Task.2 黒猫

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   3

 朝。
「……具合悪ィ……」
「は?」
 なかなかベッドから起き上がる気配のないユッカを尻目に先に起きて一人朝食をとっていると、急に背後からくぐもった弱々しい声が聞こえてきて、ラムディスは素っ頓狂な声をあげる。
 振り返ると、瞼を重そうに開いているユッカがこっちを見つめていた。
「オレ……死ぬのかな……」
「何だよ、風邪か? 珍しい」
 二回目のユッカの台詞は完全に無視し、ラムディスはテーブルから立ち上がりユッカの横たわるベッドに近付くと、その顔を覗き込む。
 外見上は特に普段と変わっている様子は見受けられなかったが、一応彼の額と自分の額とに手をあてて、確認。
「熱……はないみたいだが。どう具合悪いんだよ、もっと具体的に」
「……力が出ねぇ……」
「……お前それ昨日の夜飯を食わなかったからってオチじゃねえだろうな」
「…………」
 無言で布団を顔までかぶってしまったユッカを見て、ラムディスは溜息をつくことしか出来なかった。
 ベッドの脇に腰掛け、近くに置いてあった新聞を広げ、『出現!? 黒猫怪盗団!』などという大きな見出しに多少興味を惹かれながら、
「ホラ、いい加減起きろよ。もしかして俺を騙そうとしてるのか?」
「…………」
 新聞から視線を外し、ちら、とユッカの方を眺めるが、反応はない。もう一度新聞に視線を戻し、更に続ける。
「早くしないと折角の朝飯が冷めるぞ。お前の好きなフルーツタルトもデザートにあるってのに」
「…………」
 再びちら、とユッカを見る。が、相変わらず反応はない。
 だんだんイライラしてきたラムディスは、ついに新聞を床に叩き付け、ベッドから立ち上がる。
「おいコラ!! 俺をおちょくるのもいい加減に――」
「…………くすり」
 すると、今まで何を言っても無反応だったユッカが、突然言葉を発した。それを聞き、ラムディスが固まる。
 その言葉はラムディスの耳にしっかりと届いていたが、彼はユッカがその単語を口にしたのを信じられなかった。いや、むしろ信じたくなかった。
 真剣な面持ちで、尋ねる。
「……今何と言った?」
「…………だから……薬……」
 布団の中から聞こえてくるユッカの声は、変わらず弱々しいものだった。
 今まで彼と一緒に生きてきた数年間。食べ過ぎで腹を壊した時も、その辺に生えてるきのこを何だか美味しそうだからとよく確認もしないで食べてあたってしまった時も、二日酔いで頭がガンガンしている時も。断固として薬を服用することだけは拒否し続けてきた目の前の青年。
 彼が今、自分に『薬』を求めてきた――
 ラムディスの背筋に冷たいものが伝った。急に胸が押し潰されるような感触に襲われ、心臓がどきどきと強く脈打つ。
 しかし、彼の頭は自分が今とるべき行動を知っていた。
「……わ、分かった、薬だなっ。すぐ行って買ってくるから、静かに寝てるんだぞっ。あ、な、何か食べたいものとかあるか?」
「…………リンゴ……」
 病人が食べたがる物の定番であるユッカのその答えにラムディスの不安が更に増大するのだが、とにかく彼は荷物の中の財布をひっつかみ、物凄い勢いで部屋の扉を開け、廊下へ飛び出して行った。

