Task.2 黒猫

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「黒猫怪盗団?」
 ここはダグラムの一角にある小さな酒場『シェリシュ』。
 煉瓦造りの建物が多いこの街においては珍しく木造建築であるこの酒場は、メインの通りから少し離れた場所に位置するためかとても客足が多いとは言えなかった。だが逆に、それが彼には居心地がよかったりもする。
 ユッカと別れたラムディスは、自分以外客のいないこの酒場で、カウンター席について何故か緑茶を啜っていた。
 カウンターの向こう側からこちらへ疑問の声を投げかけてきた顔馴染みのマスターを見つつ、
「ああ。今朝の新聞読んだろ? そいつらについて何か知らねぇかと思ってさ」
 いつもとは少し違う真面目な雰囲気のラムディスに、マスターもつられて深刻な表情を作りながら答えてきた。
「そうだな、悪いが私も新聞に書いてあった以上のことは何も知らないよ。……そいつらにそのフィンって子が誘拐されたのかい?」
「多分、な。前にその名前をどっかで見たような気がしたんだけど、さっきギルドに確認しに行ってみたらハズレだった。……イヤ、正確には、あったにはあったんだよ。『黒猫怪盗団』の文字が。ただ――」
 そこでいったん言葉を止め、ぬるくなりかけた緑茶を一気に飲み干す。マスターは無言でラムディスが飲み終わるのを見つめながら、次の言葉を待っていた。
 ラムディスは空になった湯のみを、コトン、とカウンターの上に置くと、
「ただ、そいつらの名前が俺が想像していた場所じゃなくて、他の場所にあったんだよ」
「……他の場所?」
 彼の言った言葉の意味が分からず、困惑の表情を浮かべるマスター。その顔をちら、と眺め、すぐに視線を外すと、ラムディスは一つ小さく息をつき、多少ゆっくりとした口調で説明し始めた。
「つまり……俺はてっきりヤツらの名前は依頼書の中にあるものだとばかり思ってたんだ。怪盗団ってくらいなんだから、どっかの金持ちが金品なりを盗まれて、そいつらをとっ捕まえてくれっていうような依頼書の中に、な」
 マスターは頷いて、先を促す。
「だけど俺がどんなに探してもその名前は出てこなかった。んで、仕方なしにギルドの職員に聞いてみたら意外な場所で見つかった。……さてそれはどこだったか……?」
 再び言葉を止めて、ラムディスはニヤリと意地悪そうな笑みを見せ、マスターの瞳を覗いた。どこまでも黒いそれは一見穏やかそうではあるが、その奥には鋭い光がたたえられている。かつてはユッカやラムディスと同じイリーガル・ハンターであった、目の前の男の瞳を。
 彼は若きハンターからの視線を受け止め、迷わず即答した。
「……ヤツらも同業者、か」
「ご名答!」
 ぴっ、とマスターの顔を指差し、ラムディス。
「そう、その名前は依頼書の中じゃなく、イリーガル・ハンター名簿に載っかってたんだ。裏の仕事に携わってる人間が趣味でこんな誘拐なんて表立ったことをするとは考えらんねぇ。つまり――」
「それも『仕事』、なんだろう? しかも割と切羽詰まっている」
 こちらの台詞が言い終わるよりも早く、まさに今自分が言わんとしていたことをマスターに先を越され、ラムディスははっと我に返った。
 さっきから話をしているうちに、いつの間にか自分の世界に入り込んでしまっていたのだ。彼の癖である。照れ隠しのように軽く笑い、がしがしと頭を掻きつつ、素直にマスターの言葉に頷く。
