Task.2 黒猫

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   7

 昇降機が最下層に着く。物音を防ぐための配慮か、かなり深くまで掘り下げられていた。急激な重力の変動にまだ妙な浮遊感が残る。
 降りた先の部屋から響く音。加えて地鳴り。――明らかに何か大きなものが暴れている。
「……フォルゴン、かなりいきり立ってるな」
「フォルゴン!? え、マジで!?」
 ジニアの呟きに、素っ頓狂な声で反応したのはユッカだ。ラムディスが半眼でそれを見遣る。
「お前、知っててここに来たんじゃなかったのかよ」
「いやーそれがさぁ、大方珍しモノ好きの金持ちがジェムレインの出す石を見せろとかいうワガママを発揮させた、アホらしい依頼だろーとか思ってたんだよねぇ」
「アンダーグラウンドに向かう時点で気づけ!」
 あはは、と頭をかくユッカに、ジニアは意外にも同調した。
「本当にそんな依頼だったら楽だったんだけど」
 鉄の塊のような厚い扉についた鍵を解除して呟いた言葉には、危険な依頼に子供を巻き込むなど本意ではなかったという悔恨の感情が混じっていた。
「相手はこの家の使用人を殺してる。首を突っ込んだこと、後悔しないように」
「へへっ、知ってっか? 自分が全力で選んだ道なら、後悔なんて生まれないんだぜ」
 ユッカは額にゴーグルを装着し、ニヤリと笑う。ラムディスも、フィンを背中に庇うようにして頷いた。
「いい度胸だ。――準備はいいか?」
 ジニアは二人に目配せすると、最後の扉をゆっくりと開く。
――グオオォォン!!
 大地を揺るがす低い咆哮が耳を劈(つんざ)く。太古より歴史を紡いできた者が抱く矜持が、無機質な鎖によって縛り付けられ、砕かれようとしている。足元を彩る色とりどりの宝飾品は、鉱石を糧とする生き物への施しのつもりだろう。だがそれらは、大きな足で無残に壊され散らばっていた。
「惨いことしやがるなぁ……ホントに可愛がってんのかよ」
 ラムディスは苦々しい表情でぼやく。
「あのレベルの宝石がペットのエサねぇ。っは~、金持ちは一般庶民とは感覚が違うな」
「フォルゴンは繊細な生き物だから、あんな煩悩にまみれたゴテゴテ宝石なんて毒にしかならないよ。実際――」
 ユッカの呆れ声に返答するジニア。続く言葉と同時に、身を包む布を剥ぎ取った。
「そのためにわざわざこの子を連れてきたんだからね」
 言葉の意味を問うより先に、二人はローブの下から現れた容姿に唖然とする。
 何かの文献で見た『東方の暗殺者』を彷彿とさせる黒装束は、非常に動きやすそうな作りの反面、露出が高くなっている。特に肩口と腿は目のやり場に困るほどだ。その両腿に数本の短剣を銜え込んだホルダー、帯代わりの腰布は長く後ろに垂れ、身体に密着させたポーチ。それで装備は全てだった。
「黒猫怪盗団って、女だったのか……」
 声のトーンやコードネームの印象からそんな気はしていたのだが、改めて見せつけられた現実に、ラムディスはしみじみと呟く。
「何か問題でも?」
 素性を晒すのが初めてではないのだろう、慣れた様子で問いかける彼女に、慌てて首を振る。
「いや、イリーガル・ハンターに男も女もねぇよな。出来るか出来ないか、だ」
「そういうこと」
 そっけなく答えると、ジニアはユッカとラムディスの目を交互に見て作戦を伝える。
「目的はジェムレインの生む石を食べさせて体内洗浄を図ること。ただし前例がないから成功するかは不明だ。ボクが動きを止めるから、ユッカは口を開けさせて。ラムディスは、少年から石を受け取ってその中に放り込んでくれ」
「了解。ま、オレが喰われねーように頑張るわ」
「大丈夫、中に鋭い歯は無いよ。すり潰されるだけだから」
「……怖ぇコト言うなよ……」
 見た目・大きさは鼻の無い象、それをさらに毛深くしたような巨体の動物は、大きな二本の牙を振り回して興奮している。ユッカは自分がすり潰される場面を想像したらしくゲンナリとした表情を作った。
「フィン、出来そうか?」
「……うん。ぼく、やってみる」
 ラムディスの問いかけに、こくりと頷くフィン。少し泣いて落ち着いたのか、その瞳には決意の光が宿って見えた。彼なりに、フォルゴンとの因縁を感じているのかもしれない。
「――行くよ!」
 合図と共に、二組のイリーガル・ハンターによる共同戦線が展開された。

