第6話 国王と平和への祈り

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 ムジーク王国城下町、中央広場。
 王宮くらいの建物がすっぽり入ってしまうほど広い――といってもムジークの王宮もそこまで大きくはないが――敷地で、国民たちが巨大な年輪のように円を作る。その中心に、『精霊の樹』が植えられていた。
 これから行う『誓言の儀』の時には、精霊たちを統べる王ルク・フォンテが宿り、ムジーク国王の誓いを聞き届けるのだ。
 即位当初は苗木で、俺の背丈ほどしかなかった。
 だが、今は見上げるほど高くなり、枝葉を大きく空に広げている。
 新国王の持つ王気を糧に、最初の数年で急激に伸びるのだそうだ。まだ幼い木だが、俺と共に成長しているのだと思うと愛着が湧いてくる。

 俺が馬車から降りると、大きな歓声が巻き起こった。
 鼓笛隊の奏でる厳かな音楽。『精霊の樹』の元へと一直線に敷かれた赤い絨毯の上を、長大なマントを引きずりながら俺はゆっくりと進んでいく。頭には、スラーが作ってくれた樹木の冠。
 樹の前に設えられた祭壇に登る。
 まるで極彩色の花畑のような光景の中、最前列の特別席だけが抜けるような白。俺はそれを儚くも美しく降り積もった雪のようだと思った。
 数多の視線が、俺の一挙手一投足を見守っている。
 音楽が止んで静寂が辺りを包み込む。
 俺は大きく息を吸って、吐いた。――大丈夫、落ち着いている。
「万物の源たる精霊よ、ここに集いて大いなる一本の樹となれ」
 片腕をまっすぐ前に伸ばし、掌を掲げ、誓言を唱える。腹から声を出し、歌うように朗々と。
《火より生まれし灰は土を肥やす》
 最初は火の精霊語。
 魔力を吸われる感覚と引き換えに掌の先で生まれた炎が、樹を一周してあらかじめ用意してあった枯葉を燃やし、白い灰へと変える。
 精霊王が俺の力を認めてくれた返事として、樹の周囲に設置された十本のトーチのうちの一つに赤い光が灯った。
《水を吸い上げ、隅々まで栄養を運ぶ》
 次に水の精霊語。
 水の粒が集まって小さな雨となり、樹の根元へと染み込んでいく。トーチの先端には青い光。
 俺にとっては闇の次に相性の悪い精霊だが、何とか上手くいった。
《地に屹立する姿は力強く》
 地の精霊語を紡ぐ。
 水を吸い込んで柔らかくなった土がしっかりと固まった。トーチに灯る光は茶色。
《風に種子を託して命を受け継ぎ》
 風の精霊語。
 巻き起こった風が枝葉を揺らしてざわざわと音を立てる。光の色は緑。
《雷が刺激を与え芽吹きを助ける》
 雷の精霊語で、掌からパチパチとした電気が生まれ、樹の根元へ吸い込まれていった。黄色い光がトーチへと飛ぶ。
《光と共に大気を清め》
 俺が得意な光の精霊語。
 光合成を促すように、柔らかな光が葉の一枚一枚へと降り注ぐ。
白く輝く光がトーチを照らした。
《作り出す闇によって心地よい休息を与える》
 続いて一番苦手な闇の精霊語。
 先程の光の力も借りて、枝葉の下に優しい木陰を作った。紫色の光が灯る。
《熱による気温の変化は蕾を目覚めに導き》
 熱の精霊語。
 ここから三つの精霊魔法に視覚的な変化はないが、トーチの光で成功したかどうかが分かる。温かみのある橙色の光が無事灯った。
《綺麗な花や葉の緑は安らぎの念をもたらし》
 念の精霊語は、桃色の光を灯す。
《時に寄り添い成長を見守らん》
 最後、時の精霊語を紡ぎ終えると、灰色の光が宿った。
 これで全てのトーチに各精霊の色を象徴する光が灯った。後は締めくくりに精霊王への誓いの言葉を唱えれば終わる。……だが。
 俺は翳していた腕を下ろすと、『精霊の樹』を見上げた。
「……さて、精霊王ルク・フォンテよ。最後の誓言の前に、人間の言語にてここに誓いを立てることをお許し願いたい」
 広場がざわめく。予定にないことを突然国王が言い出したのだから当然だ。
 後ろの方で大臣が何事かを喚いていたが、すぐに聞こえなくなったのでチラリと横目で見ると、シャープが羽交い締めにしていて少し笑ってしまった。手加減してやれよ。
 国王が精霊王に誓うということは、その内容に国王が責任を持つ、という確固たる意志の表れである。それが狂気と見做されたなら途端に王気が濁り、加護を失う。
 精霊王に見捨てられた国王の末路は、自らの樹と共に枯れゆくのみ。――すなわち、死を意味する。
 決して思いつきで言うのではない。この一ヶ月間、考えに考えて出した俺の結論だ。例え完璧でなくとも、正しい道へと進んでいけると信じている。
 不安そうな顔で見守る国民と『精霊の樹』へ呼びかけるように、口を開いた。
「ムジーク王国では、染髪の儀によって髪色を変化させているが、白髪とそうでない者の間に生じた格差は痛ましい。同じムジーク国民であるならば、受けようとする精霊の加護に差があってはならない。……そこで、次のように定めることとする」
 軽く瞳を閉じ、一呼吸置く。
「ひとつ。洗礼を受ける時期を生後九十九日に限定せず、また、白い髪のままでいる自由を選択できるようにする。それに伴い、髪の色で精霊適性判断以外の差別を禁ずる」
 周囲がどよめいた。特に驚いた顔をしているのは、特別席にいるスラムの住人たちだ。
 寄付金が納められずに色無しのまま育った者も、今後は敢えて洗礼を受けない選択をしたのだと、堂々と街を歩けるようになる。
 反対に、修道院でも上の方の者が集まっている区画からは不満のような声が上がった。洗礼を受けない者が増えることで、収益が減るのを心配しているのだろう。
「ふたつ。染髪の儀に対する寄付金の額は今まで通りとする。ただし、支払う方法を金銭以外の方法でも可能にする」
 会場を占める動揺の声がさらに大きくなる。さすがにこれには説明が必要か。
 俺は両手を広げて静かにするよう皆を制した。
「寄付金の額を下げてしまうと、今まで納めた者との間に不公平が生じる。また、修道院としても慈善事業ではないから、先立つものがなくては洗礼ができない。よって寄付金の額は据え置きだ」
 周囲を見渡して、続ける。
「そして金銭以外の支払い方法だが、国のために労働力を提供する未来払いを可とする。国が斡旋する仕事を一定期間無報酬で行うことで、支払いの代わりとする仕組みを新たに作るつもりだ。その際の修道院への金銭的な支払いは国が担保する」
 言葉を切っても、今度はさほどざわめきが起きなかった。誰もが呆然としている。
「もちろん、これが絶対最善の案であると言い切るつもりはない。議論の余地は当然あると思う。だがこれだけは誓わせてもらう。――俺は、スラムをなくしたい」
 最前列の白髪の民が、お互いに顔を見合わせている。俄かには信じがたいという表情だ。
 俺は彼らに向けて微笑みかける。
「髪色の違いで肩身の狭い思いをする者がおらず、仕事に就く機会を誰もが公平に与えられ、生き生きと暮らせるような国にしたい。スラムの人々が何を思って、どんな生き難さを感じていたのか。……それを、スラムに住む一人の若者が俺に教えてくれたんだ」
 思い浮かべるのは、凶刃を振るった白髪の青年。同時に怪我を意識してしまったことで念魔法が解け、痛みがじわじわと戻ってくる。
 特別席の側で魔法障壁を展開しているヘオンが振り返って、馬鹿、と口が動いたのが見えた。
 だが、後悔はしていなかった。方法はどうあれ、俺に考えるきっかけをくれたのは、まぎれもなく彼――アクートの行動だったのだから。
「この決断に至れたこと……俺は、彼にお礼を言いたい。気付かせてくれてありがとう、と」
 蜂起を目論んでいた民たちは、合図の齟齬による失敗と、騎士団の説得によって士気が低下し瓦解したという。
 その中で、今あの特別席に来てくれている者はどのくらいいるのだろうか。俺の思いは、彼らに伝わっただろうか。
――この誓いは、精霊王だけでなく、彼らにこそ聞き届けてもらいたいのだ。