「ああ。さっすが! すべてお見通しってワケか。ついでにもう一つ。今朝の新聞には何て書いてあった?」
「『黒猫怪盗団、宝石店に予告状!』だったか」
「もう分かってるとは思うが、こいつはダミーだ。わざと世間の話題になるような事件を起こしておいて、人々の注意をそっちに向けさせようとしてるんだろうな」
 腕を組み、うーんと唸りながら天を仰ぐ。
「……と、もうこんな時間か」
 そのまま見上げた先の壁にかかっている時計は、もう既に十九時を回ろうとしていた。
 ラムディスは慌てて席を立ち、マントをつけ直すと、
「ユッカに夕飯までには帰るって言ってきちまったからな、今日のところはコレで帰るわ!」
 酒場の出口へ急ぎ足で向かう。が、ふと振り返り、親指を立てて言った。
「あ、緑茶、相変わらず美味かったぜ! また来るよ」
「……お前さんは趣味が渋いんだよ」
 ラムディスのお世辞を苦笑混じりに軽く受け流し、彼が酒場から出て行くのを確認する。
「ふむ、メニューに一品追加するかな……」
 ポツリと呟き、マスターもカウンターの奥へ引っ込んで行くのだった。

   *

 赤髪の青年は、人目を避けるようにしてイリーガル・ハンター・ギルドへ辿り着いた。
 手元には、先程雑貨屋の住人に詳細を聞いてきたメモがある。相棒曰く『エセ古代楔形文字』なヘタ字で書かれたその内容は、落としたとしても本人以外には解読不可能だろう。ある種暗号のようなものだ。
(気になるコトがあんだよなー。信憑性は微妙だけど)
 メモを見ながら、ギルドの資料室で文献を探す。普段活字に親しみのない彼にとって、膨大な資料の山から見つけ出すのは骨が折れる作業だが、司書業務の職員に甘えるのは得意だ。誰に対しても物怖じせず、素直で明るい彼の長所である(子供っぽいとも言う)。
「お、これかな。ホラよ、ユッカ」
「あった? サンキュー!」
 目的の資料を手渡されてユッカは破顔する。早速その場でペラペラとめくり始め、とあるページで手を止めた。横から、探してくれた職員がそのページを覗き込む。
「おぉ、それな。欲に目がくらんだ人間たちによって狩られた悲劇の種族! 姿形は変わらんのに、ヒドイもんだよ」
 何やら感情たっぷりに、自身が同じ人間であることを忘れたようなそぶりの説明を聞いて、思わず苦笑する。
「種族がおんなじだって、くだらねー争いしてるのが人間ってモンだし。別段驚くことじゃねーだろ」
 軽く反論しながら、思い出す。ユッカたちの故郷が滅ぼされた原因も、言わせてもらえば『欲にまみれた』『くだらない』ものだった。結局最後に泣きを見るのは利害関係から程遠い、何も知らない弱い立場の者なのだ。
「まぁ、な。古代の魔法戦争なんかその最たるものだしなぁ」
 かつて起きた大規模な戦争。古代種族が編み出した『魔法』の持つ大きな力をめぐって、大陸の形が変わるほどの激しい争いが繰り広げられたという。その時に多数の魔法種族が滅び、今日の魔法使いが少数派な世界になった。
(コイツらも……欲望の犠牲者、か)
 手の中の一ページに記されているのは、魔法戦争時に労働力として利用され、終戦後もその能力と希少価値から人間たちに狙われ続けた種族と、共生関係にあった動物。現在は二種とも国際的に保護対象と認定されている。
 幼い頃の自分と重ね合わせて少し同情的な気分になっていると、職員が何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「そういや最近、この種族に関係する依頼があったようだぞ」