   * * * *

 ここに来て長いこと経つ。足に括り付けられた鎖が鬱陶しくて暴れるたびに、重い音を立てて石床を削る。足を踏みしめれば地面が揺れ、大きい声で啼けば小さいものが近くに来なくなるのを知っていた。
 何せ、イライラして仕方ない。何故こんなに身体も心も荒んでいるのかよく分からない。
小さいものたちは食事を運んでくるが、最近どうにも食欲が湧かない。ここに来る前に自分で採って食べていたものと味が違う気がする。はっきり言うと、まずい。しかも食べた後は決まって身体がだるく感じる。
 それなのに食べろ食べろといちいち刺激してくる小さいものには、出来るだけ近寄ってほしくないのだ。ついこの間も誤って一匹踏み潰してしまったけれど、そんなもの足元をウロチョロしていた方が悪い。
 だが、今日の食事係はいつもと違う。どんなに威嚇しても怯える素振りを見せない小さいものたちは、何故か果敢に立ち向かってきた。
 特に癪に障るのが赤い色をした二匹だった。足で蹴飛ばそうにも、長い尻尾で打ち据えようにも、ちょろちょろ動いて当たらない。赤という色が妙に神経を昂らせる。目と鼻の先を飛び回るコバエのような鬱陶しさで、ますます気持ちはささくれ立った。
 苛立って大きく頭を振った時、片方の牙に何かを引っ掛けた。続けざまにもう片方の牙にも同じ感触があって、初めて新たに紐で動きを封じられたのだと気づく。引きちぎってやる、と足を踏ん張ろうとしたその時、目の前で強烈な光が炸裂した。
 遠くまで見通せる自慢の一つ目は、今は何の役にも立たなかった。視界が白一色に染まって、さっきまで疎ましかった赤い小さいものも見えなくなる。
 そして今度は口を無理矢理こじ開けられた。やはりあのマズイ食事を強引に食べさせようとしているのだ。こんな強硬手段を取られたのは初めてで戸惑ってしまう。
 口を閉じようとしても、拮抗する力はそれを許してくれない。ぽいっと口の中に入れてしまえば、あんな小さくてやわらかそうなもの、容赦なく潰せるのに。
 全力で引きずろうとしたその時、少しだけ、いい匂いがした。

