Task.1 遂行

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   5

「……う……」
 ラムディスは光の眩しさに目を覚ました。
 まず視界に入ってきた色は白。いや、金と言っても差し支えない。夕日が白いカーテンを金色に染め上げている。
 次に、自分のおかれている状況を確認する。適度に弾力のあるベッドの上、肌触りの良いシーツとフワフワのタオルケットは上等品だ。野宿続きの身体はこの久しぶりな感触を喜んでいた。
 窓から吹き込んだ風が髪を揺らす。穏やかな波のように揺らぐカーテンを眺めながら、ラムディスは深呼吸をした。今まで洞窟内にいて肺の中を満たしていた腐敗臭が一気に入れ替わったような、清々しい気持ちになる。
 ゆっくりと身体を起こして、辺りを見回す。板張りの簡素な部屋には、今自分がいるベッドが一つ。サイドテーブルには水差しと空のコップが置いてある。
 壁沿いの棚にはぎっしり詰まった本の山。手近にあった一冊を開いてみる。中は難解な数式と理解不能な図形、それらの補足だと言われてもサッパリ読めない文字がびっしり書き込まれていて、ラムディスは無言でそっと元の位置にしまう。読書は好きだが自分の読みたいジャンルではないことだけははっきりしていた。
 その時、扉が静かに開く。
「……あ、目を覚まされたんですね。良かった」
 可愛らしい声と共に隙間からひょこっと顔を覗かせたのは、年の端十五~六ほどの少女だった。ラムディスの顔を見てニコッと微笑む表情はまだ幼さが残る。
 肩まで伸ばした綺麗な栗色の髪は、サイドの部分だけ拾って後ろで束ねてある。同じ色の瞳。ちょっとサイズが合わないのか、ずり落ち気味の大きな眼鏡をかけていた。
 少女はベッドの横まで来ると、静かにコップに水を注いでラムディスに差し出した。
「ご気分はいかがですか?」
「あ、あぁ、大丈夫。ありがとう」
 受け取り、一口含む。ハーブが含まれているのか、爽やかな香りが鼻腔を抜けていった。
「あの、ひとまずご説明してもよろしいでしょうか?」
「え?」
「ですから、今の状況を」
 にこやかだが論理的な説得力が含まれた少女の言い方に押されて、ラムディスは慌てて頷く。彼女の身を包んでいるのは白衣、それだけでも頭の良さが窺えた。
「外傷は軽い擦過傷と打撲のみでしたので、簡単な手当てで済ませました。倒れられた主な原因は魔導力の急激な枯渇による意識低下。――まぁ丸一日休んでいただきましたので、現在はほぼ回復していると見ていいでしょう」
「え……丸一日?」
「はい、丸一日」
 彼女はラムディスの言を笑顔で反復する。
 確かに全力で魔法を放った後の記憶がない。それは自分自身予測していたことだったし別段驚かないが、原因を正確に言い当てられたことの方が気にかかった。
「君は、一体……」
 一瞬きょとんとした少女だったが、何かに気づいたように慌てて居住まいを正して言った。
「あっ、ごめんなさい、申し遅れました! 私はルナリア=ティセルっていいます。父の仕事を手伝いながらお医者様を目指してます」
「医者……だって!?」
 その特殊な職業の名前を聞いて、急激にラムディスの頭が冴えた。非合法(イリーガル)な自分たちの境遇と明らかに乖離した存在。どういう経緯かは知らないが、そこに厄介になっていたという現実。
――次の瞬間、ラムディスはベッドの上で土下座していた。
「すいませんすいません! 俺たち金持ってないんです! 一日お世話になってしまった分は何とか捻出しますんで、治療費全額負担は勘弁してもらえないでしょうかッ!!」
「えっ? えっ?」
「何でしたらユッカのヤツをここで何日か働かせてもらっても構いません! アイツ、お化け退治以外は何でもしますから! 何卒、何卒~ッ!!」
 ベッドに額を擦りつけて懇願するラムディスを前に、ルナリアはひたすらおろおろしていた。宥めるような声が降ってくる。
