第6話 国王と平和への祈り
7 創樹祭のパレードは、何事もなく無事に規定ルートを辿り終えた。 俺は馬車から降り、王宮へ戻る。これから魔力の補給に行くというヘオンと別れ、フラットと共に私室へと向かう。 「陛下、ひとまずはお疲れ様でした」 「あぁ、お前もな。……群衆の中に、色無しの民の笑顔を見かけたのは嬉しかった」 少なくともスラムの民が皆、俺に対して失望しているわけではないということが確認できてホッとする。あの様子なら、式典への招待にも応じてくれる者が相当数いるだろう。 フラットも笑顔で頷いた。 「この後はお部屋で休憩を取っていただき、ご昼食ののち、午後の式典の準備をいたしましょう。あまり食べ過ぎないでくださいね、眠くなっちゃいますから」 「はは、例えたくさん食べたとしても、どのみち緊張で眠れやしないから大丈夫だ」 俺とフラットは声を合わせて笑う。 休憩時間も、ただのんびりと過ごすわけにはいかない。十種の精霊語の最終確認をしなければならないしな。 私室の近くまで来たとき、一人の騎士が駆け寄ってきて一礼し、フラットに耳打ちした。 それを聞いて弟がわずかに表情を険しくしたので、 「何かあったか?」 一言問うと、フラットは少し、と頷いて声を潜めた。 「修道院でボヤ騒ぎがあったようです。騎士団が鎮火して大事には至らなかったようですが」 「ボヤ、か。……スラムの蜂起との関係は」 「分かりません。確認してまいりますので、ここで失礼してもよろしいでしょうか」 「構わない。よろしく頼む」 俺の言葉に深々と一礼して、報告に来た騎士と共に来た道を戻っていくフラット。 俺はその後ろ姿を見送って、一人で私室へと向かった。 結局、こちらから申し入れた会談に対するアクートからの返答はなく、創樹祭前に話し合うことは叶わなかった。 色無しの民たちによる武力行使に備えざるを得なくなったわけだが、こうなってしまうと俺の考えは甘いのだろうかと思う。より大きな武力や権力でねじ伏せたくない、というのは綺麗事かもしれない。 蜂起を計画するほど追い詰められた民に、俺の言葉はどこまで届くだろう。 午後の『誓言の儀』に彼らが来てくれたとして、その眼差しにはきっと俺に対する幾ばくかの期待が込められているはずだ。それにきちんと応えてやれるだろうか。 そんなことを考えながら、私室の扉を押し開けて部屋に足を踏み入れる。 ――ひゅっと、扉の横から影が飛び出してきた。瞬間、視界に入ったのは鈍い銀色。 「ぐっ!?」 途端に激痛が走って、俺は数歩よろめいた。 何が起こったのか分からずに視線を落とすと、腰のあたりから短剣が生えていた。じわじわと、周囲の衣服が赤く濡れていく。 パニックに陥りそうな感情とは裏腹に、冷静な理性が刺した相手を凝視する。 「この度はお招きいただきまして、ありがたき幸せにございます。国王陛下」 短剣の持ち主の男は、この状況にそぐわぬ慇懃な挨拶をした。 俺が咄嗟に自らの長剣の柄に手を伸ばすと、さっと身を引いて一定の距離をとる。――その髪は白。 「……アクートか」 俺に招待されたという言葉から推察して呟くと、 「スラムに追いやられた白髪の民の代表として、馳せ参じました」 男はニンマリと笑って首肯した。 俺は浅い息を繰り返して痛みに耐えながら、長剣の柄から手を離した。相手が国民ならば斬るわけにはいかない。 騒ぎにならないよう、扉を閉めてもたれかかる。 「陛下はお優しいですねぇ。私を斬り捨てないんですか」 「対話に……物騒な刃物は必要ないだろう? 俺に刺さったこの刃は、お前たちの怒りと受け止めておく」 「殊勝なことだ」 やれやれと肩を竦めるアクート。 「……どうやってここに忍び込んだ」 短剣ごと傷口を押さえながら問いかける。 パレードのために城の者はほとんど出払っていたので確かに手薄ではあったが、少なくとも要所要所に騎士を残していたはずだ。特に異変があったという話も聞かなかった。 