Task.2 黒猫

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   5

「あの時は本当にごめんなさいね。あたしたち、気が動転してたから……」
 ラムディスの目の前にコトンとコーヒーを置きながら、エカトリーチェは申し訳なさそうに言った。
 通されたのは、雑貨屋として構えている部分の奥に位置する居住スペース。部屋の大部分を陣取っている大きなダイニングテーブルには、可愛らしい模様のテーブルクロスがキレイに整えられて敷いてあり、その中央には小さな花が飾られている。
 床はところどころ塗装のはげた部分が見受けられるが、ゴミ一つ落ちていない。さほど広くはないが、人間の生活しているぬくもりは十分に感じられる、ラムディスにとって実に居心地の良い場所だった。
 ごく普通の一般家庭に見受けられるリビングのような作りのその部屋で、ラムディスとエカトリーチェは向かい合って席に座っていた。
「い、いや、気にしないでいいよ。怪我はしてないし」
 ラムディスはぎこちなく笑って答え、ありがとう、と会釈してからコーヒーのカップを持ち上げてふーふーと冷ます。
 その言葉を聞いて安心したのか、エカトリーチェは「よかった」と笑顔で呟き、自分も目の前のコーヒーカップに手をつける。
 しばし、まったりとした空気が部屋中を包み、夜の静けさを体中で感じつつも、安らかな時間がゆっくりと過ぎていく。
 ラムディスは少し緊張しながら、彼女――エカトリーチェに視線を移した。
 肩までの金髪をヘアバンドで軽くまとめ、おしとやかというよりは、どちらかというと活発な印象を受ける。ラムディスのそれより淡いブルーの瞳は長い睫毛に縁取られている。
 時折、目を伏せる仕草……瞼に隠れて見えなくなってもなお、その意志の強さが伝わってくるような気がする。はっきり見据えられると物怖じしてしまいそうな、強い光を持ったその瞳に、ラムディスは惹かれたのだった。
 高くはないがスラッと通った鼻、小さく整った口。十分、美人の部類に入る端整な顔立ちをしている。
 思えば、こんな間近で彼女を観察したことなどなかった。照れくさくて近寄れなかったから当たり前なのだが、今、こうして目の前に本人がいるという事実をはっきりと認識し、ラムディスは胸の鼓動を抑えられないでいた。
(やっべェ……マトモに話せる気がしねぇ)
 きっかけは些細なことだ。街の公園で遊んでいた子供たちのボールが転がってきて、投げ返してあげたときにわざわざエカトリーチェがお礼を言いに来た。その時の笑顔と眼差しに心を撃ち抜かれて、ほぼ一目惚れだった。
 人はその出会いを平凡と呼ぶだろう。だがその平凡こそ、ラムディスが心から望んでいることなのだ。
「あっ」
 突然エカトリーチェが顔を上げる。ぼーっと見とれていたラムディスをふいに現実に呼び覚ましたその少女は、少し恥じ入るように話しかけてきた。
「やだ、あたしったら。ほとんどはじめましてなのにね? えーと、私はエカトリーチェ=レンデ。皆は『リチェ』って呼んでくれてるわ」
 改まって自己紹介。ラムディスは思わず姿勢を正した。
「あぁうん、知ってるよ。この街唯一の雑貨屋の看板娘さんだよな」
「あら、光栄ね。あたしもちょっとは有名人なのかな」
 ラムディスの返答を聞き、少し照れたようにはにかむ。
(……可愛いな……)
 エカトリーチェの仕草のひとつひとつが気になって仕方ない。またも見とれて動作を止めたラムディスの顔を、少女は不思議そうに覗き込む。
「どうしたの?」
「!! い、いやっ、何でもない」
 紅潮した顔を悟られないように慌てて顔を背ける。次は俺が名乗る番だよな……と深呼吸して、一拍。
「……俺はラムディス=ヴァイスディーン。今は――」
 続きを言おうとして、言葉に詰まる。自分自身の今の境遇をどう説明したものか。
(『イリーガル・ハンターやってます』なんて問答無用で却下だろ。『ハンターやってます』だと公認ハンターと誤解されかねないし。『名もない冒険者です』……ってのはなんか無職の甲斐性なしっぽい。だからって『秘密』って言うのも不審者疑惑が拭い去れねぇし……くそッ、どうすりゃいいんだよ!?)
 そのままの姿勢で冷や汗を流しながら、考える。『適当な嘘をつく』という選択肢が出てこないあたり、ラムディスの真面目な性格が表れていた(ユッカであれば何も考えずに『旅芸人』とでも答えそうな場面だ)。
 悩んで悩んで悩み抜いた末、口をついて出たのはこんな言葉だった。
「――な、『なんでも屋』、やってます」
「なんでも屋?」
 エカトリーチェが問い返す。それに鈍く頷いて、ラムディスは動悸を抑えようと試みていた。仕事の内容としては間違ってるわけじゃないよな、と自分に言い聞かせながら。
「なんでも屋って……本当になんでもやってくれるの?」
「あ、あぁ……俺に出来る範囲であれば」
 言ってしまったそばから否定するわけにもいかず、ラムディスは再び頷く。
「じゃ、じゃあ!」
 が、それに対するエカトリーチェの反応に、また心臓が跳ね上がるハメになるのだった。大きな瞳を潤ませて、切羽詰まった声を上げる少女。――ラムディスの手を固く握って。
「フィンを……フィンを助けて! お願い!」
「……!!」
 急激に頭が冷える。仕事モードに切り替わった瞬間だった。むしろ家に入ってから今まで、彼女を襲った悲劇をすっかり忘れていた自分の不甲斐なさに胸中で舌打ちする。
 握られた手が少し震えているのを感じて、ラムディスは腹をくくる。そもそも、そのために宿を飛び出してきたのだ。
「……詳しい話を、聞かせてほしい」

