Task.1 遂行
7 翌日、ルナリアの見送りを受けてミルラの村を出発したラムディスとユッカは、太陽が頂点をとうに過ぎた頃にようやくダグラムの街の外門へと辿り着いた。 何故こんなにギリギリになったのか。その理由と責任について道中散々なすりつけ合いを繰り広げてきたが(要するに二人して寝坊した)、とうとう決着はつかなかったらしく、双方が疲労困憊顔で門をくぐる。 総合都市『ダグラム』。 リジェスティ共和国の南部に位置する城塞都市は、その立地と威容から首都と見紛う旅人も少なくないという。 豊富な資源と活気のある市場、一番近い港町からでも乗り合い馬車で一時間程度と交通の便も良く、実際の首都であるラナンキュラスと比較しても人口はダグラムの方が多い。 強固な城壁に守られているのは昔の戦争の名残。現在は魔物が入り込むのを防いでくれている。もともと周辺には弱い魔物しかいなかったのだが、これにより国内で一番安全な街と噂され、さらに人を呼び込む要因になっているのだった。 ――ただ、そんな平和な街にも裏の組織が存在しているという事実はあまり知られていない。それが、二人の所属する『イリーガル・ハンター・ギルド』だ。 国家試験を経て正式に任務を受ける公認ハンターと違い、基本的にはギルド所属契約金を払った上で秘密を洩らさなければ誰でもなることが出来る。 公認ハンターは主に魔物の討伐や犯罪者の身柄確保、町や村の護衛などがメインで、数々の支援や保障が受けられる。対してイリーガル・ハンターは、殺人などの汚れ仕事や、ハンター自身の社会的抹殺に関わる危険な依頼が舞い込んでくる。ギルドは、極秘に事を始末したい依頼人と遂行者の橋渡しを務める機関だった。 イリーガル・ハンターの規則では、任務の完了に要した時間によってその報酬も変わってくる。それだけ社会的に危険な対象だからという理由もあるが、大抵の場合は国家権力者規模の人間の利益が絡んでくるのだ。 政治家、王宮の官僚から、借金取りまで様々な暗殺依頼がギルドに届くが、二人が引き受ける仕事はもっと安易な――例えば、金持ちの荷馬車を護衛してほしいといったレベルのものだった。 理由は簡単である。 国家官僚らのくだらない利益紛争に間接的に加担し、大金を餌にいいように利用されるほど馬鹿ではない……とラムディスは自負しているが、 「だってアイツらに関わると、大抵バックに強力な傭兵やら魔術師やらがついてんだもんよ。相手にしたってどーせ痛い目見るだけじゃん」 というユッカの持論が本音らしい。 そんな二人にとって、今回の『ガッツェ抹殺』は久しぶりに大きな仕事だった。報酬の額も比べ物にならず、それを単なる寝坊で一割カットされてはたまらない。減額分だけで他の瑣末な依頼の報酬より多いのだ。 帰郷を懐かしむ暇もなく、二人は任務完了報告と報酬の受け取りのため、ギルドへと続く狭い裏路地を急ぎ足で歩いていた。 「おいユッカ、今何時だ」 「んー……十四時四十八分。あと十分ちょいでアウトだな」 腕時計を睨みながら冷や汗を垂らし、さっきよりやや歩調を上げるユッカ。 一方のラムディスは現在時刻を聞き終わる前に無言で――凄まじい形相で走り出していた。 「ちょっ……な、えっ!? 速っ!!」 マントを激しくはためかせて前方を行く後ろ姿に手を伸ばすが、すぐにその動きが無意味だと思い知る。振り返りもせず、一心不乱に脇目も振らず走り去った相棒に肩を竦め、ユッカも彼の後を追って走り始めた。 どんな街にも明暗がある。イリーガル・ハンター・ギルドの所在地もまさに『暗』の区域に属していた。 一般人はおよそ寄りつかない裏道を通ってしばらく行った、少々怪しい飲食店の地下にそれはあった。