「! それってもしかして『黒猫』?」
「何だ、知ってたのか?」
 いんや、と否定しながらも、ユッカは笑みを漏らした。予感が確信に変わる瞬間。
(……ビンゴだ)
 メモをポケットに突っ込んで、該当ページの複写を依頼する。自身はカウンターに赴き、顔馴染みのギルドマスターを呼び出した。
「なぁジィちゃん。ワケあって黒猫さんに連絡取りてーんだけど、なんか方法ない?」
 小さなガラス窓の向こうから、老齢の男の顔が覗く。
「黒猫か。あやつらも今は忙しいからのぅ。二~三日後にはギルドに顔を出すと思うが」
「あー、それじゃ遅いのよ。出来れば、今請け負ってるその依頼が終わる前に」
「ふぉふぉふぉ、無茶を言う小僧だの」
 白い顎鬚を笑い声と共に揺らしながら、ギルドマスターは一枚の書類を差し出した。
「通常なら依頼子細を明かすワケにはいかんのだが……まぁ、今回はちぃと特殊な依頼だからのぅ。ほれ、ここがあやつらの臨時のアジト、こっちが現場だ」
 他の任務遂行中のハンターとの接触を許される、という思いもよらない詳細な情報の提供に目を見開く。
「マジで!? いーのかジィちゃん、人をそんな簡単に信用しちゃって」
「何を言うとる、裏切ったら痛いのはお前さんの方だろうに」
 軽口の応酬。ユッカは舌を出して、
「それもそっか。助かった、ありがと!」
 書類を受け取り、眺める。
 現場はゴーダ邸の敷地内。ダグラムでもトップを争う金持ちの家だ。そこからほど近い建物の地下にアジトはあるらしい。こうして拠点の情報をすぐに出せるあたり、この依頼にはギルドも一枚噛んでいると見ていいだろう。むしろギルドが場所を提供した可能性すらある。
 先程の職員に再度関連資料の複写を頼み込んでいるところに、再びギルドマスターから声がかかった。
「そういえば、お前さんたちが持って帰ってきたアレ、なかなか面白い物だぞ」
「面白い?」
「十年ほど前まではチラホラ見かけておったんだが、まだ仕掛けられていた所があったとはのぅ」
「へー」
 遠い目をしながら笑うギルドマスターを見て、老人の話は要点に辿り着くまでが長いんだよなーと思いつつ適当に相槌を打つ。
 掌に乗せた赤い物体をガラス越しに見せられる。昨日の報告時に提出した証拠品だ。
「古代の補助魔法(アシスト)の一種、というのは知っとるな。この核に古代魔術を施すことで周囲に障壁が形成され、核さえ壊されなければ何度でも利用出来る、というものだ。ただ、当時戦うのは魔術師だけではなかったからの。魔法以外の発動手段として、この核を壊すと同じ効果を得られるわけだな」
「ふむふむ」
 分かっているのかいないのか、ポーズだけは理解できているような素振りを演出して頷く。
「もう古代魔術を使える者はほとんどおらん。ゆえに、これを有効活用出来るのはあと一度だけということだ。――お前さん、使ってみるかね?」
「ほうほう。……って、オレが!?」
 突然話を振られて慌てふためく。ギルドマスターは再び笑って、赤い核を差し出してきた。
「ギルドとしては、サンプルは昔に十分手に入れたからのぅ。折角だからこれからの任務に役立てなさい」
 何もかも見透かした風な眼差しを受けて戸惑いつつ、
「お、おう……よく分からんけど、壊せば使えるんだな」
「うむ。効果範囲は大体半径三メートル前後で、狭ければ狭いほど密度の高い障壁になるぞ」
 核を受け取る。グローブ越しに伝わる感触はグミのようで、心なしか鼓動があるように感じる。気にしたら負けだ、とユッカはそれを布に包んで鞄に突っ込んだ。