 ラムディスはまず、フィンがいなくなった時の状況を聞きだした。昨夜までは皆と一緒に過ごしていたが、今朝になって朝食に呼びにいった時にはベッドはもぬけの空だった、とのこと。窓が開いていたが、部屋は二階で途中に足場も無い。フィン一人の力では、そこから外に出ることは出来ないはずだ。
「その時に、ベッドに置いてあったのがこれよ」
 エカトリーチェは、一枚のカードを差し出した。
 手に取って、表と裏とをひっくり返しながらまじまじと観察する。掌くらいのサイズのカード。黒い表の中央には猫のマーク、白い裏面には文字が書いてあった。ラムディスは声に出してそれを読み上げる。

『少年は預かった。
 無事に用が済んだらお返しする。
 尚、公的機関に通報してはならない。
 漏らした時点で別れが待つ。
           黒猫怪盗団』

 誘拐犯の残していった文章にしては……と、違和感を覚えて首を傾げる。正確には、ラムディスは黒猫怪盗団が単なる誘拐犯ではないのを知っているので、ここで生まれた違和感は『同業者』としてのものだ。
「……この言葉に従って?」
「うん、通報はしてないわ。下手に動くとフィンが危険なだけだって、お父さんに止められたの」
 エカトリーチェは悔しそうに爪を噛む。国や警察に庇護されている一般住民にとって、犯罪に対して通報しなければと思うのは真っ当な感情だ。
「でも確かに、ちょっと変だとは思うのよね。『返す』って書いてあるし、用って何よ? って感じで」
 本来誘拐というのは何らかの交渉手段として行われるものだ。こちらに何の要求もなく、しかも『用済みになったら返す』というのでは、いささか狐につままれた気分だ。用が何なのか書かれていない以上、危険がないとも限らない。
 それに、ラムディスには最後の文章も気にかかる。公的機関に通報された時点で『返すつもりだった人質を殺す』というのであれば、ますます彼らの罪は重くなり、包囲網は狭められるだけだろう。なまじ柔らかい表現のせいか、脅迫というよりは忠告のような印象を受けた。――まるで、彼らではなく公的機関の方がその『別れ』を遂行するかのような。
「他に何か気になったことは?」
「そうねぇ……」
 ラムディスの問いに、エカトリーチェは宙を睨んで考える。
「そういえば、昨夜はフィンもどことなく様子が変だったわ。夜ご飯も半分くらいしか食べてなかったし」
 一応昨日も店に来ていたラムディスは、子供たちが元気に外へ飛び出していくのを見ていた。フィンは確か一番最後に出て行ったと記憶している。
「ご飯前に遊びに行っちゃった他の子供たちを、呼び戻してほしいってお願いしたの。フィンはお店のこともよく手伝ってくれて、本当に優しい良い子なのよ」
 もちろん子供たちは皆可愛いんだけどね、と付け加えて、エカトリーチェは微笑む。
「じゃあ……帰ってくるまでの間に何かあった、ってことかもしれないな。他の子供たちは何か言ってなかった?」
「えぇ、特には――」
 言いかけて、エカトリーチェは何かを思い出したように口元に手を当てる。
「リナムが言ってたわ……フィンが、綺麗な石をいくつも持ってたって。でも、すぐに消えちゃったって」
「消えちゃった?」
 説明する本人もよく分かっていない様子で頷く。
「何のことだかよく分からなかったから、詳しくは聞かなかったんだけど……」
 ラムディスは思案する。フィンが一人でいる時に何者かの接触を受けたのはどうやら間違いなさそうだ。そして、他の子供が見たというフィンの『石』もその時に手に入れたと考えるのが自然だ。
(……消える……綺麗な、石)
 その情報に触れるのが初めてではない気がして、ラムディスは額を押さえた。しかし、それが何なのかを今は思い出すことが出来ない。後でまたギルドに行って調べてみよう、と結論を出したところで、エカトリーチェがぽつりと話し始めた。
「あたしには……なんにも、出来ないのかな」
 悲しそうな声。
「あの子たち、孤児なの。イタズラっ子のウェルクも、甘えん坊のロカも、おませさんなリナムも……もちろんフィンも、ウチに来る前に、辛い思いをいっぱいして、自分ひとりで抱え込んで……それを少しでも楽にしてあげられればって、数年前にお父さんが預かることを決めたの。ウチにいる間は楽しいこといっぱいで埋め尽くして、ずっと笑って暮らせるように。あたしも子供が好きだったから、毎日が幸せだったわ。……それなのに」
 俯いて、スカートを握りしめる。
「さらわれ、ちゃった。何も気づいてあげられなくて、助けてあげられる力もなくて……あたし……あたし、自分が情けないよ……!」
 ぱたり、と手の甲に落ちる雫。
 それは、今まで気丈にふるまっていたエカトリーチェの、初めて見せる涙だった。
「…………フィン……ッ!」
 静かな部屋に、少女の嗚咽だけが響く。ずっと無言で聞いていたラムディスだったが、やがて静かに席を立つと、エカトリーチェの隣にしゃがみこんだ。
「……大丈夫だよ」
 そっと、少女の手を包み込む。雫を軽く拭って。
「大丈夫。君の気持ちは絶対に子供たちに届いてる。今回のことは、俺に任せてくれ。必ず無事に連れ帰ってくるよ。だから……君は、笑顔で迎えてあげてほしい」
 優しく染み込むような声音。エカトリーチェは少し顔を上げて、潤んだ瞳で声の主を見る。その視線を正面から受け止めて、ラムディスはしっかりと頷いてみせた。
「うん……! ありがとう、よろしくお願いします」
 儚げに笑ってみせたエカトリーチェに微笑を返して、ラムディスはその華奢な白い手を握る力を強くするのだった。

