Task.2 黒猫
8 呆気にとられる赤い髪の二人。理解出来なかったのではない。ただ、その選択肢を頭に用意しそびれていた。 ほどなくして、ユッカが高らかに笑い出す。 「随分と思い切ったじゃねーか。そーいやお前シーフだったもんな。いいぜ、その案乗った!」 「ちょ……ちょっと待ってくれ」 慌てたような声を出すのはジニアだ。 「まがりなりにもターゲットだよ。依頼人が大事にしてるペットなんだ、それを――」 「何言ってんの、今さら」 ユッカが言葉を遮って、ニヤニヤと笑いながらジニアの肩に肘を乗せる。 「アンタだって、始末しなくて済んでホッとしてるクセに」 「う……」 図星を突かれたのか、ジニアは言葉に詰まる。イリーガル・ハンターとしての自負と、人としての良心がせめぎ合っているようだった。 ユッカは部屋に散らばった宝石類と、足を繋ぐ太い鎖を顎で指して、呆れたように付け加える。 「大体、大事にしてたって言えるかー? コレ」 「少なくとも、当事者はそうは思ってなかったみたいだな」 ジェムレインの少年を通して得たフォルゴンの気持ちを要約して、ラムディスも口の端を上げる。ダメ押しでその横から潤んだフィンの眼差しを受け、黒猫怪盗団をまとめ上げるリーダーはついに項垂れた。 「……仕方ない。こうなったら、やれるところまでやってやろうじゃないか」 その言葉に三人が歓声をあげる。それを制するようにして、ジニアは続けた。 「だけど、盗むとなるとそれなりの準備をしないと」 ユッカがぽん、とジニアの肩を叩く。 「その辺は、プロフェッショナルに教えを請うってことで」 「丸投げ!?」 二人のやりとりに笑いながら、ラムディスは街の地図を取り出す。今いる高級住宅街の辺りを指差して。 「ダグラムを無事に出られれば、今後のフォルゴンの居場所は確保出来る予定だ。それにはここから――ここの東門まで、見つからずに移動する必要がある。幸いこの辺りは住宅街で飲み歩く店もねぇし、深夜だから人目は少ないはず」 動く指を目で追いつつ、ジニアが問うた。 「この辺りでフォルゴンが暮らしていけるような土地は無いと思ったけど。随分自信満々に言うんだね」 「あぁ。俺たちには強力な後ろ盾があるからな」 わざわざ複数形にしてニヤリと笑うラムディスの言に、思い当たる節があったらしいジニアは軽く額を押さえて呻く。 「……ギルドの差し金だったのか……」 ハメられた、と小さく呟いて悔しそうにするジニア。ユッカがそれを見てけたけたと笑った。 「偶然だ偶然。オレらが少年と無関係だったら、そもそもこんなややっこしいコトにはなんなかっただろーし。なー、ラムディス?」 含み笑いを向けられてラムディスは渋面を作る。冷やかすような視線を受け流し、咳払いをひとつ。 「――まぁ、だけど油断も出来ないしな。俺がフォルゴンを移動させる間、陽動をお願いしたい」 「構わない。でもその前に、ボクの仲間たちを助ける時間を貰えると嬉しいんだけど」 「助ける?」 今さらながら、任務を遂行する黒猫怪盗団がたった一人であることの違和感に気づいて、ラムディスは問い返した。ジニアはやれやれと肩を竦めて、 「どっかの誰かさんが、イジワルしてくれちゃったみたいだからさ」 半眼で見遣った先には、あらぬ方向を向いて口笛など吹いている赤い髪の青年が。 黒猫怪盗団の独断でフィンの処遇を決められてはたまらないと判断して、ユッカはそんな行動に及んだのだろう。その動機がラムディスのためであったと分かった以上、強く言うことも出来ない。だが、迷惑をかけてしまったことも事実で、ラムディスは頭を下げた。 「それは申し訳ないことをした。