「サンキュ、ジィちゃん。ちょっと先が見えてきたぜ」
「ふぉふぉふぉ、何をするつもりか知らんが、無茶はせんようにな」
「おう! 任せとけって!」
 元気良く片腕を上げると、ユッカはくるりと踵を返して颯爽とギルドを出ていく。
「おーいユッカ! 資料資料!」
 複写を頼まれていた職員が、紙の束を抱えて慌てて後を追う姿を見て、ギルドマスターは苦笑した。
「あやつはどうも締まらんのぅ……」

   *

 辺りはすっかりと暗くなり、街の様相が昼間の賑やかなそれとは違う、落ち着いた雰囲気に変わった頃、小さな宿屋の一室にて。
 ラムディスは目の前にいる相棒の言葉に、驚きを隠せず立ち尽くしていた。
「……ユッカ、今何と言った?」
 帰ってきたラムディスは、ベッドの上で何事もなかったかのようにごろごろと転がりながら読書(ゴシップ誌であろう)をしているユッカに、今日の出来事と黒猫怪盗団のこととを話して聞かせた。
 ラムディスが話し終わるまで一言も発さず、ただ本を読みふけっていたユッカだったが、協力を求める問いかけに対し、ポツリと一言だけ返事をした。それが、ラムディスの期待していたものとは違う、全く正反対の答えだったため、一瞬耳を疑って聞き返したのだった。
 ユッカはベッドに転がったまま、視線だけラムディスの方に向けて話し始める。
「だから、やだっつったんだよ。何でオレらがそんな面倒なコトにわざわざ首を突っ込まなきゃなんねーんだ」
「面倒ってお前……子供がさらわれてんだぞ? 何か絶対裏があるとは思わねぇのか?」
「そりゃ思うけどさぁ……」
 ばさっ、と本をやや乱暴にベッドの上に放り投げると、自分もごろんと仰向けになり、腕を頭の後ろで組んで、
「その、なんとか怪盗団ってのもオレらの同業者ってんなら、ギルドに届いてた誰かの依頼を受けてそーゆーコトやってんだろ? ギルドがむざむざ騒動を招くよーな依頼を受理するハズがねーし、そんなに心配することもないんじゃねーかって、オレは思うワケさ……」
 瞳を閉じた彼の言葉を唖然とした様子で聞いていたラムディスはしばらく無言でいたが、やがて信じられないといった風にかぶりを振りながら呟いた。
「……随分お前らしくない発言だな」
 その言葉がまるで届いていないかのように、全く反応せず目を閉じたままのユッカ。
「いつものお前なら、こういう類の話はほっとけなくて、お節介なくらいに裏を詮索したがるのによ」
 微妙に皮肉の混じったラムディスの言葉にも耳を貸さず、眠っているかのように微動だにしないユッカの様子にイラついてきたラムディスは、声を荒らげて言った。
「カモフラージュしてまで人をさらう依頼だぞ!? もしこれで誘拐された子の身に何かあったらただじゃ済まされねぇんだぞ!? ギルドだってこんな裏の世界で俺たちに血みどろな生活送らせてんだ、この際どんな悪いヤツからの依頼だって受けかねねぇだろ!!」
「……ラムディス」
 突然ユッカが口を開き、むっくりと起き上がると、いつになく真剣な眼差しでラムディスの目を見て言った。
「ギルドを疑ったら、オレたち終わりだぞ?」
「……!」
 一瞬たじろぐラムディス。
 彼らは訳あって籍を持っていない。そうなると当然正規の職業に就けることはほとんどなく、アンダーグラウンドな職業――つまり、犯罪者や物乞い、あるいはイリーガル・ハンターとして生計を立てていくことになるのは必然の流れだった。そして、ひとたびこの世界に足を踏み入れると、抜け出すのは困難を極める。請け負ってきた仕事の内容が、経歴や自身の精神汚染に重大な影響を及ぼすことになるからだ。