   * * * *

 注意を引きつけ、縛り上げて、閃光弾で目くらまし――会ったばかりとは思えない連携で、ユッカとジニアは暴れ狂うフォルゴンの動きを封じてみせた。
「さっすが……便利な道具持ってるねぇ……!!」
 こめかみに青筋を浮き立たせながら、ユッカが巨大な口を上下に開く。
「まぁね。でも、分けてあげないよ」
 牙を繋ぐ丈夫なロープの一辺を引き絞りながら、ジニア。もう一本はいつの間にか柱に結んである。
「なんだよケチー。……ラムディス、こっちはいいぞ!」
「あぁ、今行く!」
 急かされたのと、準備が出来たのはほぼ同時だった。労うようにフィンの頭を撫でると、彼の手の中にある数粒の石を受け取る。――これが、ジェムレイン・ルーマンの玉(ぎょく)。鳥の卵ほどの大きさで、朝露のような美しい透明感を放っていた。人工的な輝きをギラつかせる足元の宝石とは似ても似つかない。
 ラムディスはフォルゴンに近づく。ユッカにこじ開けられている大きな顎の下をぽんぽんと叩き、囁いた。
「……永いこと待たせちまったな。これは美味しいご飯だぞ」
 口の中に玉を放り込む。同時、ユッカが手を離して臼状の奥歯がガチンとぶつかる音が響いた。
 玉の放つ芳香がいつもと違うことに気づいたのか、フォルゴンは暴れるのを止め、大人しくゆっくりと咀嚼している。ハンターたちと少年はその様子を無言で眺めていた。その動物の反応こそが、彼らにとって重大な意味を持つからだ。
 やがて、口内で粉々に砕かれた美しい石は嚥下によって体内へと移動する。血となり肉となって、その姿を維持するに足る栄養素だと判断したらしいその動物は、今度は自らの意志で口を開けてその場に跪いた。――かつての主人に従う本能を呼び覚ましたかのように。
「……成功……か?」
「そのようだね」
 ジニアの肯定を受けて、ラムディスがフォルゴンの鼻先を撫でる。もうそこには危険な動物はいなかった。手招きしてフィンを近くに呼び寄せる。
「コイツ、フォルゴンっていうんだ。フィンの出した石が美味しくてもっと食べたいんだってさ」
「ほんとう? ……もう、怖くない?」
「あぁ、怖くないよ。ほら、あげてみてごらん」
「う、うん」
 フィンは白い頬を紅潮させてフォルゴンに近づく。掌から泉のように湧き出た玉をおずおずと差し出すと、少年の何倍もある身体を持つ動物は優しい仕草でそれを舐め取った。
「わぁ、食べた!」
 目を輝かせて笑う少年を見て、ラムディスも胸が温かくなるのを感じる。
 他の子供たちと違う力を持っているフィン。その出自から、玉が出せることを人に知られてはいけない、と言われてずっと隠して生きてきたはずだ。幼い心に禁忌を課した能力、それを必要とする動物が今目の前にいる感動。それは不安でいっぱいだった胸を、代わりに充足感で満たしているに違いなかった。

「いやー、微笑ましいねぇ」
 動物に餌付けをしている親子のようなほのぼのとした光景。相棒の安らかな笑顔を見たのも久しぶりな気がして、ユッカは顔を綻ばせる。――が、それとは真逆の、憂いに満ちた表情を視界の端に映して振り返った。
「……どうした?」
 小さく声をかけると、ジニアは軽く俯き、ぽつりと呟く。
「……成功しなければ良かったのに、と思っていた」
「どういう意味だか、聞いてもいいか」
 うん、と一呼吸置いて。
「依頼主から、上手くいった暁には子供も一緒に飼う、と言われている」
「……!」
 ユッカは舌打ちする。懸念していたことが現実になった瞬間だ。無意識に剣の鞘へと右手を沿わせて、低く問うた。
「まさか、売り渡すつもりじゃねーよな?」
「それはない」
「お仲間さんは、そん時は仕方ない、みたいなこと言ってたけど?」
「最終判断はボクがする。警戒を解いてくれ」
 ジニアの真摯な眼差しを受けて、信じていいんだな、と念を押してから剣を手放す。
「あの家で幸せに暮らしているのをボクは見た。そこから無理に借り受けた少年を、『飼う』なんて言い方をする人間のところに差し出すつもりは微塵もない。……やっぱり、最初から連れてこなければ良かったのかもな」
 ユッカやラムディスよりも年下に見える黒猫怪盗団の若きリーダーは、その瞳に怒りと悲しみ、そして苦悩の色を湛えていた。
 鎮静化は成功した。少年は渡せない。そうなると、必然的にとれる手段は限られてくる。――即ち。
「やるなら手伝うぜ。……アンタらの仕事を妨害しちまった責任もあることだしな」
 事情を把握し、同じ結論に行きついた彼も表情に無念さを滲ませ、嘆息した。
 神妙な顔つきで話し込んでいた二人の元に、ラムディスが戻ってくる。フィンはどうやらフォルゴンに懐かれたようで、牙にぶら下がりながら楽しそうに遊んでいた。
「すっかり慣れちまった。元々一緒にいた種族だし、惹かれ合うモンがあったんだろうな」
 そう言って微笑むラムディス。穏やかな表情を前にして、ユッカは作戦を告げるのを躊躇した。数刻後にはこの笑顔が再び消え失せるのだろうと容易に想像出来て、陰鬱な気分になる。――それでも、言わなければならなかった。
「ラムディス」
「ん?」
「お前、あのコを連れて先にここを出ろ」
 何でだよ、と問い返そうとして、ラムディスは相棒の眼差しが真剣なものであることに気づく。視線を隣に移すと、無感情のようでいてどこか悲痛な光を宿したダークレッドの瞳が、頷くように瞬いた。
「――フォルゴンを、始末する」