――ユッカ、一緒に行ってこい。ちゃんとごめんなさいって謝ってくるんだぞ」 「ガキじゃねーんだから、そのくらい出来るって」 ふてくされたように頬を膨らますユッカ。その仕草こそが子供そのもので、ジニアが思わず吹き出した。 「あははっ、キミたち、いいコンビだね」 「そうか? 俺が振り回されてるばっかな気がするけどな」 「……」 二人の会話に異を唱えるわけでもなく一点を見つめていたユッカは、何故か感心したように真顔でぽつりと呟く。 「……なんだ、笑うと結構かわいいじゃん」 「!!」 ジニアの顔が、ぼっと火がついたように赤くなった。 これからの大仕事を前にイリーガル・ハンターたちはひとしきり笑って、上手い具合に肩の力が抜ける。 黒猫怪盗団は三人組なのだそうだ。ユッカがアジトに閉じ込めてきてしまった二人を救出して、そのまま陽動に当たる。予定より少し派手にやるだけだ、とそつなく言うリーダーの横顔は若くとも頼もしかった。 ラムディスはフィンと共にフォルゴンを連れ出し、ユッカはその周囲を警戒する役目を請け負うことになった。 ジニアは、簡単な工具を使って手早く後脚の戒めを外してみせた。今までも、そしてこれからも、ラムディスは他人から何かを盗むためにその技術を会得したいとは思わないだろうが、彼女の手先の器用さが少しだけ羨ましくなる。助けが必要な時にも役に立つのだ、今回のように。 自由になってフォルゴンは嬉しそうな声をあげた。それを優しい瞳で一瞥すると、ジニアはユッカを伴って部屋を出て行った。大きな籠が音もなく昇っていく様を見届けて、ラムディスは再び視線を戻す。 無味乾燥な石室。自然の中で暮らしていた生き物にとって、こんな場所に閉じ込められたのでは理性を失うのも当然だろう。ただ逆に、ここまで虐げていてくれたおかげで、決断するのを躊躇せずに済んだというのが皮肉なところだ。 事実、フォルゴンはフィンの言うことをよく聞いた。本来の主人が誰なのか、本能で分かっているのだろう。フィンも幼いながら、自身の何倍もの巨体を誇る生き物を難なく誘導してみせる。これならば道中暴れて気づかれる可能性も低いはずだ。 「さて……あとは」 反り返った牙の片方に腰掛けて大きな頭を撫でていたフィンが驚いたように目を見開く。ラムディスがおもむろに腰の短剣を抜いたからだ。 「お兄ちゃん、なにするの?」 「んー? ちょっと、牙をね。フォルゴンがここから出るのに必要なことなんだ。少しの間大人しくしてくれるよう言ってくれないか」 「……痛くない?」 「大丈夫。むしろ、動いたら危ないよ」 わかった、と頷いてフィンは軽く目を閉じた。器状に組んだ両掌から湧水のように液体が溢れ、やがてそれはいくつかの球体を成す。神秘的な光景に毎回目を奪われるラムディスだったが、同時に今回のそれがとろりとした乳白色なのに気がついた。 「あれ、さっきの石と違うね」 問いかけると、フィンは恥ずかしそうに少し笑った。 「これはね……ぼくが夜ひとりでこわくて眠れないときに、こっそり出してアメみたいになめてたの。そうするとだんだん眠くなるんだ。フォルゴンにも効くかなぁと思って」 そこまで言って、はっとしたように取り繕う。 「ぼくがひとりで寝るのがこわかったこと、リチェにはナイショだよ?」 「あぁ。ナイショな」 秘密の共有が楽しくて、二人はくすくすと笑い合う。 かすかに甘い芳香の玉(ぎょく)を与えると、フォルゴンはリラックスしたように一つ目を閉じた。その間に、長く伸びた大牙の三分の一ほどを少しずつ削るようにして切り取る。