 彼らの生活の根幹を握っているギルドに疑いの目を向けるということは、自分達の首を絞めるという意味を成すことに他ならなかった。
 ラムディスはしばらく思いつめたように俯いていたが、やがて顔を上げ、悲痛な面持ちで叫んだ。
「それでも……それでも俺は! 実際子供がさらわれて悲しんでる人がいるんだ、それを何もしねぇでほっとくなんてこと、俺には出来ねぇんだよッ!!」
「…………」
 ラムディスの感情がひしひしと伝わってくるのが分かり、ユッカは僅かに顔をしかめ、拳を固く握る……が、何も言い返さず、ただ無言であった。
 そんなユッカに業を煮やしたのか、ラムディスはくるりと踵を返して扉に向かう。首だけユッカの方に向けて、
「見損なったぞユッカ! ……もういい、俺一人でやってやる!!」
 言い放ち、バン!! と物凄い音を立てて扉を閉め、そのまま宿を出ていってしまった。
 一人残されたユッカはラムディスの出て行った扉を眺めてしばらく無言でいた後、苦笑し溜息をついた。
「おーおー、ガラにもなく正義感振り回しちゃって。……そいつはオレの専売特許だぜ?」
 呟くと、そのままベッドの脇の鞄に手をかけ、中から大量の紙を取り出し、乱雑にベッドの上に広げる。新聞の切り抜きから、過去の事件や依頼、解決方法の書き記された紙や、建物の見取り図、ハンター名簿――
 それは、先程ギルドで手に入れた、今回の出来事に関係する項目全てにおいての資料だった。
「……うぉ、何だコレ、『暗黒怪盗Z』? 知らんわこんなヤツ!」
 ミスコピーに一人で突っ込みながら、大量の資料と睨み合いを始めるユッカ。その中から黒猫怪盗団の書類を手に取って眺めつつ、かすかに口の端を上げ、呟く。
「『ほっとくなんてこと出来ねぇ』、か……それに関しちゃ、オレも同感だぜ、ラムディス……」

 ラムディスは、夜の通りをどこに向かうでもなく必死の思いで走っていた。
 冷静になって考えてみると、ユッカの言うことも間違ってはいない。ただ、長年付き合ってきた彼の気質から判断するに、今回の返事はラムディスには意外で信じ難いものだった。心のどこかで、当然ユッカは快く手伝ってくれると思っていた節があったようで、思いの外ショックを受けている自分に驚きを隠せない。
 夜の帳が街中を覆っている。
 表通りは昼とはまた違った表情で活気づいているが、ラムディスのひた走る裏通りは灯りの少ないことも手伝ってか、不気味なまでに薄暗かった。
 しばらく無心で走っていたラムディスだったが、やがて減速し――複雑な表情で一人トボトボと歩き始めた。自分の足元を見ながら、ぽつりと独りごちる。
「……は……何やってんだ俺……」
 昨晩、自分が平和な日常を送りたいと夢見ていることを再認識した直後の、今回の出来事。悲痛な叫びをあげる本心と、それに抗うかのように今ここにいる自分に、ラムディスは自嘲するように鼻で笑った。
 頭を軽く横に振り、心の中を整理してみる。
――平穏な生活を望んでいる俺にとって、イリーガル・ハンターとしての仕事を請け負うのは自身を逆に闇に追いやっているに等しい。このまま全てを投げ捨てて、まっとうに働いてまっとうな人生を送れたらどんなに良いかと、今でも……きっとこれからも憧れていくに違いない。
――でも、今、『同業者』の奇怪な行動のせいでフィンがさらわれた。彼女も……エカトリーチェも、悲しんでる。
――俺の求める『平和』って……何だ?
