軒が、本来、古九谷を意識したものや吉田屋をやや意匠化したものが得意で、優品を遺しましたが、この雲龍図の壺は、染付であっても優れた作品であることを物語るもので、こうして展示されることも珍しいといえます。
竹内吟秋の壺富士山の描かれている壺は、染付だけでこれほどまで富士山の陰影がよく出ていて、すばらしい作品です。吟秋は九谷陶器会社に総支配人として参画し、赤絵ばかりでなく九谷五彩を研究し、力強い筆致であっても優美であるという動きのある優品を数多く作りました。
浅井一毫の大鉢など3点 この大鉢は、大きく縁のところが雪輪形(*)にした大変凝った作りで、中央に染付で龍と鳳凰が描かれています。一毫の細描にはいつも驚かされますが、飯田屋八郎右衛門から赤絵細描を継承した赤絵九谷の名手であってこそできた作品です。(一毫は竹内吟秋の弟です。)
*雪輪は、紋章、文様の一種で、雪の結晶の六角形を円くかたどったもの。桃山から江戸期の能装束や小袖に雪輪文がよく用いられています。
仙盞瓶、鉢(微妙な大きさと形で、内側にも釉薬がかけられている)、手付鉢(隅切りの鹿が描かれている皿 古九谷に似た作風である)、急須(木堂という犬養毅の銘がある)などの6点。菁華が明治39年に菁華窯を築き、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷などの倣古作品を得意とし、中でも、彼の号 菁華のとおり染付において秀でていることがわかります。
初代 中村秋塘の筆洗 秋塘は赤絵の名工でありながら、染付でも名工でした。この筆洗は龍が描かれ、辰砂(*)がでていて、たいへん珍しい作品です。盃もたいへん細かく描かれ、展示作品164点の中で1番細かい染付といえます。2代目中村秋塘や中村翆恒(3代目中村秋塘である)も染付を残しています。
*陶芸で用いられる辰砂は銅を発色剤として高温で焼成して形成された鮮紅色のガラス質の膜をいう。
縁に一閑人(いっかんじん *)の付いている蜜柑形の水指です。祥瑞の染付に同じものがありますが、永寿は祥瑞、交趾、仁清写、乾山写などの茶陶が得意で、本歌をしのぐものが多いといわれます。ですから、須田菁華と島田寿楽とあわせて”近代の染付3人”といわれるのです。
*長崎県佐世保の三川内焼には、近隣の有田焼から区別すため、シンボルともいうべき絵柄の一つとして唐子が繊細な染付の線で描かれ、それとは別に、器の中を覗き込むような唐子の人形が縁に付いているものがあります。この人形を一閑人と呼びます。
五艘船図独楽鉢、麒麟図鉢、荒磯文鉢などの大聖寺伊万里は、色絵と染付が組み合わされ、さらに金彩まで施された色絵磁器ですが、これらの作品からも九谷焼の作家によって完成された染付を見ることができます。展示されている石村素山、松山金次郎などの作品は大聖寺伊万里の最後のグループに属するものです。
展示品はほとんどが九谷焼の染付ですが、一部に粟田風の陶器(京都市粟田口一帯で産する陶器。表面に細かいひびがあり、彩画を施したもの)が展示してあります。少し黄色っぽい素地に染付が工夫されています。
また、宮内庁御用達の器には植物の図柄(皇族それぞれによって異なるといわれます)が染付けられ、正に上手(じょうて)の献上品としてふさわしいといえます。
展示の作品は控え作品であるとのことです。
芙蓉手の皿4枚は40㎝を超え、50㎝近くのものもあり、岩に鳳凰か鳥が描かれ、周りを牡丹か椿で囲むという、珍しい図案です。また、椿の図は吉田屋窯特有かと思いがちですが、古九谷にも同じ椿の図案がたくさんあり、明の呉須手であるだけあって、この染付の椿だけを取り上げて吉田屋窯風に絵の具を付ければ、吉田屋窯の椿と思うくらい染付がきちんと描かれています。
大壺には唐人物が描かれ、中国の作品としては小さい方ですが、たいへん迫力があります。江戸時代にこういう皿や壺を見た当時の権力者や陶工はこういうやきものに憧れて作ったと考えられます。
鯉の滝登り図は、鯉が滝の水を割って入るかのように、すごく迫力のある図案が大きい器面いっぱいに染付で描かれています。中国では、鯉は滝を登って龍に変身するといわれ、逆境に逆らって成長する鯉にたとえ、鯉の滝登り図は見ている者を勇気づけさせるモチーフのある図案です。
人力車などが描かれ、文明開化の情景を描いた珍しい図案の印判手(*)です。明治に入り印刷技術が陶磁器に応用されて生まれた印判手は今はほとんど使われることのない技法であり、この作品はたいへん珍しいものです。産地は伊万里、瀬戸、あるいは四国のどちかですが、不明です。
(*)印判手とは、和紙の型紙に呉須などで描かれた図案や文様を素地の上に押し付けて移しとる絵付の手法です。
*この資料は、2015.2.14 に行われた、石川県九谷焼美術館の中越学芸員による「染付というやきもの展」ギャラリートークからまとめました。