「あ、あのっ、私はまだ医者見習いなので、お金はいただけませんから心配なさらないでください! そもそも、あの時助けなきゃって思ったのも私の勝手な判断ですし!」
「……? 『助けなきゃ』?」
 ルナリアの言葉に引っかかりを覚えて、顔を上げる。当の本人は思案顔で何かを呟いている。
「んん……でも、そこまで仰ってくださるんだったら、もう少し強力なのを使っても良かったかも――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「へぁっ!?」
 急に両肩を掴まれたルナリアが奇妙な声をあげた。
「……君が、俺たちを助けてくれたって、どういうことだ?」
 てっきり、ユッカが自分をゆっくり休める場所に運んできてくれたのだとばかり思っていた。彼女の言うように、ここに来たのが受動的な理由だとしたら。
「えっと……覚えて、いないんですか?」
 ルナリアは戸惑うように視線を彷徨わせる。
「バルト遺跡の跡地で崩落があったんです。轟音がした時にちょうど近くを馬車で通りかかったので、様子を見に行ってみたら……お二人が倒れていたのを見つけて、それで」
「連れ帰って介抱してくれた……のか」
「はい」
 神妙に頷くルナリア。
 まさか行き倒れていたとはつゆとも知らず、しかも見習いとはいえ医者に助けてもらえたのは運が良かった。じわじわと実感が湧いてきて、ラムディスは大きく息をつく。
「そうか……ありがとう、おかげで助かったよ」
「いいえ、そんな大したことしてないですよ。ラムディスさんの怪我は軽い方でしたし、良かったです」
「……ん?」
 再び引っかかるものを感じて、思わず問い返す。
「あ、すみません。荷物袋に小さくお名前のような刺繍があったのでてっきり……あの、間違ってました?」
「いや、名前は合ってる――じゃなくて、怪我がどうこうってほう。俺が軽傷だったんなら、アイツは……ユッカはどうだったんだ?」
「ユッカ、さん……」
 名前を反芻した彼女の表情が曇る。
「……えぇと、もし動けるようでしたら、一緒に様子を見に行っていただけますか?」

 部屋と同様に簡素な廊下をルナリアの後ろについて歩きながら、ラムディスは多少不安な面持ちで彼女の背に問いかける。
「もしかしてアイツ、結構な大怪我だったりするのか?」
 ルナリアは前を向いたまま、軽く俯いた。肯定とも否定とも取れない微妙な間。
「見つけた時、ラムディスさんに覆い被さるようにして倒れていたんです。その……足が、岩の下敷きになっていて」
 言い淀むと、廊下沿いにいくつかある部屋のうちのひとつ、『集中治療室』と明記されている部屋の前で立ち止まった。雰囲気から察するに、どうやらここにユッカがいるらしい。
 ラムディスが視線だけでルナリアに問うと、彼女も視線だけで、どうぞ、とラムディスに入室を促す。緊張しつつ扉の取っ手を掴む――が、ふと視界の端に見つけたモノに、思わず動きを止めた。
 それは文字であった。
 扉に掛かっている『集中治療室』と書かれたプレート。その端に、明らかに後で書き足したものだと分かる文字があった。その文字を呟くように読み上げる。
「……『手術室兼人体実験室』……?」
「はい?」
 不思議そうな声で聞き返してくるルナリアにしっかりと向き直り、その文字を指し示して、今度は声に出して問う。
「……何なんだ、コレ」
「プレートですよ」
「そ、そうじゃなくて! この文字は一体どういう意味なんだと聞いてるんだが!」
 どこかピントのずれている受け答えに思わず声を荒らげるラムディス。だが当のルナリアはきょとんと、訳が分からないといった顔つきで、あまつさえ首をかしげながらさらりと答えてきた。
「そのまんまの意味ですが」
「じゃあナニか!? 腹の中でメロンを自生させる開発途中の薬を無理矢理投与したり、もげた腕を背中にくっつけてみたり、血の足りない患者に賞味期限ギリギリの牛乳を輸血したりしてるってのか!? そういう部屋なのかここは!?」