二本の牙を外した足枷に立てかけるように置いて、ラムディスは荷物から紙とペンを取り出した。 「黒猫のそれと比べると、ちょっと見劣りするけどな」 筆跡鑑定を懸念し、わざと相棒の特徴的な字体を真似て書きつける。最後に即席で考えた署名を添えて、牙の下へ。 牙を切り取ったのは、脱出の際に籠に引っ掛かるのを阻止するためという物理的な理由はもちろん、依頼人に対する口止め料としての意味もあった。 ずっしりと密度の高い牙は、象牙と同様加工素材として高い価値がある。フォルゴン本体は盗むが、代わりに牙で妥協してほしいというメッセージだ。――そもそも違法な飼育をしていた時点で、盗まれたとしても訴える術はないのだが。 「そういえば、『ぬすむ』のは悪いことだって、リチェが言ってたよ」 純真無垢な瞳を向けられて、ラムディスは苦笑した。 「うん……まぁ、リチェはお店屋さんだからなぁ」 ラムディスの万引きを疑っていたエカトリーチェのことだ。情操教育の観点から言えば、彼女には怒られてしまうのだろう。考えて、言葉を選ぶ。 「でも、盗むことでみんなが幸せになる時もあるんだ」 フィンは家に帰ることが出来る。フォルゴンは自由を手に入れる。ゴーダ婦人は犯罪行為をやめられる上に牙を得られて、ギルドからお墨付きをいただいている以上黒猫怪盗団が不利益を被ることもないだろう。ユッカはまぁどうでもいいとして、きっとラムディスも―― それらを核心に触れない範囲で、分かりやすく噛み砕いて説明すると、フィンは首を傾げながらも理解はしてくれたようだった。 「……それとな、フィン」 ラムディスは再びしゃがんで、少年の瞳を覗き込む。 「ここで見たこと、聞いたこと、やったこと。家に帰っても誰にも言わないって、俺と約束してくれ」 「どうして?」 「これからフォルゴンは、秘密の場所でひっそり暮らすんだ。そこがバレたら、また逃げなきゃいけなくなる。下手をしたら死んでしまうかもしれない。――そんなの嫌だろ?」 フィンは眉尻を下げて俯いた。 「もう、会えないの……?」 黙っているのが辛いのではない、ただ寂しいのだと分かって、ラムディスは優しく笑いかける。 「大丈夫さ。俺が時々、フォルゴンのいるところまで連れていってあげよう。俺とフィンだけが知ってる秘密基地だ」 ひみつきち、という響きに、フィンの瞳が宝石のように輝いて頬が薔薇色になる。男の子の純粋な反応だ。かつて通ってきた道をラムディスも思い出して、なんだか胸がくすぐったくなった。 ――ユッカが戻ってきたのだろう、大きな籠が再び下降を始める。フォルゴンも浅いまどろみから覚めて立ち上がった。決行の時間が刻々と近づいている。 「絶対だよ! ぼく、だれにも言わないから」 「あぁ、約束だ」 二人は小指と小指を結び付けて、小さな誓約を交わした。 * * * * * 黒い猫が街を駆ける。 肢体は闇に溶け込み、その容姿を目に焼き付けることが出来た者は皆無。足音すら気づかせず、風のように通り過ぎていく。しなやかに跳躍し、長い尻尾をたなびかせて、黒猫は屋根の上にふわりと着地した。 周囲を警戒していた者たちが一斉に見上げる。月を背負ったシルエットが表情を判然とさせないが、小柄で柔らかな曲線美は猫そのもの。小憎らしく棟から下界を眺めやる様は、孤高の存在を誇示するような、威風堂々としたものだった。 狙われた宝石店の主が声を荒らげる。警備に雇われた者たちは泡を食って駆け出した。――しかし所詮は烏合の衆。地を右往左往する烏たちは、空からの猫の急襲に対抗する術を持たなかった。仮に抗えるとして、翼を有効に使えた者がどれだけいようか。 二匹、三匹。黒猫は数を増やす。