Task.2 黒猫

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 最後の一太刀を浴びせると、対象物が地面に沈む。始めはジタバタしていたそれが動きを止めるのを見届けて、ユッカは露を払った剣を鞘に収める。
「ふー、いっちょあがり。……で、コイツは何なんだ?」
 グローブを右手にはめ、前髪をかきあげたラムディスは、ユッカの問いを受けて荷物から書類を取り出す。眉間に皺を寄せてしばらく目を凝らしていたが、結局その口が発したのは溜息だった。
「……よく分からん」
「読んでそれかよ。ちょっと貸してみ?」
 ユッカに書類――ギルド発行の手配書と命令書をぶんどられて、ラムディスは半眼でそれを見つめる。
「俺に分からんモンが、お前に分かるとは思えないんだが」
「なにをぅ? 言ってくれるじゃねーか、見てろよ」
 威勢のいいセリフを吐いて、ユッカが書類に取りかかる。ものの一分もしないうちに、あからさまなクエスチョンマークが彼の頭上を占領した。
「…………なんだこりゃ」
「な? だから言ったろ?」
 諦めのポーズと共に、今しがた倒したばかりの対象物を見遣る。大きなツルを持った植物――に見えなくもない。
『隣町への近道を何かが塞いでいるから対処してくれ』という依頼で赴いてみれば、パッと見何もないごく普通の古道。足を踏み入れた途端に突如現れたそれは、最初は大きな蜘蛛の巣のような形をしていた。中央にある赤い核が、まるで巣の主であるようだった。
 手で引きちぎろうにも強靭な繊維質が程良く伸びる。ユッカが剣で切りつけようとすると途端に金属のような硬さになってビクともしない。ラムディスが炎の物理魔法(エレメンタル)で攻撃してみれば、今度は金属が太い植物のツルに変化し、表面の粘液のようなものでそれを無効化してしまった。
 結局、ラムディスが連続して弱い魔法を放出し、ツル状になっている間にユッカが切り落とす、という手段で倒すに至ったのだった。
 切ったところがしばらく地面でのたうち回っていた辺り、元が生き物であったことは間違いない。ギルドの命令書にも『古代に使用されていた、有機物を媒体とする補助魔法(アシスト)の一種と思われる』という記載がある。
「前もって仕掛けておいて、逃げる時に追手を足止めするとか、そーゆーコトか?」
「多分そんなところだろうな。今みたいに連携して壊すことは出来ても、時間稼ぎにはなるだろうし。……大方、昔の人が片付け忘れたんだろ」
「げっ、なんかヌメヌメしてる」
 処理済みの証拠品として持ち帰るため赤い核を掴もうとしたユッカが、顔面いっぱいに嫌悪を浮かべる。悪臭などがないのは不幸中の幸いか。
「しっかし、外部からかかる力に対して形態を変えるなんて、器用なコトが出来るモンだなー」
 繊維であり金属であり、今は植物である残骸を拾い上げながら、ユッカがしみじみと呟く。確かにこのような技術が常用されていた古代の戦争では、攻める側にとってこれほど厄介な素材も無いだろう。
「魔法ってフシギだなー」
「はいはい、今さら子供みてぇなこと言ってねぇで、サッサと帰るぞ」
「ちぇ。自分は使えるからって、ずっりーの」
 ラムディスに軽く一蹴されてブーブー言いながら、ユッカは指先でつまんだ最後の欠片を紙に包んで荷物に放り込んだ。

 太陽が月と交代した頃にダグラムへと戻ってきた二人は、ギルドで無事報酬を受け取った後、宿への道を歩く。
 ダグラムは中央の噴水広場から放射状に八本の通りが伸びている。その中でも、正門から庁舎までの南北を貫く二本の大通り沿いは商店が軒を連ね、毎日活気で溢れていた。
「あー、ハラ減ったなー」
 屋台から漂ってくる香ばしい匂いが、ユッカの空腹感を程良く刺激する。今日は何食おっかなー、などとキョロキョロしていると、ラムディスが何かを思い出したように立ち止まった。
「……ん? どした?」
「マズイ! 始まってる!」
「何がだよ?」
「タイムセールだよ! いいかユッカ、薄給の俺たちにとってそのほんの少しの値引き額が後々命取りになることもあるんだ! そして目利きには自信のある俺が一人で行ってくるから、お前はゆっくりメシでも食ってろ! なっ!」
「え? え?」
「えぇい話してる時間も惜しい! じゃあまた宿でな!!」
「あ、ちょっ――」
 怒涛の勢いでまくしたてたと思った次の瞬間には既に近くの角を曲がっていった相棒の姿を見送って、ユッカは雑踏の中で立ち尽くしていた。
「タイムセール、ねぇ……」
 普段の旅に必要な買い物は全てラムディスに任せっきりだった。時間によって安くなる商品は、夕飯時をとうに過ぎた惣菜くらいのものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ましてあそこまで急ぐからには、余程特別な事情があるに違いない。高級干し肉が半額以下だとか、チーズ詰め放題だとか。
(……でも、あっちの通りは食いモン屋じゃなくね?)
 一仕事終えた直後で手元に金がある、しかも夕飯前という時間帯に、美味しそうな食べ物の屋台が目の前に立ち並ぶのを無視してまで、わざわざ赴く店のタイムセール。ユッカは俄然興味が湧いてきた。
 元々、面白そうなことにはとりあえず首を突っ込んでおく性質である彼は、こっそりラムディスの後を追ってみることにした。