   * *

 薄暗い部屋、光源は出入口付近の頼りないランプのみ。殺風景だが最低限の設備が整えられていて、仮宿として提供されている以上文句も言えない。全てが終われば、こんな辛気臭い部屋ともオサラバなのだ。早く自分の家に帰って思う存分お風呂に浸かりたい。薔薇の花弁でも浮かべて。
 黙っていると気分が滅入って仕方ない。紛らすために他愛もない言葉を吐き出そうと試みる。
「今回の仕事、あんまり張り合いがないわねェ」
 結局出てきたのは愚痴。語尾にくっついた溜息はその内容に対してではなく、この思考回路に。
「そぉ?」
 特に深い意味もなかったが、問いかけるような声が聞こえたため返事を考える。
「だって、イイ男が全ッ然絡まないんだもの」
「そんなこと言って、またジニーに怒られるよぉ」
 くすくすと笑い声を混じらせて、隣から応答がある。
 事実、張り合いがないのだ。やったことといえば、子供に声をかけて、夜中に窓のカギを開けさせ、連れ出したことくらい。あとは時間が来たら外に出て、先行しているリーダーたちと合流し、しかるべき役割を果たせば終わり。
「あのコ、大きくなったらイケメンかもよぉ」
 フォローのつもりなのか、気休めにもならない台詞。
「ジョーダンやめてよ。大きくなる頃には、アタシたちもうオバチャンよ、オバチャン」
「美魔女、だったっけぇ? あれ目指せばいいじゃない」
「それは、言われなくても目指すわよもちろん」
 肯定しておいて、ただしあんなガキんちょのためじゃないけどね、と付け加える。
 再び訪れる静寂。地下のためか物音ひとつしない。ただ待機しているだけというのもなかなか辛いものだ。見た目通り派手な立ち回りを好む自分にとって、『何もしないでいなければならない』というのは苦痛でしかない。
「でも……ちょっとかわいそうだよねぇ」
「何が?」
 今度は隣からの言葉に問いかける番だった。薄闇の中で続きを待つ。
「ただでさえ正体がバレたら捕らえられる運命でさぁ。せっかく平穏に暮らせる時代が来たと思ったら、またこんな風に利用されちゃうんだもんねぇ……」
「利用、っていう言い方はどうかしら」
 まるで自分たちのしていることが悪だと言われた気分で、咄嗟に咎める。だが、相手は訂正する気はないようだった。
「依頼主の保身と自己満足のためなんだから、利用って言われても仕方ないんじゃないかなぁ」
 誰にそう判断されるか、というのは今は問題ではなかった。二の句が継げず、押し黙る。
「……まぁ、ギルド直々のご指名じゃあ、わたしたちも断れないよねぇ」
 苦笑めいた声が聞こえて、二人で同時に溜息をついた。
 依頼を受理したギルドが直接指名してきた。これは今までの経験上類を見ないことだった。理由は『有名だから』だという。
「結構無茶させるわよねェ。アタシたちだって、さすがに誘拐まではしたことないっての。あんのクソジジイ」
「クー、言葉悪いよぉ」
「だってそうでしょうよ。しかも、終わったら返しに行かなきゃいけないオマケつき! 顔が割れるリスクがどんだけあるか分かってんのかしら!」
「でもそこはさぁ、わたしたちが上手くやらないといけないトコだしぃ。それに場合によっては、返しに行かなくても良くなるかもよぉ?」
「あぁんもう、コリー! あんたってホントマイペース!」
 むしゃくしゃして、近くのテーブルをドン! と叩いた瞬間、何故か部屋の明かりが消えた。
「きゃっ!?」
「えっ!? な、何!?」
 ただでさえ暗い室内、光源が失せて闇が濃くなる。隣の顔も判別出来ない。
「クーってば、拳の風圧でランプ消さないでよぉ」
「そんなコト出来るワケないでしょアホか!!」
 突っ込みを入れながら、出入口のランプを再び灯そうと立ち上がり――動きを止めた。
(誰か、いる)
 話に夢中で気づかなかった自分に舌打ちする。しかも丸腰だ。そもそも秘密の場所ということもあって油断していたのかもしれない。カチャ……とランプの蓋をかぶせる音がした。火を消したのは、紛れもなくその人物だ。