周囲で派手な花火が咲き誇って、煌びやかな光と煙は辺りを白い闇に変える。眠りに落ちる街において、窓の外を彩る闇夜らしからぬ色に気づいた者だけが、そのショーを観賞することが出来た。 そう、これはショーなのだ。黒猫たちは華やかな演技で観客たちを魅了する。対峙しているはずの武装した男たちは単なる端役(エキストラ)でしかなかった。 茫然としている店主も、やがておかしいと気づくだろう。自らの抱える宝石がかけらも減っていないことに。 ――そしてその頃には、全てが終わっている。 * * * * * 「……黒猫怪盗団、か……」 ラムディスは呟いて、今は遠くの市街地へと視線を投げた。 世間を騒がす怪盗団という別の顔を持つ、同業者。 ハンター同士の関わり合いというのは基本的にあまりないものだが、ある程度は知り合いを増やしておいた方が好都合な場合もある。依頼主の注文の傾向や、無理難題を押し付けられた時の対処法など、有益な情報を交換出来るというメリットがあるのだ。 反対に、あまり深入りし過ぎると逆に行動しづらくなる。馴れ合いによって生まれた妙な感情で気が緩み、お縄にかかったハンターというのも少なくない。 彼女たちとの縁は、これ限りだろうか――ラムディスは複雑な心境で小さく溜息をつく。 寂しいとか仲良くなりたいとか、そういう感情ではない。お互い『イリーガル・ハンター』として出会わなければまた違っていただろうにと、皮肉な運命を感じてしまうのだ。 (まぁ、借りはいつか返さないとな) ギルドマスターの口添えがあって、リーダーとも利害が一致したとはいえ、私情でかなり介入してしまった。今後どこかで名前を見た時は、何らかの形でバックアップしてやれるといい。その時、どちらかが――もしくは両方が、イリーガル・ハンターでなかったとしても。 門の外に辿り着くと、既にギルドの職員が控えていた。黒猫怪盗団から連絡がいったか、もしくはラムディスの動きを想定済みだったか。ギルドマスターの言い方を思い出すと恐らく後者なのだろうが、手回しの早さに感心する。 門兵の姿が見えないあたり、何がしかの手段で外してもらったと思われる。道中何事もなく、退屈そうに付き従ってきたユッカは「何だ、つまんねーの」と呟いて、盛り上がっているであろう繁華街の方へと消えてしまった。 何かと刺激を求めたがるユッカとは反対に、ラムディスは胸を撫で下ろす。フィンとフォルゴンが再び好奇の目にさらされるのだけは何としても避けたかった。平穏な日々を欲しているだけの二種族の行く末が、他人事とは思えない。 「よろしく頼みます」 頭を下げると、職員は委細承知の表情で頷いた。特徴的な一つ目を隠すために巻いていた緑のマントを外して、フォルゴンを受け渡す。 首周りに誘導のための綱がかけられるが、不思議と暴れ出すことはなかった。人間が想像しているよりも頭のいい生き物なのだろう、まるでこの先自分がどこへ連れて行かれるのかを、そしてそこは今までのような危険な場所ではないことを理解しているかのようだった。 「たのしかったよ。ありがとう」 フィンがフォルゴンの毛に顔を埋めて、しばしの別れを惜しむ。餞別に大きな玉を作って差し出すと、フォルゴンは名残惜しそうにそれを眺めた後、ゆっくりと口に含んだ。 「……またね」 今にも泣き出しそうな声で、少年が最後の言葉を紡ぐ。フォルゴンは彼を慈しむかのように鼻先を擦り寄せ、小さく啼いて――やがて離れた。 大きな身体相応の足音は柔らかい地面と草に吸収されて、フォルゴンはゆっくりと闇の中へ溶け込んでいく。残された青年と少年は、その後ろ姿をいつまでもいつまでも見送っていた。