周囲は殺風景で、訳ありの人間しか用のないこの区域は、非合法の存在であるギルドにとってうってつけの場所だろう。 店の主人も実はギルドの関係者だ。表向きのカモフラージュとして、店はまったく繁盛していない風情を醸し出している(ちなみにマズイと評判である)。営業利益など出ていないに等しいが、目的が別にある以上、さして問題でもない。とある秘密のメニューを注文した者だけが、この奥の地下階段を通ることを許されるのだ。 階段を下って薄汚い扉を開けると、そこもまたきな臭い雰囲気が漂う部屋。窓口のあるカウンターがひとつと、その奥に職員が数人。隣の部屋は膨大な資料室。そして、ラムディスたちと仕事を同じくするイリーガル・ハンターがいた。 依頼を受けに来る者、報酬を受け取りに来る者、何故だか他のハンターと揉めている者、この場所をほぼ住処同然にしている者――様々なハンターが集まるが、会話の内容は人の生死に関わるダークな物ばかりであった。 重々しい空気が常に蔓延しているこの部屋が、今日はいつもと違った。 ――地鳴りのような複数の足音が近づいてくる。 何かが怒涛の勢いで階段を降りてきたかと思うと、とてつもない勢いで扉を開け、そこから一人の青年が姿を現した。突然の騒々しさに、そこにいた誰もが扉の方に注目する。 その黒髪の青年は、息を切らしつつも瞬時に部屋の時計を見遣り、 「……よっしゃあ五分前!! これなら間に合――」 「ぅゎぁぁぁああああっっ!!」 言い終わらないうちに階段から絶叫が響き、彼の言葉をかき消す。そして次の瞬間、激しい轟音と共に扉の付近で砂埃が巻き上がった。 しばらく呆然とする室内。 何事かと皆が近寄ってみると、そこには無残にも足元にタックルされて顔面から崩れ落ちた先程の青年の姿があった。 「いててて……」 タックルしたと見られる赤い髪の青年が、頭をさすりつつ起き上がる。その顔を見て、騒がしい二人が誰だか判断できたハンターたちは、それぞれサッサと元いた位置に戻っていった。一人のハンターが苦笑しながら声を掛ける。 「ラムディス、ユッカ。またお前らか」 ユッカと呼ばれた青年は、ぱんぱんと埃を払って立ち上がると、自らがそういう目に遭わせた人物――ラムディスに向かってあっけらかんと尋ねる。 「おーいラムディス。大丈夫かぁ?」 「……大丈夫……なワケねぇだろぉぉッ!!」 がばっと起き上がってユッカの胸元をぐいっとつかみ上げると、ラムディスは至近距離で叫んだ。 「てめェ、これで俺を潰すの何度目だと思ってんだ!! 何度同じトコでコケりゃ気が済むんだよッ!!」 「だってよー。ここの階段ボロいんだもん」 口を尖らせて言い訳するユッカ。 「てめェにもーちっと落ち着きがあれば問題ねぇんだよ!!」 「逆に、お前が後から入ってくれば万事解決じゃね?」 「だから開き直るなっつーの!! 踏むぞ!!」 「ってぇ!! だからって今足踏むなよな!」 今にもケンカが始まりそうな二人の間に、人の良さそうな壮年ハンターが割って入る。 「まぁまぁ二人とも。……いいのか、報酬は? 時間ないんだろう?」 彼がチラリと目でカウンターを指しながら言うと、ラムディスの顔から血の気が引いた。 「はっ、そうだった! 俺としたことが、ついコイツのペースに!」 勢い良くカウンターに詰め寄ると、驚異的な速さでギルドの職員に仕事結果の説明を始めるラムディス。 「さっすが、ウチの家計握ってるだけはあんなー」 それを見てユッカが感心せずにはいられないといった様子でしみじみと呟くと、周囲から軽い笑いが起こった。 ――二人はある意味、有名人だった。