Task.1 遂行
6 再び月を空に迎える。 魔物の存在も昔に比べて弱くなったとはいえ、夜行性の種族は捕食のため若干凶暴になる。ルナリアの好意に甘え、もう一晩ここでお世話になることにした。 ルナリアが言うには、ここはラナンキュラスから馬車を乗り継いで半日ほどのところにあるミルラという村で、医者である父親が構えた診療所の、国内にいくつかあるうちのひとつなのだそうだ。多忙で各地を飛び回っている父に代わり、時折訪ねて掃除などをしているという。また、医学を志す彼女には格好の資料収集・勉強場所でもあった。 夕食は三人でテーブルを囲んだ。お手伝いさんが作ってくれた食事は決して豪勢なものではなかったが、村の特産野菜や果物がふんだんに使われ、干し肉やチーズなどの保存食を食べ飽きていた舌には十分なくらいの活力を与えてくれた。 一人のはずだった食卓が三人になって嬉しかったのだろう、ルナリアは特によく喋った。父親以外の誰かに教えを請うこともなく、ほぼ独学で学んでいる彼女にとって、同世代の人間との会話は貴重なものであるようだ。他愛もない旅の話も興味津々で聞いてくれて、つい余計なことを喋ってしまいたい気分になるのを何回も戒めたりした。 夜も更け、二人には一室をあてがわれた。ジャンケン勝負により今夜は無事ベッドを確保できたラムディスは、満腹感冷めないまま寝そべって窓の外を眺めていた。 久しぶりに平和な時間だった。 温かい食事と楽しげな笑い声。好きな時に風呂に入れて、清潔な寝床に潜れる。眠りを空腹や魔物に邪魔されることなく、清々しい気持ちで朝を迎えるのだ。 ――いつも、こんな毎日だったら。 平凡でいい、スリルがなくてもいい、心穏やかに過ごすことが出来る生活をずっと望んでいた。 過去の渇望。 幼いころの幸せな思い出が蘇って思わず視界が歪む。慌ててまばたきを繰り返し、元に戻った視界にホッと息をつく。 村が焼け落ちたあの日から始まった二人の旅。 無我夢中で走り続け、気が付いたらイリーガル・ハンターとして闇の世界で活動していた。指名手配犯を始末し、闇ギルドに報告、報酬を受け取る。ただそれだけの繰り返しだ。自分たちにも常に身の危険が付き纏う、血に汚れたこの職業を、ラムディスは複雑に思っていた。 ――いつか、自分達も裁かれる日が来る。 生きるためには仕方のないことだった、なんて言い訳にもならない。例え悪人でも、命は命なのだ。愛する家族がいたかもしれず、悪事に手を染めたのだって何か深い理由があったのかもしれない。 正義の味方を標榜する気などない。今回のように『人間』を相手にする任務のたび、ラムディスは苦悩に苛まれるのだった。 「でっけー溜息」 食後のデザートと称してルナリアと冷蔵室を漁っていたユッカが、いつの間にか部屋に戻ってきていた。苦笑しながら果物を投げてよこす。 「知ってっか? 溜息つくと幸せが逃げてくんだぞ」 「それも迷信」 「即否定かよ。夢がないなー」 むしろこの件に関しては夢がない方が良いのではなかろうか……などと思いながら、受け取った果物を片手で弄ぶ。 靴を脱ぎ捨てて、布団に身を投げ出したユッカが問うた。 「明日の何時だっけ? 一次期限」 「あー……確か十五時だったかな。この場所からだと――」 言いながら、ラムディスは鞄から首都周辺の地図を取り出す。指で縮尺を測り、おおよその時間を算出して、 「四~五時間あれば着けるんじゃないか」 「……けっこーあるな」 ウンザリした表情でボヤく相棒を見て、ラムディスはふと思い出す。 「ユッカ。足、本当に大丈夫なのか?」 ルナリアの診断結果が本当だとすれば、いくらユッカが歩けると言っても長距離の道程に耐えうるかどうかは分からない。――しかも、自分を庇って負った怪我とあっては。 