 しばらくの無音。
 最初に響いたのは、ぱちんと手を叩く音だった。

 特別席から生まれたその音は、瞬く間に周囲へと伝播し、やがて式典会場の広場全体を包み込む。大気を震わせる拍手の波は、俺の心を大きく揺さぶった。
――国民たちが、認めてくれた。
 込み上げてくる感情で、呼吸をするのも困難なほど胸が苦しくなる。鼻の奥がつんとしたかと思うと、涙が溢れてきてとめどなく流れた。
 こんな大衆の眼前で大の男が泣くなんて、俺はなんてみっともない国王なのだろう。……だけど、どうしようもなかった。
 水に沈んだ都に訪れたかのように歪む視界、その中で何故か、最前列にいる少女の姿が明確に像を結んだ。もらい泣きでもしているのか瞳を真っ赤にしながら、一生懸命拍手をしてくれている。
 その激励を込めた眼差しは、少女の作ってくれた冠を通じて、勇気を送り込んでくれる気がした。
 俺は微笑んでみせる。せめて最後の誓言くらい、きちんと言わなければ。
 涙を拭って、深呼吸をした。鳴り止まぬ拍手の中でも、ここにいる全員に届くよう、凛と背筋を伸ばして声を張る。
「一枝一葉に至るまで、精霊たちの加護が行き渡るよう。彼方を統べる精霊王ルク・フォンテの名のもとに、彼我の永劫なる共栄共存をここに誓う。ムジーク王国国王、トーン=スコア=ムジーク」
 俺の言葉が終わると、トーチから十の光が離れて次々と『精霊の樹』へと吸い込まれていく。
 根、幹、枝、葉。端々までが淡い光を帯びていき、やがて金色の光の奔流が天へと一直線に放たれた。精霊王も、俺の祈りを受け入れてくれたのだ。
 拍手は大歓声に変わる。笑顔が咲き乱れる満面の花畑に、空から舞い落ちる光の欠片が、ムジーク王国のこれからを祝福しているかのように見えた。
 壇上で一礼し、踵を返す。
 来た時と同じように、ゆっくりと絨毯の上を歩む。
 一歩進むたびに傷の痛みが増していくが、不思議と気にならなかった。民の歓声と笑顔が、それを忘れさせてくれたのかもしれない。

 最後まで、威風堂々と。ムジークを統べる国王らしく在れ、と。

 馬車に辿り着き、それに乗り込んで、フラットが扉を閉めてくれた途端――俺は崩れるように椅子へと倒れ込む。
 張り詰めていたものが切れて、一気に力が抜けてしまった。身体の震えが止まらなくなって、それがやり遂げたことへの歓喜の震えなのか、疲れや寒さからくるものなのか、痛みのせいなのかはもはや俺にも分からない。
「よく……頑張りましたね……!」
 フラットが涙で上擦った声を出しながら、俺の肩を撫でてくれた。これではどっちが兄だか分からないな、と苦笑する。返事をする気力は、もうなかった。
 王宮へと向かう馬車の揺れに、俺の意識はゆるゆると安らぎの中へ落ちていった。

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