「王宮から上がる花火を魔法で打ち上げるために、祭の間は魔法障壁を無効にするのではないかと思いまして。案の定、闇魔法で影に溶け込んだら簡単でしたよ」 これしきのこと他愛もない、という態度でアクートは言う。 花火は魔法研究所から打ち上げるので、そのために魔法障壁を解除することはない。が、今回は偶然にも死角を突かれた形で侵入されてしまったようだ。 洗礼を受けていないと精霊との相性が見た目では分からないため、何の精霊魔法が得意なのかが読めない。民の間ではそれが原因で仕事を干された色無しの者もいると聞く。 この男が洗礼を受けたなら、髪はきっと黒に近い紫色なのだろうなぁと、漠然と考える。 「だから、物騒な刃物がなくても、私が貴方を殺すことだって簡単なんだよ」 狂気の宿った目が、俺を射抜いた。 「何が……望みだ」 その言葉が命乞いに聞こえたのかもしれない。 アクートは口元を笑みで吊り上げながら、優越感にまみれた声を出す。 「まずは、創樹祭『誓言の儀』の中止を宣言しろ。色付きのために紡がれる誓言など、私たちには耳障りなだけだ。……まぁどのみちその怪我では壇上にも立てまいが」 「それは、できない」 俺は即答する。アクートが顔を歪めた。 「国王の誓言は、全てのムジーク王国国民のための祈りだ。お前たちスラムの民も当然含まれている。特に今回、最前列へ招待したのも……お前たちにこそ聞いてほしいという思いからだ」 そこまで言って、息をついた。 短剣は刺さったままなので出血こそ少ないものの、体内のどこを穿っているのか想像もつかない痛みが脳を灼く。気を抜くと崩れたがる足を奮い立たせ、何とか体勢を保つ。 「なら、その誓言で『ムジークを光の民の国に戻す』と誓え」 「……光の民?」 俺が問い返すと、アクートは恍惚とした表情で、自らの白髪をつまみ上げた。 「私たちが蜂起する第一の目的はそれだ。もともとムジークは光の精霊の色である白髪の民。白髪であることが最も気高く美しいはずなのに、それを守り続けている者が迫害される現実はどう考えてもおかしいだろう?」 両手を広げ、舞台に立つような仕草で。 「全ての民を白髪に戻し、元凶の王立修道院は潰してもらう」 生まれたままの姿で生きることに誇りを抱くこと自体には、俺も何の異論もない。その言い分は、分からなくもなかった。だが。 「……残念ながら、それも聞けないな」 首を横に振って拒否を示すと、アクートは目を見開いた。 「洗礼――『染髪の儀』は確かに国の歴史と比べると古くはないが、それでも民衆に定着したムジーク独自の習慣だ。国益に寄与しているし、色を望む者がいる以上、全ての民に白髪を強制するわけにはいかない。仮に修道院を潰して今後洗礼を廃止したとして、いずれ少数派になる色付きの民が迫害を受ける側に回らぬとも限らない。だから、できない」 呼吸をするのも辛いのに、我ながらよくこれだけ言葉が出てくるものだと苦笑し。 「……だが、お前のような意見があることも、考慮に入れておこう」 「ふざけるな!!」 だん、と激しく足を踏み鳴らして、アクートが激昂する。 「白髪こそ至高! 利権に飼い慣らされた修道院が施す洗礼など、わざわざ身を汚す行為だ! ……貴方がどちらの要望も聞けないと言うのなら、私にも考えがある」 俯いて肩を上下させながら引き攣った笑い声を上げるアクートに不吉なものを感じながら、身構える。汗が、頬を伝って床に落ちた。 「交渉決裂した時にこの部屋を魔法で爆発させたら、仲間が修道院へ火をつける手筈になっている。修道院の建物の中に罪を犯したシスター――妹君を閉じ込めている……と言ったら、気が変わるかな?」 妹と聞いて、俺は頭から血の気が引くのを感じた。 レミーが行方不明になっていたのはやはり捕らわれていたからなのか。 「貴方の返答次第で、貴方だけでなく、妹君も罪をその命で贖うことになるんだ」 「そんなことをしたら、お前もタダでは済まんぞ……!」 「私はいいんだよ。