(行ったか……?)
 部屋に残されたユッカは、人の気配がなくなったのを確認し、そろ~……っと布団から顔を出す。すると――
「うわあああぁぁぁぁぁ……」
 ラムディスの悲鳴と、おそらく彼が階段を転げ落ちているのであろう、凄まじい音。
 ユッカは少し老朽化した階段が心配になりつつ、何事もなかったかのようにむくりとベッドから身を起こす。イタズラっぽい笑みを浮かべ、
「……なーんて。ったく、まさかあそこまで動揺するとは思わなかったぜ。でもまぁ、我ながら完璧な演技だったな!」
 満足気に、ぴょん、と反動をつけてベッドから飛び降りると、いそいそと外出の準備を始める。
 額に彼のトレードマークでもあるゴーグルを装着し、遠くからでも観察しやすいように、荷物の中から勝手にラムディスの双眼鏡を取り出して、首に提げる。
「あの雑貨屋、薬も取り扱ってるみたいじゃねーか。こっから薬局行くよか近いしな。へへ……このオレの粋な心遣いに感謝しろよ、ラムディス!」
 おそらくラムディス本人は、ここでユッカが大人しく部屋で待っていてくれればそれなりに感謝したのだろう(騙したことについては立腹するだろうが)。
 しかし、そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ユッカはまたしてもラムディスの後をついて行くつもりだった。
「なんてったって、あいつの恋の行方を一部始終見届けるのが、相棒であるオレの使命ってもんだしな」
 よく分からない独自の理論を展開しつつ、うきうきとラムディスの後を追って部屋を出て行こうとするユッカだったが……ふいに何かに気づき、くるりと部屋の中へ戻る。
「おっと、メシ、メシ」
 テーブルの上に置いてあるパンを口に咥え、好物のフルーツタルトを掴んで今度こそ部屋を飛び出すのだった。

「すっ、すいませんっ!! 薬! 薬下さい!!」
 自慢の俊足でその雑貨屋へ辿り着いたラムディスは、自分が想いを寄せる相手――エカトリーチェの前であるということも忘れて、取り乱した形相で店内に駆け込んだ。
 しかし店内には、ラムディスと同じような表情で、ひたすら三人の子供と何か言い合っているエカトリーチェの姿。
「……あの……?」
 その普通ではない会話の様子に、ラムディスは多少落ち着きを取り戻し、少女らに声をかける。
 すると、その声に気づき振り向いたエカトリーチェは一見冒険者風の男――ラムディスを見つけるなり、すがりつくように叫んできた。
「ねぇどうしよう!! フィンがっ! フィンが誘拐されちゃったのよ!!」
「フィ、フィン?」
「あぁっ! ねぇホントどうしようっ!? あの子に何かあったらあたし……っ!!」
 気が動転しているのか、エカトリーチェは客(ラムディス)の肩を掴んでぐらぐらと激しく揺すりながら悲痛な声を上げる。
「リチェやめなよ、お客さんかもしれないんだよっ!」
 先程言い合っていた子供のうちの一人がエカトリーチェの足にしがみついて止めようとする。
「あ、あの……ひ、ひとまず落ち着いて……」
 脳味噌を揺さぶられながら、ラムディスがやっとのことでそれだけ伝える。エカトリーチェははっと我に返ってラムディスを離し、申し訳なさそうに俯いた。
「……ご、ごめんなさい、あたしったらお客さんに何てコトを――あら?」
 顔を上げてラムディスと目が合うなり、何かに気づいたように動きを止める。
「あなたは……」
「な、何か?」
 少女の大きな瞳で真っ直ぐに見つめられ、一瞬たじろぐラムディス。そして彼女は思い出したようにポンと手をつくと、ラムディスをびしっと指差して宣言した。
「……やっぱり、昨日取り置きしたまま逃げ出して戻ってこなかった不審者ね! 万引きなんてしてないでしょうね!!」
「ふ、不審者……」
 長い間憧れていた人への自分の第一印象が『不審者』になってしまったことにショックを受け、ラムディスは心の中で泣きながら(そしてユッカをほのかに恨みながら)肩を落とした。
 そんなラムディスの心境などつゆ知らず、エカトリーチェはラムディスの格好をじろじろ観察し始める。
 動きやすそうな軽装に、腰には二本の短剣。どこにでもいそうなごくごく普通の旅人なのだが、今の混乱した少女の目には、そのラムディスの姿さえフィンをさらっていった怪しい人物のように映って仕方がないようだった。
「犯人は現場に戻るって言うわ……はっ、もしかして!」
 ふいに表情を険しくすると、手近にある店の商品をひっつかみ、怒りを声に出しながら手あたり次第ラムディスに投げつけ始める。
「あなた! 今朝ウチに変なカードを置いてった黒猫怪盗団だか黒潮怪盗団だかの一員ね!? ちょっと! フィンをどこへやったのよ、ねぇ!? 返しなさいよッ!!」
「へっ!? ちょ、だから俺には何のことだか――」
 次から次へと飛来してくる商品を躱し、防御しながら、ラムディスは混乱しつつも今朝見た新聞の見出しを思い出していた。
(黒猫怪盗団……? そういえばどこかで見た――)
 しかし、そのラムディスの思案も長くは続かなかった。
「!? ――ッ」
 突然背中に凄まじい衝撃を受ける。危うく倒れそうになるが何とか踏み止まり、振り向くと、
「フィンを返せっ! 泥棒!!」
 黒い短髪の男の子が、自分の体の大きさには見合わないバットを必死に抱えながらラムディスを睨んでいた。恐らく彼が背中を殴りつけたのだろう。
 そして、その横には栗色の髪をした女の子がホウキを手に、灰褐色の髪の男の子も同じようにチリトリを握りしめて、やはり憎しみの表情でラムディスの顔を見ている。
「リチェを困らせるやつはみんなやっつけてやるもの!!」
「そうだそうだ! フィンをどこに連れてったんだ!!」
 鋭い視線を受けて、必死で釈明の言葉を探す。が、聞いてくれそうもない雰囲気なのは明確だった。
「だ、だから俺は違うって……! だあぁっ、くそッ!!」
 再びエカトリーチェと三人の子供の一斉攻撃を浴びて、女子供相手に手が出せるはずもないラムディスは、くるっと踵を返し、全速力でその場を後にした。