 大通りほどではないものの、他の通りもそれなりに混雑している。その中でひときわ集客が目立つ店があって、ユッカは足を止めた。
「雑貨屋……アジアンタム、か」
 小さな葉があしらわれた置き看板の文字を読み上げる。こぢんまりとしているが、今まで立ち入ったことのないジャンルの店で興味を惹かれる。
 店先には複数の大きなカゴ、中にはそれぞれ可愛らしいデザインのコップや皿、インテリアなどがひしめきあっている。だが雑多な印象ではなく、計算されたセンスの良さが店全体からにじみ出ていた。まさにタイムセール中らしく、色とりどりの値札で飾られていた。
 とりあえず、店頭で品定めをしている客を避けて控え目に店内に入ってみる。
「へぇ、意外に綺麗なんだな……」
 狭い店内に所狭しと並べられた商品にはホコリ一つ付いておらず、大きな棚に規則正しく納められていた。日用品や薬に乾物食料、簡素な装飾品までもが揃っている。
 ふと、商品棚から外れた場所に置いてある一つの物がユッカの目に留まった。
「木の短剣……武器なんかも置いてんだ」
 見た感じ、それは素人による手製の物らしい。少々いびつな形をしているが、致命傷とまではいかなくともある程度の傷は負わせることができそうな物だった。
 それを手に取り、ユッカは顔をほころばせながら、
「懐かしいなぁ。オレも昔はこんな感じの剣で遊んだもんだ。そんで周りの大人どもに激突したりし――」
「オイ! そこのおじちゃん邪魔!!」
 唐突に店の奥から聞こえてきた子供の声が、感傷に浸るユッカの意識を現実に引き戻した。眉を顰めて振り向くと――
「ぐふッ!?」
 鳩尾に物凄い衝撃をくらい、思わずユッカは地面に膝をついた。気を抜くと今にも遠くなりそうな意識の中で、彼は必死の形相で自身にタックルして来たものを睨み据える。
 それは、先程聞こえてきた声の主であるらしかった。ユッカが持つオモチャの木の剣を奪い取った六~七歳の黒髪の男児が、何事もなかったかのように店の外へ向かって小走りで去っていく。
「……おい……ちょっと待て……誰がおじ」
 喉の奥からかすかに振り絞るような声でその子供を静止させようとするが、
「まってよウェルクー!」
「ぎゃっ」
「ウェルクもロカも、だまって行ったら後で怒られるんだよーっ!」
「ぐえっ」
 立て続けに現れた子供たちにアゴをどつかれ足を踏まれて、ユッカは成すすべもなく崩れ落ちた。何だ何だと様子を窺う客の視線が周りを取り囲む。
 その時、さらに店の奥から若い女性の声が響いた。
「ちょっと皆、そろそろご飯の時間なんだから、遊びに行かないで戻ってきなさーい!」
 よく通る、凛とした声。人々の視線が自然とそちらへ向く。
 人垣の間から現れたのは、金髪を肩の上で揃えた十八~九くらいの少女だった。無様に倒れているユッカの姿を認めて、慌てて走り寄ってくる。
「だ、大丈夫お客さん!? ウチの子たちがごめんなさい! フィン、皆を呼び戻してきて」
「うん、わかった!」
 淡い金髪の男の子が店を出ていくのを見届けてから、少女はユッカが立ち上がるのを手助けしてくれた。
「サンキュ。完っ全に油断してた」
 未だダメージの残る腹をさすりながら苦笑する。
「本当にごめんなさい。後でよーく言い聞かせておくわ。お詫びと言ってはなんだけど、良かったらこの割引券使って?」
 少女から笑顔で差し出されたのは手作りらしい小さな券。ひやかしに立ち寄ったなどとは言えるわけもなく、商売上手だなぁと感心などしつつ、ユッカはそれを大人しく受け取った。――その時。
「あああぁぁぁっ!?」
 店の入口付近から叫び声がして、店内の人間が一斉に振り返る。そこには、商品がたくさん入った買い物カゴを地面に落として呆然と立つ一人の青年の姿。
「あれ、」
 ユッカが彼の名前を呼ぶより早く、その青年はダッシュでユッカの腕をむんずと掴むと、強い力で店の外へと引っ張り出した。
「すすすすみません、ご迷惑をおかけしました! そのカゴ取り置きしておいてくださいッ!!」
 半ば裏返った声で一気にまくしたてると、青年はユッカの腕を掴んだままくるりと踵を返す。そのまま物凄い勢いで緑のマントをなびかせ、店を後にした。
 悲鳴を上げながら引きずられていく赤髪の青年の滑稽な後ろ姿を眺めながら、少女は呆れたように呟いた。
「……何だったのかしら、今の……」
 路地に入って姿が見えなくなったところで、客たちは興味をなくしたようでそれぞれの買い物に戻っていく。
 取り残された買い物カゴを持ち上げたところで、
「リチェ、会計頼むー!」
「あっ、はーい、ただいま!」
 自分を呼ぶ声に返事をして、少女もまた仕事に戻っていくのだった。

