本展は、今秋、加賀市の山代温泉に再現された、明治時代の総湯「古総湯」の竣工を記念して、明治時代に山代に生きた九谷焼の名工、初代 須田菁華(文久2年~昭和2年 現在は4代目)を顕彰する目的で開催されているものです。初代 菁華が明治時代の総湯に使われたタイルの制作に携わったことなどを含め、多彩な様式の作品を通して、初代菁華が遺した功績を展観することができます。
また、初代 菁華は北大路 魯山人に陶芸を手ほどきし、開眼させたことはあまりに有名ですが、現在、期を同じくして、山代温泉の「魯山人寓居跡 いろは草庵」で開催されている「魯山人と初代菁華」展においても、初代菁華との出会いから生まれたと思われる魯山人の作品を通して、いかに魯山人が初代
菁華から薫陶を受けたかを知ることができます。
本展では、銘や箱書きがなかったら見間違えるような做古作品84作品221点が展示されています。初代 菁華が、若い頃、東京帝宝博物館で古画の模写に従事し、明治13年、京都で製陶を学び、同24年、九谷陶器会社の画工長から独立して陶画工になり、同39年、菁華窯(登り窯)を築いて作陶にも取り組んだ経歴から見て、初代菁華が做古作品を得意としたことがわかります。
それら做古作品からは、古九谷、明代の古染付、交趾、色絵祥瑞、吸坂手、呉須赤絵、色鍋島、染付、万暦赤絵、古伊万里などの写しの作域の広さを、そして観賞用としての器のみならず、懐石用具(向付、皿、蓋物)として洗練された「用の美」を感じさせてくれます。 また、「黄瀬戸写花瓶」「乾山写色絵吉野山図透鉢」「木米写唐人物図角蓋物」のように陶器の写しもあり、磁器に限らない多彩さも見せてくれます。
「古九谷写し色絵泊船図大鉢」「色絵人物図古九谷平鉢」の古九谷写しは、古九谷の絵の具を全く蘇らせたかと思わせるほどに完成した作品です。一部には“虫食い”も再現するという巧みさを見せている作品もあります。“虫食い”によって、釉薬と素地の接着が上手く行かず、器の表面が剥がれていても、それを欠陥品と見做さずに、逆に、見所として“虫食い”を取り入れるという、その感性豊かな作風が観る人に驚嘆さえ与えてくれます。このことからも、単なる做古作品を作るのではなく、どんな様式のものも自分のものにして完成させた初代 菁華の感性の豊かさ、それを表現する技量の高さが伝わってきます。
「菁華」の名の由来でもある青花(*)を物語る初代 菁華の染付はすばらしく、名工の名に恥じない作品ばかりです。中でも、「染付龍文花瓶」は五本爪をもった龍を物凄い迫力で精緻に再現しています。5本爪龍は、明、清時代を通して、皇帝だけが使用できる意匠で、皇帝のための官窯に引き継がれてきた文様であるだけに、完成されたものが多く、初代 菁華によるこの作品も同等に並べられても見劣りのしない優品といえます。
*青花;白磁の釉下にコバルトで絵付けを施した磁器のことで、中国における染付の呼称。元代に、西方ペルシヤより輸入されたコバルトを使い、きめが細かく純白に近い磁器に濃厚な青色で施された、複雑な文様を表わしたものが多く、重厚な器形と調和し力感に満ちている。特に、明代に入ると、景徳鎮に官窯が設けられ、永楽・宣徳年間ものは、様式・技術ともに洗練された、巧みな作風を見せている。
大手衛生陶器会社の話によると、浴場タイルに九谷焼のものを使ったのは、山代温泉が初めてではないかということです。初代 菁華が山代温泉の総湯の浴殿を飾った九谷焼タイルを制作したことが近年わかり、初代 菁華は、明治16年、山代の「九谷陶器会社」に招聘され、画工長として腕をふるったことから、このとき総湯のタイルを制作したと考えられています。
*この資料は、平成22年11月13日九谷焼美術館で開催された、副館長中矢進一さんによるギャラリートーク、同展案内のリーフレットなどからまとめたもの