 与えられたのは長い長い沈黙。合間に響く、この場にひどく場違いな子供の笑い声。
 二人は、ラムディスの承諾を待ってくれていた。
 説明は一応筋が通っている。フィンを無事連れ帰るには、フォルゴンの鎮静化は『失敗』すればよい。依頼人はもちろん、関係者すら立ち会っていない状況であり、どうとでも取り繕えた。希少保護種は捕獲自体が禁じられている。飼っていたことがバレないようにするためなら、依頼人は死骸処理の手段も問わないだろう。
 どのみちこういう運命だったのだ。例えゴーダ婦人の問題発言がなくとも、フィンが帰ればフォルゴンは玉を食べられない生活に戻るだけ。それは遠くない死を意味する。ならばいっそ、ひとときの幸せを味わったまま終わりを迎えてしまえばいい。
 そう言い聞かせても、それが円満な解決であるとはこの場にいる誰もが思えなかった。不本意であり、後味が悪すぎる。特に、二つの種族が打ち解けてしまった今となっては。
「……分かった」
 ラムディスは肯定の言葉を発する。赤と紅の瞳が彼の覚悟に頷くが、意外なことにそれを否定したのも彼だった。
「いや。決めるのは俺じゃない、って意味だ」
 ユッカとジニアは、意図を汲みきれずに顔を見合わせる。
――この場で唯一ラムディスだけが、ここに至る全ての情報を知っていた。無論、ギルドマスターの内なる願いも。
 ゆっくりフィンとフォルゴンの元へ近づく。それに気づいたのか、彼らも遊ぶのをやめてラムディスを迎え入れてくれた。フィンが不思議そうな眼差しで見つめてくるのに優しく微笑み返して、頭を撫でてやる。
「フィン。これからどうしたい?」
 きょとん、とする少年。言葉の意味を少し考えるようにして、フォルゴンに目を向ける。視線を受けた大きな動物は、フィンと意志の疎通を図るようにその一つ目を細めた。
「あの……あのね」
 俯き、遠慮がちに何かを語ろうとする少年に目線を合わせるべくしゃがみ込んで、うん? と軽く先を促す。
「……わがままを、言ってもいい?」
「あぁ、いいよ」
「ぼくは、おうちに帰りたい。……フォルゴンも一緒じゃ、だめ?」
「フォルゴンも?」
 聞き返すと、大人を困らせてはいけないという思いからか、フィンは口を引き結んでしまった。『いい子』を演じてきた子供は、気持ちを察する力に長けている分、自分の感情を内に押し込めがちだ。ラムディスはもう一度頭を撫でて、笑いかける。
「フィンは、フォルゴンと一緒にいたいんだね」
 気持ちを代弁してやると、うん、と頷く。次に顔を上げた時には、瞳に涙をいっぱい溜めていた。
「ここから出して、って言ってる。ここはもういやだ、って。ぼくも思う。こんな狭いところ、フォルゴンがかわいそうだよ」
「フィンには分かるのか?」
「うん。……たすけて、って――」
 そこまで言って、ついにフィンの言葉は涙に飲み込まれる。
 静かにしゃくりあげる少年の姿を見て、ラムディスも泣き出したい気持ちになった。痛いほど伝わってくる、強い感情。無言で抱きしめて、宥めるように背中を優しく叩く。
 しばらくそうしていただろうか。ラムディスは立ち上がると、見守っている二人に向けて、振り返らずに告げる。
「ユッカ、ジニア。ちょっと手伝ってくれないか」
――心は決まった。
「盗むぞ」

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