「……おい、いい加減離せっての!!」
 しばらく走っただろうか。比較的人通りの少ない通りで腕の痛みを訴えたところで、ようやく青年の爆走が止まった。バッと自分の腕を掴んでいる手を払いのけると、額のゴーグルを首元に下ろして一息つく。
 強硬突破を強いられた原因の青年――ラムディスはどこか不機嫌な様子で腕組みをしていた。低い声で問いかけてくる。
「……何でお前があの店にいるんだ」
「何で、って言われてもなぁ。たまたま通りかかって、面白そーだったからさ」
 嘘ではないよな、と思いながらユッカは答える。
「メシは食ったのかよ?」
「あー、イカ焼き一本だけ」
「それじゃ足りないだろ。今すぐ大通りまで食いに戻った方がいいぞ。急がないといろいろ売り切れるぞ」
 少なくとも、夕飯時が終わる頃くらいまではどの屋台も営業しているだろう。あまりに自分を邪魔者扱いする露骨な態度に、ユッカもだんだんイライラしてくる。
「いや意味分かんねーし。オレがあの店にいたら、なんかマズかったワケ?」
「うっ……べ、別に、マズかねぇけど……」
 詰問に口ごもるラムディス。ユッカはさらに続ける。
「つーかオレの方が被害者だし。ガキどもに殴られて蹴られて大変だったん――」
「あの子たちがそんなコトするワケねぇ!!」
 今度はユッカが気圧されて後退りする番だった。まぁ確かにちょっと誇張表現だったけど……と反省しつつも、急に怒りだしたラムディスに戸惑いを隠せない。
「あのリチェが面倒見てる子供たちがそんなに行儀悪いワケねぇし、大体何なんだ、ドサクサに紛れてリチェの手を握ったりして! おっ、お前はあの子に興味でもあるのか!?」
「…………はぁ?」
 耳を疑って、思わず聞き返す。
「何言ってんだお前?」
「!!」
 やっと自分の発言内容の重大性に気がついたラムディスは、その場で硬直してだらだらと冷や汗を流している。
 ユッカは怪訝な表情で、彼の様子を興味深く観察する。
――二人の間を、重苦しい風が吹き抜けていった。

 ラムディスは拳を固く握りしめる。
 今のは完全に失言だった。すっかり動揺していたのだ。彼女が手を差し出しながら笑顔でユッカと話していたから。
 しばらく無言の睨み合いが続いたが、最初に口を開いたのはユッカの方だった。
「ラムディス」
「……何だよ」
 呼びかけにバツの悪い思いで応じると、途端にユッカの顔は険しいものから一転して、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「お前も色々と多感なお年頃になったんだなー。オニーサンは嬉しいぞ?」
「……」
 ラムディスが何も言い返せないのをいいことに、ユッカは変わらずニヤニヤしながら、遠慮なしにぐりぐりと彼の頭を撫でた。
「ん? 恋の悩みだったんか? オニーサンに言ってみな?」
「…………最悪だ……」
 最早それだけ言って絶句するしかなく、ラムディスは自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。
 これまでずっと隠し通せてきたというのに。
 そのまま卒倒してしまいたい気分だったが何とか気力で踏み止まる。生気のない虚ろな目で、ラムディスの気持ちとは正反対にどこまでも青く澄み渡る雲一つない空を見上げる。
 そんなラムディスの傍らでは、ユッカが瞳を希望の色に染めていた。胸の前で固く拳を握り、ラムディスとは違う方向の空を見上げながらもう片方の手で遥か彼方を指差して、元気に宣言する。
「よし! 何がなんでもあのコを落とすぜ!! だーいじょうぶ、この頼れるオニーサンのユッカさまに任せておきなさい!!」
「…………」
 ラムディスが空から自分の周りに視線を戻すと、そこには物珍しそうな目で彼らを見つめ、そのまま去って行く幾人もの通行人の姿。
 煉瓦造りの高い建物に挟まれた道路に立ち、再び空を見上げたラムディスの耳にはもう、行き交う人々のざわめきも、また何やら叫んでいる青年の声も届いていなかった。
 ただ一言、「神様……」とだけ呟いて閉じた瞼の端からは一筋の涙が零れ落ちる。
 この世に生を受けて二十一年間、ずっと無宗教を貫いてきたラムディスは、この日ちょっとだけ神様の存在を信じてみよう、と思った――

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