「優しい優しい黒猫さん? ちょーっと聞きたいコトあんだけど」
 若い男の声。しかも、自分たちの正体を知っている。隣でも、身構える衣擦れの音が聞こえた。
「最後の会話の意味。『返しに行かなくても良くなるかも』って、例えばどんな時?」
 質問に続いて、金属がこすれる僅かな音。相手は得物を持っていて、しかも振るう用意があるということを示す音だった。男が何をどこまで知っているのか分からないが、黙っているのも得策ではない雰囲気。
「……不慮の事故が起きて、死んじゃった時?」
 隣から響く声は、いつもの調子のようでいてやはり緊張を含んでいる。追随して口を開く。
「あとは、そうねェ……依頼主があのコを欲しいって言った場合、かしら」
 ふん、と鼻を鳴らして男が笑った。
「前者はまぁ、仕方ねーか。世の中何が起きるか分からんし。後者について聞きたい。そうなった場合、アンタらはどう出るつもりだ?」
 あと少し横にずれればナイフに手が届く。男に気取られないよう、じり……と足を滑らせながら、あくまで余裕の態度を崩さずに答える。
「それが任務遂行にあたって最善だと判断したら、渡すことになるでしょうねェ」
「……そっか、なるほどねー」
 男の声は、闇の中にあって不釣り合いに明るい。こちらの油断を誘っているのかもしれず、元来持っている性格が滲み出ているだけなのかもしれなかった。
「分かった、サンキュ。……残念ながら、オレとアンタらは相容れねーな」
「!!」
 ヒュッと、刃が空を切る音。二人同時に飛び退き、ナイフを掴んで声の方向へ投げつける。
――キキィン!
 一瞬、ナイフを石壁に当ててしまったのかと思ったが、今の音は金属同士がぶつかったものだ。暗闇で視界ゼロなのはあちらも同じこと、その刃で叩き落としたのなら相当な手練だが――
「おぉー、すげぇ。頼もしいなぁコレ」
 感心するような声が聞こえて、どうやらそうではないらしいと分かる。同時に、今まで直接届いていた男の声が急に壁の向こうから喋っているような反響になって、不審に思う。扉を閉めた音はしなかったはずだ。
「女相手に、あんまし手荒なマネはしたくなかったからさ。ちょっとソコでしばらく大人しくしててくれる?」
 言葉の意味を飲み込めず一瞬呆ける。だが、男が向ける刃の脅威は去ったと判断して出入口のランプに火を灯したところで初めて、自分たちの置かれた状況に気がついた。
「なっ……何よ、コレ!?」
 この部屋唯一の出入口を、巨大な、しかも密度の高い蜘蛛の巣が塞いでいた。取り去ろうとして糸に手をかけ、あまりに強靭な繊維に唖然とする。
「クー! どいて!」
 落ちたナイフを拾い上げた相棒が、糸を切り裂こうとして先程の金属音に跳ね返される。見ると、糸は金属に変化していた。
「ど……どういうことなのぉ!?」
 呆然としている間に、刃を弾いた金属は再び糸に戻る。その隙間の奥まで届く僅かな光が、元凶の男の後ろ姿を照らした。背中に向かって思いっきり叫ぶ。
「ちょっとアンタ、アタシたちを閉じ込めてどうするつもりよ!? これから大事な仕事なんだけど!!」
「大丈夫、心配すんなって。オレが引き継いでやっからさ」
 返ってくる言葉はにべもない。
「引き継ぐって……あなた、自分が何を言ってるか分かってるの!?」
「あぁ、もちろん。……『ジェムレイン』だろ」
「……ッ!」
 イリーガル・ハンターとして活動を始めて幾星霜。依頼内容は決して関係者以外に漏れてはならないことなど百も承知だ。だが、この男は確実に知っている。その情報を手に入れられる者など限られている。
「……アンタ……何者なの……!?」
 乾いた喉の奥からやっと紡いだ声で、問いかける。男は振り向かず、ヒラヒラと手を振りながら、答えた。
「オレか? オレは――恋のキューピッド、ってヤツさ」
「なっ……」
 何よそれ――という言葉はついに、声にならなかった。

