Task.1 遂行

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「おっせーなァ、アイツ……」
 黒い短髪にダークブルーの瞳の青年、ラムディス=ヴァイスディーンは、誰にともなくひとりごちた。
 リジェスティ共和国城下町・ラナンキュラスの住宅街の路地。濃紺の空の中にあって真円を描く月の光は、建物の間に色濃く影を作り、息を潜める彼をすっかり溶け込ませていた。
 静かな夜。時計の針は二本ともが頂点をとっくに過ぎている。この辺りは行儀が良いのか、この時間に外をウロついている住人は見かけない。虫の声が鳴り響いて、仕事中でなければ風流な気持ちで散歩でも出来たのかもしれない。
 ラムディスは懐から懐中時計を取り出し、苛立たしげに舌打ちする。
「……もう三十分も遅刻だぞ……『待ち合わせはこの辺な!』っつって指定したのはアイツの方だろうが……」
 寒くもなく暑くもない。過ごしやすい夜更けだが、待たされることによる不快指数は上昇中。所在なさげに空いた両手を今度は腰の辺りに移動させ、二本の短剣を確認する。
 それらは盗賊(シーフ)を自認する彼の得物だった。刃渡り三十センチ弱といったところか、中途半端な長さの短剣だ。一見どこにでもいそうなごく普通の青年が、城壁に守られながらぬくぬくと生活しているわけではないことを、使い古された柄の細かな傷が証明していた。
 すると、急に背後から――
「わっ!!」
「うわぁっ!?」
 突然大きな声がして、ラムディスは思わず悲鳴を上げた。咄嗟に両短剣を抜き、身を翻して正面に構える。
――が、そこにいたのが見知った青年だったことに気づき、すぐに刃を下ろした。
「おお、いい反応! これなら咄嗟の襲撃にも対処出来るな」
 ニヤニヤと笑いながら手を叩く青年を半眼で見、ラムディスは盛大な溜息をつく。
「……お前なぁ……」
 呆れながら、剣を鞘に戻す。
 現れた青年の名は、ユッカ=L=グレイス。鮮やかな赤い髪と瞳には明朗快活な印象が宿り、闇夜の中でも一層存在感を浮き立たせる。今時の若者然としていながら、腰に下げた一振りの長剣は不思議と馴染んでいて、彼も同じく一般市民と一線を画しているのが分かる。ラムディスの幼馴染みであり、現在は共に任務を遂行する相棒でもあった。
「っつーか三十分も遅れた理由を説明しろよ。『収穫はありませんでしたー』って報告なんざ要らねぇからな」
「へへ……聞いて驚け。ターゲットを見つけた」
「! ホントか!」
 食いついたラムディスに、ユッカはニヤリと笑みを浮かべる。
「さっき酒場に行った時、マスターと話し込んでた男なんだけどさ。スキンヘッドで、四十半ばってトコかな。んでもって大柄な体格に、資料と同じ紋章のついたローブを着こんでた。今挙げた特徴だけでも目撃証言と合致するぜ」
「非公式指名手配犯ガッツェ=スカルツ、か」
「うるせー客が多くて話はよく聞き取れなかったんだよな。一応後をつけてみたが途中で撒かれた。装備からして街の外にはまだ出てなさそーだ」
「なるほど、ヤツを尾行してたから遅れたってコトか」
「いや?」
 やっと納得出来る理由が提示されたと思ったら即座に否定されて、ラムディスは眉根を寄せた。
「だったら何でだよ」
「迷った」
「……はぁ!?」
「だってしょーがねーだろ!? この街あんまり出入りしたことねーし、住宅街もおんなじような区画ばっかりでよー」
 ふてくされたように、ユッカ。
「いやいや待てよ、待ち合わせにこの場所を指定したのは他でもないお前だろうが!」
「あれ、そうだったっけ?」
「そうだよ! だから任務遂行時はランドマークくらい覚えとけっていつも言ってるでしょッ!?」
 我知らずオカンのような口調になってしまうラムディス。相棒の緊張感のなさはいつものことだ。彼は逐一それに振り回されてきた。
「よし分かった! じゃあ早速やることやっちまおうぜ!」
「何が分かったんだ何が!!」
 ツッコめるだけツッコんだ後、ユッカの肩越しに見えた人影にラムディスは硬直した。
「ん?」
 ユッカもその視線を辿って振り返る。
 そこには、鎧を着込んだ城の警備兵が三人、立っていた。
「お前たちか? 奥の富豪宅に予告状を送りつけた、なんとか怪盗団とかいうのは」
「こんな夜更けに帯剣して大騒ぎとは、王の御膝元で随分堂々としてるじゃないか」
「あ……いや、俺たちは、その」
「べべべ別に、そのなんとか探偵団とかゆーのとは一切関係ねーし、なぁ?」
(! 『怪盗団』だよ馬鹿!)
 ユッカのわざとらしい言い訳ぶりに肘で小突いて注意を促す。――が、時既に遅し。
「怪しいな。お前たち、一晩ほど拘留してもらおうか。なぁに、大人しくしていれば明日朝には表に出られるだろうよ」
 反論すべき言葉も見当たらず(物騒な話をしていたことは事実だ)、二人はされるがままに拘置所へと連れて行かれるのだった。