何せ年齢が一桁の頃からここにいる。 各々が胸に様々な事情を抱え、イリーガルな世界で暮らすハンターたち。その中でも年若い彼らのことを、子供のように可愛がる者もいれば、年季を知らぬ新参者は青二才と罵ったりもする。 重圧のかかる仕事をこなしてもなお明るい彼らが吹き込む風は、殺伐とした空間に不思議な活力をもたらしているのだった。 事務手続きは字の綺麗なラムディスの役目だ。ユッカはカウンターを横にずれて報告書を書く彼の肩に、ちょこんと顎を乗せて覗き込む。 「どーだった?」 重い、と肩で振り払いながら、 「間一髪。後はコレと証拠品提出し――」 そこまで言ってラムディスは硬直する。 数秒ほどその姿勢のままでいただろうか、がばと背後のユッカを振り返り、ポツリと尋ねる。 「……そーいや、ヤツを始末した証拠って何か持ってきたっけか……?」 「……あー……」 ユッカはその問いには答えようとせず、テーブルの上の書類に視線を落としている。 また数秒の沈黙。ハンターたちのざわめきが薄暗いギルド内に響き渡る中、彼らの周囲の時間だけが止まっていた。 ターゲットの抹殺依頼では、仕留めたことを証明する物を提出するのが決まりだ。証拠を提出出来た時点で初めて報酬が全額支払われる。状況証拠のみの場合、ギルドの職員が直接確認しに行くことになり、その間支払いは保留、さらに手数料で結構な割合持っていかれることになる。また、証拠の提出があってもそれが虚偽だったり、実は仕留めきれていなかったりといったことが後で発覚すればペナルティ。確認すら取れなければ、当然報酬はゼロだ。 ラムディスは思い出していた。ガッツェにとどめの一撃を与えたのは自分の魔法だった。前もって接触出来る機会はなかったし、魔法の後は気を失ってしまったため、自分は何も持っていない。証拠を持っているとしたらユッカだが、未だ無言のままだ。現場の洞窟も崩壊してしまったというし、不安だけが増幅する。 しばらくして、その静寂を打ち破ったのはラムディスの悲痛な叫び声だった。 「……おいマジかよ畜生!! あれだけ命賭けて戦っときながら『証拠が無いので今回は無償でお疲れさん』なんてことで済まされていいのか!? いや良くないぞ! お前だって結構苦労したんだろうが! 骨折り損のくたびれ儲けなんて、面倒臭がりのお前が一番嫌ってることじゃねぇか!!」 頭を抱えながらひとしきり絶叫する。まぁ実際骨は折れたのだが、敢えて突っ込むこともせずユッカは黙っている。ラムディスはまだ腹の虫が収まらずに、更にまくしたてた。 「聞いてるのかユッカ! いいか、今こそ立ち上がる時だ! 万人は法によって保護される権利を持っているんだ! 俺たちに労働基準法はないのか!?」 ドン! と今度はカウンターを握り拳で叩き、虚空を見上げて力説する。 相変わらずユッカはラムディスの様子を見つめていたが、むしろどこか笑いをこらえるような表情になっていた。 「いやでも、オレら非合法(モグリ)だし」 「…………」 ぼそっと呟いたユッカの一言でラムディスの勢いが止まる。硬直している彼をニヤニヤと眺めながら、ユッカはさらに言葉を続けた。 「それに、今回のオレたちは法に保護されるべき対象じゃないぜ」 「……? どういうことだよ」 疑問符を浮かべるラムディスの鼻先に、ユッカは何かを自慢げに突き出した。 「だってオレ、魔導書とガッツェのローブの切れ端持ってんだもん。禁書を盗んだのがヤツだって分かってるからな。ローブに付着してる体液を組織成分解析してもらえりゃ、状況証拠と合わせて通るだろ」 「…………お・ま・え・なぁぁ……!!」 次の瞬間、ユッカの頭に昨日より硬い握り拳が落ちた……。