――悲しんでいる人を目の前にしながら、それを見過ごすことなんて俺には出来ない。この気持ちは変わらない。でも、それには……この仕事に関わる以上、結局自分の手を汚すことには変わりはない――
 そこまで考えた時、ラムディスの脳裏にある言葉が蘇る。
『オレ、この仕事も悪くねーと思ってんだ』
『だってさ、裏でとんでもなく悪いコトやってるヤツらを、極秘裏にやっつけてんだぜ』
『そりゃ、この手で人を殺めてるって事実には変わりねーけどさ。オレだって認めたくねーよ』
『でも、ヤツらを野放しにしておいて全く罪のない人間が泣き寝入りするなんて、理不尽じゃん。この仕事で……オレらが手を汚すだけで、そーゆー悲しい人たちが少しでも少なくなれば、万々歳ってモンだろ?』
『ある意味この仕事だって、平和に繋がってるんじゃねーかなって、オレは思うわけよ』
『人知れず、大活躍!! カッコイイじゃん、そーゆーのってさ!!』
 それは昔、イリーガル・ハンターになってしばらくしてから、明け方まで語り明かした時にユッカが言った言葉だった。
 あの時のユッカは、瞳に希望の光をたたえ、終始微笑みを絶やさなかった。
 ラムディスはそれを見ながら、何故コイツはそんな風に楽天的に考えられるのだろう、と不思議でならなかったのを覚えている。
 今、その言葉とユッカの迷いのない声が思い出されて、ラムディスは立ち止まり、髪をかきあげ苦笑した。
「……結局、根本的なところはお前と同じ考えなんだろうな、俺も……」
 呟き、何かを決心したように軽く頷く。
 何となくだが自分の心の整理がつき、どことなく清々しい表情で顔を上げると、ラムディスは自分が今どこにいるのか初めて気が付いた。
 ダグラム唯一の、雑貨屋の前。昨夕はユッカに事情がバレて、今朝は子供たちに散々な目に遭わされた場所。
 考え事をしながら歩いているうちに、いつの間にか表通りに出てきてしまっていたらしい。さすがにこの時間では店は営業しているはずもなく、昼間の喧騒を知っているラムディスは奇妙な静けさを覚えた。
「……何で俺、ここに来たんだろ……」
 自分の無意識の行為ながら首を傾げていると、またもや脳裏にある問いかけが浮かんできた。
――エカトリーチェに、会いに来たんじゃないのか?
「い……いやいやいや!!」
 彼女の名前を認識した途端、ラムディスは顔を真っ赤にしてぶんぶん首を横に振り、その考えを打ち消そうと試みる。
(違う! 俺はあくまで誘拐の謎を調べに来ただけでッ!)
 幸い、雑貨屋の周辺には野良猫くらいしかいなかったので、特に周りを気にすることはなかった……はずなのだが。
「……ねぇ、あなた」
「!!」
 突然背後から響いてきた声に、ラムディスは心臓が跳ね上がるほど驚き、ずざざざと逃げるようにして距離を取りながら、その声の主を確かめた。
 今朝と同じ、若い女の声。その時は怒声だったが、今は穏やかだ。
 店と店の間の細い通路から出てきたらしいその少女は、紛れもなくエカトリーチェ本人だった。どうやら二階の窓からラムディスの姿を発見してわざわざ降りてきたようで、軽装にケープを羽織った状態でそこに立っている。
 ラムディスの過剰な反応に、小さな口を不満そうに軽く尖らせ、
「……そんなあからさまに避けなくったって」
「あ……あぁ、ゴメン……」
 ラムディスはなんとかそれだけ答えると、すーはーすーはーと深呼吸をする。
 エカトリーチェは、どうにも気まずそうにおずおずと近寄ってくるラムディスを見てクスッと小さく笑い、そしてぺこりと頭を下げた。
「今朝はごめんなさい、失礼なことしちゃって。お詫びに暖かい飲み物でも出すから、ちょっと上がっていってよ」
 突然の誘いに、ワケも分からずきょとんと目を丸くするラムディス。
「……え。でも、俺……」
「大丈夫よ、もうあなたじゃないって分かってる。子供たちもみんな寝ちゃってるし」
 彼女は踵を返しながら答えると、再び細い通路に入って行く――が、完全に姿が見えなくなる寸前に、奥の角からひょこっと首だけ出して、ラムディスに尋ねた。
「来るの? 来ないの?」
「あっ、いや……それじゃあお邪魔させてもらおう、かな」
「そう、それじゃ早く。こっちよ」
 頷くラムディスを見て満足そうに笑顔で手招きすると、今度こそ本当に建物の奥へと姿を消した。
 思いもよらない展開にしばし呆然としていたラムディスだったが、自分の欲望より先に事件のことが気にかかり、何か話を聞けるかもしれないと思い直して、誘われるがままにエカトリーチェの後を追った。

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