 例えた内容は冗談としても、本人は真剣だ。半ば悲痛ともとれるラムディスの絶叫を一身に受け、しばしぽけ~っとしていたルナリアだったが、やがて口元に手をあてクスリと短く笑うと、
「もう、ラムディスさんたら。そんな事するわけないじゃないですかぁ」
 と言って、またおかしそうにクスクス笑う。
 その表情を見て、ラムディスもふと我に返った。
「あ……そ、そうだよな。ゴメン、いくらなんでも腹にメロンはないよな」
「ふふ、そうですよ。腹メロンは収穫のたびに開腹手術が必要になりますから効率的ではないですし、腕を背中にくっつけても神経接続に難アリな上に服を着るのが大変です」
 ラムディスの冗談を本気と捉えたのか、それともわざとなのか、ルナリアは馬鹿正直に解説した。
「それに、」
 さらに考察を付け加える。
「賞味期限ギリギリなんて何の意味もないじゃないですか。注入したのは発酵済みの牛乳です」
「ユッカーッ!! 無事かーッ!?」
 最後のルナリアの台詞を右耳から入れて脳細胞を通し、即座に左耳へ流してから、ラムディスは必死の形相でその扉を開けた。
「ユッカ!!」
「うぉ!?」
「ええっ!?」
 何故か重なる三人の声。不自然な静寂によって、その場の空気の流れが途絶える。
 しばらくしてのち口火を切ったのは、部屋の中で屈伸運動などをしていた赤い髪の青年だった。
「な、なんだなんだ、血相変えて」
「……いや、俺はてっきりお前が腐った牛乳を」
「はぁ?」
 片眉を上げて問い返してくるユッカに、何でもない、とかぶりを振る。それより気になるのは、隣で口を開けたまま固まっている少女の様子だ。どう考えても同時に驚いていたようだったが。
「ど……どうして……」
 震える少女は、信じられないといった表情で口元を押さえて、叫んだ。
「どうしてそんなピンピンしてるんですかっ!?」
「いやどうしてって言われても。ぐっすり寝たし?」
「そういう問題じゃないです!! あ、足の骨が折れてたんですよっ!? そもそも一日で立てるようになる状態じゃなかったのに、屈伸なんてとんでもない!」
「くっついたんじゃね?」
「そ、そんなことって……! あぁぁギプスまで粉々に!」
 床に散らばった白い破片を見ながら何やら悲鳴じみた声でオロオロしているルナリアを宥めるように、ラムディスが口を開く。
「ごめん、コイツの回復力は野生動物並みだから」
 諦めたような溜息をひとつ、ついてみせる。
 長年危険な仕事に従事していると嫌でも負う怪我。程度はどうあれ、驚異的な回復を見せるユッカの身体は今までの経験上ごく普通のことだった。
 うんうんと頷いて、ユッカ。
「そうそう。ほれ、この通り」
 言いながら、その場でジャンプしてみせる。確かにこの状態で『骨折している』などとは誰が見ても信じないだろう。
「うぅ……これじゃ検証にならないわ……」
 がっくりと項垂れて呟いたルナリアの言葉を、ラムディスは聞き逃さなかった。ずざざ、と後退り、
「や、やっぱり腐った牛乳を投与したのかッ!?」
 その追及を受けて慌てたように、ルナリアが目の前で手を振って否定する。
「やめてくださいよ人聞きの悪い! 与えたのは発酵済みの牛乳――もといヨーグルトですし、ちょっとそれに骨の吸着を促進する新薬を少し混ぜてみただけで」
「それを人体実験と言わずして何なんだ!」
「ああ、もしかしたら骨の破断面に対して量が多すぎたのかもしれません! それならこの結果も納得がいきます、半分失敗という意味で」
「イヤ失敗すんなってかそういう問題じゃねえええ!!」
 やいのやいの言い合っている二人をボーッと眺めながら、当のユッカは他人顔で呟く。
「大変だなぁラムディス」
「――誰の話だと思っとるんじゃ!!」
 小さな部屋に、拳と頭蓋骨がぶつかる音が響き渡った。

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