   * *

「おぉラムディス、来たか。――ほれ」
「ん? ……何だこれ?」
 ギルドに到着するなり、迎え入れてくれた職員にいきなり二枚の書類を渡されて、ラムディスは困惑した。
「預かり物だぜ。詳しくは、ギルドマスターに聞きな」
 それだけ言うと、彼は自分の仕事に戻っていってしまった。何が何やら分からず、首を傾げながら書類を見る。
「!! こ、これは……」
 驚くしかなかった。そこに記されていたのは、まさしく今から調べようと思っていた情報そのものだったのだ。慌ててカウンターに駆け寄り、叫ぶ。
「おい、ジーサン! これ、どういうことだよッ!?」
「……まったく、今日は騒がしいのぅ」
 白髪頭のギルドマスターは、同じ色の顎鬚を撫でつけながら小さな窓から顔を出す。ラムディスの持っている書類を見て、ふぉふぉふぉ、と笑った。
「やっぱりお前さんも首を突っ込んだのかね」
「は? やっぱりって何が――」
 詰め寄ろうとして、その発言からとある可能性に気づく。脳裏に浮かんだのは、いつものあの顔。
「…………ユッカか……あの野郎……!」
 脱力して頭を抱え込んだラムディスを横目に、ギルドマスターがさらに笑い声をあげる。
「笑い事じゃねぇよジーサン! アイツ、めんどくせぇから我関せずとか言ってたんだぜ!? それなのに何だよ、ちゃっかり先回りしやがって!」
 だん! とカウンターを叩いて悔しさを滲ませる。
 思い出すのは宿を飛び出す前のやりとり。あの時点では、ラムディスにはまだ手に入れていない情報があり、当然ユッカに伝えられるはずがない。その情報をこうして今ギルドを介してユッカから託されたということは、彼は知っていた上で敢えてあんな態度を取ったのだ。その真意は分からない、ただ、絶対に何か企んでいることは確かだ。
 そんなラムディスへの助け舟のつもりなのか、ギルドマスターは人差し指を立てて言った。
「――では、あの子にも話していないことをお前さんに教えてやろうかの」
「え?」
「箝口令が敷かれている情報だ。これを知る者はギルドの中でもかなり限定される。構わないかね?」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。そんな重要な話、俺が聞いたって何の意味も――」
「意味はある」
 うろたえるラムディスに、キッパリとした口調で告げるギルドマスター。真剣な眼差しは、それが脅しでも冗談でもないことを意味していた。
「お前さんたちの介入で、少し未来が変わるかもしれんからな」
――未来が変わる。しかもこの場合、ラムディス自身の手で『変える』と同義だ。変えたい未来があるとするならば、それはこのまま何もしないより好転する希望がある時。
 ラムディスは無言で頷いて、話を聞く意思を伝えた。

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