 小さな鉄格子窓から差し込む月光。床に映し出された四角の光は、縦断する幾本の細い線によって区切られている。
 武器は取り上げられていた。暇を持て余したユッカが簡素なベッドに腰掛けて足をブラブラさせる。
「なんだよー、これじゃ逃げられちまうじゃねーか」
「誰のせいだと思ってんだ」
 壁際で胡坐に肘をついて、ぴしゃりと言い放つラムディス。
「お前があの場所を指定せずにしかも三十分遅れなければ、その上些細なことで騒がなければ、この事態は避けられたんだぞ?」
「タラレバはこの世界じゃアテになんねーだろ?」
「開き直るなよ」
 言いながら、確かに、とも思う。
 そもそもラムディスとユッカは、現在定住する地のない、いわば『流浪人』である。家はあったが、幼い頃に起きた領土戦争で村ごと焼け落ち、命からがら逃げ出した彼らはあてのない旅に出た。
 そこである時見つけた職業が、『イリーガル・ハンター』――早い話が非合法の賞金稼ぎである(合法の賞金稼ぎは王宮治安維持隊の国家試験に合格し、公認された者だ)。
 公認ハンターとの最大の違い、それは『ターゲットは確実に抹殺する』ということ。
 闇の世界で請け負われた仕事は到底公に出来ない事情が渦巻いている。それこそ『死』をもって任務完了とすることも少なくない。そして、殺される側はそれこそ死に物狂いで抵抗するだろう。一瞬の判断ミスで命を落とした同業者たちの話を、幾度となく聞いてきた。失敗してからの後悔は、もう手遅れなことがほとんどだ。
「……まぁ、余計な嫌疑かけられて身元調べられたら面倒だからな。今夜は大人しくしとこうや」
「んだな。で、なんとか応援団とかいうのが予告通りちゃんと仕事してくれりゃ、オレらは晴れて無罪放免ってワケだ」
「応援団て。どっかのスポンサーかよ」
 ユッカの発言にいちいちツッコミを入れるのも疲れてきたラムディスは、緑のマントを外し、それを掛け布団代わりにして横になりかけ――ふと気づく。
「なぁ、何で俺が床で、お前がベッドなワケ?」
 あ、気づいちゃった? とでも言いたげな雰囲気で、ユッカが愛想笑いを浮かべる。
「え、だって床にフトン敷いて寝るスタイルが好きなんだろ、お前」
「そこは否定しねぇけど、拘置所の硬い石床に薄っぺらい布団なんて、寝心地最悪だぜ?」
「こっちも似たようなモンだろ。――あ、何だったら一緒に寝る?」
 ユッカの提案に全力で顔を顰めると、ベッドの寝心地を諦めたラムディスは彼に背を向けて寝転んだ。
「冗談、何が悲しくて野郎と添い寝だ。……いいよ、床で。その代わり、明日の朝飯はお前の奢りな」
 背後から短い呻き声が聞こえたが無視する。
 布団の感触は決して肌触りの良いものではなく、無いよりはマシ程度の物だったが、無機質なブロックの壁の升目を数えているうちに、何だか眠れそうな気がしてきた。
 一方、誘いを断られたユッカは相棒との会話が途切れると、鉄格子窓の隙間から見える空に視線を移した。玲瓏とした月が、星々と共に夜空を彩っている。
「満月、か……」

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