 路地に駆け込み、追ってこないことを確認して息を整える。まずは混乱する頭を必死に整理しようと試みた。
(フィンがさらわれた、とか言ってたよな? あの場にいなかった、一番年上っぽい金髪の男の子か……)
 胸中で確認しつつ、さっきエカトリーチェの口から飛び出した一つの言葉に思案を巡らせる。
(『黒猫怪盗団』? 今朝の新聞以外にもどこかで見たことあるような……その名前)
 再び路地を出て、通りを歩き出す。ぶつぶつと独り言を呟きながら、一人顎に手をあて。
(……そーいや、いつだったかギルドにそんなような名前が書かれた書類があるのを見たような……イヤ、どちらにせよフィンがそいつらに誘拐されたってんなら何か手を打たなきゃな……。にしたって手がかりもねぇし、肝心の保護者があの様子じゃあ……ってそうだ! アイツの薬も買わなきゃならんっつーのに! くそッ! 何でこうもタイミングがいいんだか悪いんだか次から次へと――)
 自分の運のなさを呪いながら、近くの店のウィンドウガラスに疲れたように手をかけ、嘆息する。と、その時――
「……あ?」
 彼は見てしまった。
 顔を上げ、ガラスに映るのは自分の顔、街を右へ左へ行き交う人々。道の反対側に建ち並ぶ数々の商店。
 そして何故かその中の一つの店の屋根の上に座り、双眼鏡でこちらを見つめている、どこか見慣れた背格好の青年の姿。
「…………」
 その姿勢のまま、二階建て屋根の上の人物をガラスの反射越しに無言で眺めるラムディス。十秒程その状態が続くと、その不審人物はゆっくり立ち上がり、そろそろと後退し始めた。
 逃してたまるかと、そこでようやくラムディスが振り返り、周囲の視線もものともせずに、思いっきりその青年に向かって怒鳴り声を浴びせかける。
「てめェコラユッカ!! おとなしく部屋で寝てろっつったろうがッ!! 元気いっぱいじゃねぇか!!」
 青年は傍目にも分かるほどびくっと肩をすくめ、慌てて屋根の向こう側に回って逃げようとする。が、
「……お?」
 焦っていたらしく、迂闊なことに屋根の頂点につまずき、体が宙に浮く。
「お、おおぉぉ!?」
 こちらもラムディスの怒声に負けず劣らず街中に響き渡るような大きな声(悲鳴?)をあげ、ごろんごろんとまるで雪玉のように屋根を転がり落ちていった。
 そして、数秒後の『何かが落ちる盛大な音』と、その現場周辺の人々のざわめきを耳に入れ、ラムディスは溜息をつく。
「……ったく、あの馬鹿ッ!!」
 そう吐き捨てると、ラムディスはその騒ぎの中心へ向かって走っていった。