ラムディスの心を感じ取ったのか、ユッカは途端に相好を崩して上機嫌になった。 「おっ、なになに、心配してくれちゃってんの? そこまで言うなら仕方ない、帰り道にオレ様をおぶう権利をくれてやろう。ありがたく思え」 「……お前はあと一ヶ月くらいココのご厄介になった方が良さそうだな」 ラムディスの脱力した溜息に、ユッカがゲラゲラと笑う。 「まぁ、今のは冗談としてだな。さっきも見たろ? 飛んだり跳ねたりに支障はねーって」 「あのなぁ、実験台にされてるんだぞ、お前」 「確かにヨーグルトはちょっと苦かったけどよ。こうして元通りになってんだし、将来有望ってコトじゃねーか、あの子」 寝っ転がりながら両足を曲げ伸ばししてみせる。ユッカの楽天的思考はこういう時こそ見習うべきなのだろう。 「ま、イザとなったら一次期限は諦めちまっても――」 「いや、それはダメだ」 心を鬼にして、ユッカの軟弱な発想をキッパリと否定してやる。がばっと起き上がって、 「無事任務遂行したからには報酬は満額いただく! しかるべき労働にはしかるべき報酬があるべきなんだ、そうだろうユッカ! たった数分遅れただけで一割カットされてみろ、泣くに泣けないぞ! その一万ガルズで一体どれだけ食えると思う!?」 拳を振り振り力説するラムディスをぽかーんとした表情で眺めていたユッカだったが、やがて話が食に言及したところで真面目な顔を作って唸る。 「二人で割っても五千ガルズ……ちょっと豪勢にいっても、三週間は食えるか」 「馬鹿野郎二ヶ月持たせろよそこは!!」 ぼふっと殴った枕が拳の形にへこむのを見届けて、ユッカは苦笑した。 「さっきまでアンニュイに溜息なんかついてたヤツと同一人物とは思えねーなぁ」 「う……それは、その」 ラムディスは少し赤面して押し黙る。シーフの性か、自分の利益が絡んでくると熱くならずにはいられなかった。だが言い訳させてもらうと、決して金にがめついワケではなく、死活問題なのだから仕方ない。 その様子を笑い飛ばすでもなく、ユッカは立ち上がって黒髪の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。 「分かってる。オレはお前のオニーサンだからな、お前の望みは何だって叶えてやるよ。大丈夫、心配すんなって」 鳥の巣のようにさせられた髪を仏頂面で直して、ますます不貞腐れるラムディス。 「……だったら、普段からもうちょっと兄貴らしい振る舞いしてくれよ」 悪態をついてみるが、照れ隠しだとユッカにはバレているだろう。気まずいこの空気を払拭するように、ユッカは明るい声で言った。 「おっし、明日は早起きすんぞ! 寝坊すんなよ!」 「いつも俺より遅いクセによく言うよ。……あぁそうそう、手持ちの金は世話になったお礼として全部彼女に渡したから、明日は寄り道ナシな」 「マジで!? ……ツケに出来ねーの?」 「出来るワケねぇだろアホか!」 冗談を言い合いながら、お互いに柔らかな布団に潜り込む。ほどなく床から寝息が聞こえてきたのを確認して、ラムディスは枕元の明かりを消した。 (やれやれ……) 今のやりとりで、落ち込んだ気分が紛れたのも事実だ。ついつい深刻になりがちなラムディスの思考をすくい上げてくれるのは、いつもユッカの明るさだった(たまにそれがあさっての方向に作用するのはこの際無視するとしても)。 手にした果物を鞄に突っ込んで、目を閉じる。 少し欠けた月が唯一の光源。その静かな光は睡眠の邪魔にはならない。どこからか聞こえてくるフクロウらしき鳥の鳴き声も、夢の世界に誘うのに一役買っていた。 (……今は、深く考えないことにしよう――) そんなことを思いながら、やがてラムディスの意識も安らかな暗闇の中に吸い込まれていった。