「……ってぇ!!」
 屋根から綺麗に転がってきたユッカは、ちょうどその店の脇に積んであった空の木箱の上に落ちた。受け身を取ったので衝撃はそれほどでもなかったが、がらんごろんとどうにも派手な音が鳴り響く。最後の一つが動きを止めてようやく、辺りに静寂が戻ってきた。
 まるで木箱の風呂にでも浸かっているような滑稽なポーズで埋まっている彼の周囲に、何事かと人々が集まってくる。それをゆっくり眺めて、ユッカは愛想笑いを浮かべた。
 その時、人垣を潜り抜けるようにして黒髪の青年が姿を現す。顔に張り付いた表情は、一目で分かるほど『怒』だ。
 だらんと座っていたユッカの胸倉を掴んで引きずり出し、ラムディスは拳をプルプルと震わせて今にも殴りかからん勢いで叫んだ。
「お前こんなトコで何してんだよ! 具合悪いってありゃ嘘だったってのか!?」
「あー……はは、なんか治ったっぽい?」
「いいさ、百歩譲って仮病ではなかったと信じてやろう。だがその後、俺を尾行し、観察し、屋根に上って、挙句の果てにはこんなに散らかして!! よく見ろ周りを! お前は一体他人様にどんだけ迷惑かけりゃ気が済むんだ!?」
 一気にまくしたてたためか、ぜぇはぁと肩で呼吸をしながらユッカを睨むラムディス。
 そのあまりの剣幕に気圧されたユッカが、いきり立つラムディスに対してようやく発した一言は、
「ま、まぁまぁ落ち着けって。『短気は暢気』って言うし」
「言わねぇし――ってかお前が言うなぁぁ!!」
 さらに火に油を注ぐ結果になったらしく、余計に憤慨させてしまう始末。
「相棒の一大事だと思って本気で動揺しちまった俺が馬鹿みたいじゃねぇか! お陰でリチェからは不審者扱いだし黒猫怪盗団に間違われるし、子供たちにも殴られるしで散々だぜ! どうしてくれるんだ!!」
 その言葉に「それはオレのせいじゃねーんじゃ……」と胸中で呟きつつ、
「何だよ、お前を自然に雑貨屋へ足を運ばせるというこのオレの粋なハカライが、お気に召さなかったってのか?」
 と、さりげなく反論してみる。
 その言葉を聞いて何かに気づかされたように、ぱっ、とユッカの胸元から手が離れる。
「……そうか。お前、俺のために……」
 少しトーンダウンしたラムディスの声音にホッとしたのも束の間、再びじろりと濃紺の瞳に睨み付けられて後退りする。
「ってやっぱそれ仮病だったってことじゃねぇか!!」
「げ、バレた」
「別にそのハカライとやらがなくても一人で行けるし! 馬鹿にすんな!」
「……わ、悪かった、ゴメンって」
 まるで早く大人になりたい子供のような物言いに、吹き出しそうになるのを堪えながら謝るユッカ。そしてサッサと辺りに散乱した木箱を片付け始めた。周囲の人々に愛想良く謝りながら。
 まさかユッカが自ら進んで片付けるとは思っていなかったのだろう。その意外性にラムディスはそれ以上何も言えなくなってしまった。横目で見ながら、こほん、と咳払いをすると、ラムディスは散っていく街の人々と共に背を向ける。
「どこ行くんだ?」
 ユッカは片付けの手を止め、背中に声をかける。ラムディスはその問いに、振り向かずに静かな声で答えた。
「何でもねぇよ、ちょっと調べ物だ。夕飯までには戻る」
 そのままラムディスは人々の雑踏の中に消えていった。
(黒猫怪盗団ねぇ。ちょーっと詳しい話聞きに行く必要がありそうだな)
 後ろ姿を眺めながら心の中で呟き、消え入るまで見送ると、
「……へへ、面白くなってきた」
 まるで反省していないかのように舌を出し、再び片付け作業に戻るユッカ。
 後に、この時の墜落が原因で壊してしまった双眼鏡について、再びラムディスの怒声を浴びることになるのだが、今のユッカは知る由もなかった。

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