どうせ今の国のままならこの白髪じゃまともな仕事はないし、これ以上色付きの人間に蔑まれながら生きていくのはまっぴらだからね。……貴方が白髪の民に戻ることを決めてくれるだけでいいんだ、簡単だろう?」 自爆する気か。俺は奥歯を噛みしめた。 王宮の爆発を合図に修道院が燃えたりすれば、城下町は大混乱に陥る。そこにスラムの民が蜂起したら、たちまち地獄絵図になるだろう。 人質に取られたのは、妹と、罪無きムジークの民。俺がアクートの要求を飲めば、最悪の事態は避けられるのか―― いや。 思い出せ。 先程フラットが受けた報告は、修道院のボヤを騎士団が鎮火したという話ではなかったか。 何らかの手違いか、別の要因かは分からないが、とにかく今アクートが合図をしたところで新たな火の手は起こらないはずだ。 中にいるというレミーも恐らく助け出されているだろう。そのためにシャープを行かせたのだから。 そして、アクートは闇の精霊魔法を使いながらここに忍び込んだと言った。それはヘオンが急遽パレードに出ることになったために王宮の魔法障壁が切れていたから成功したのだ。 用心深いヘオンの性格を考えると、恐らく今は。 ――行けるかもしれない。 ずくずくと脈打つ傷を意識の外に追いやって、扉から離れると両足を踏みしめた。 命乞いなどしない。 脅しにも屈してはならない。 俺は、この国の王なのだから。 「さぁ、返事を聞かせてもらおう」 勝ち誇ったように、アクート。俺も対抗するように口元で弧を描く。 「俺は、精霊たちに寄り添える今のムジークの姿が好きだ。確かに課題はあるだろうが、必ず解決してみせる。お前たちスラムの民にも過ごしやすい国にすると約束しよう」 「綺麗事を。言うだけなら誰でもできる!」 「誰でも、ではない。ムジーク国王である俺が、己の命を懸けて精霊王に誓うのだからな。……何度でも言う、誓言の儀は中止しない。ムジークの民を白髪に戻すこともしない」 毅然とした態度で言い切ると、アクートはわなわなと拳を震わせた。 「馬鹿な……どうなってもいいと言うのか! 死んだらそんな誓いも果たせないんだぞ!」 「……俺は、弟たちを信じている」 相手の目を、正面から見据えて。 「やれるものならばやってみろ。お前にその覚悟があるのならな」 俺の宣言に、アクートは怯んだ様子で一歩二歩と後退する。 だが、やがて吹っ切れたように肩を揺らして笑い始めた。 「そうか、そういうことか……国王、アンタには替えが二人もいるんだもんなぁ……自分と妹が死んでも、国家運営に支障はないってワケか。――ではお望み通り、私と共に死んでもらおう!」 アクートが両手を大きく広げ、息を吸い込む。 《私の魔力の限り、最大火力で瞬間的に燃え上がれ!!》 叫ぶは火の精霊語。その声量は、きっと多くの精霊の耳に届いただろう。 だが。 「…………」 訪れたのは、張り詰めた静寂。 俺の目の前で、手を広げた格好のままアクートは身体の動きを止めていた。 まばたきひとつせず、狂気の籠った目で虚空を睨みながら。 ――魔法障壁内部の制限が、無事発動したのだ。 魔法障壁が外部から使役された精霊を通さないということは、内部の精霊の数が限られるという裏返しでもある。 王宮内の日常生活で必要な精霊をごっそり使うような詠唱を感知すれば、唯一制限のない時の精霊が自動で術者の時を止めるという仕組みだ。今回のように、忍び込んだ賊による精霊魔法を防ぐことも想定している。 ヘオンが作ったのだが、今ちゃんと発動するかの確証はなかったので、俺は安堵の息を吐き出した。……やはり俺の弟は凄いな。 今頃、シャープもレミーを連れて帰っているだろう。無事かどうかは気がかりだが。 俺は固まったアクートを見る。 俺がもう少し早くスラムに目を向けていれば、この男のような人間を生み出すこともなかったのではないかと思うと、心は晴れない。 弟たちを信じている、という言葉を、アクートは『自分が死んでも国王の位と意志を弟が継いでくれる』という意味に捉えたらしい。 「はは……それは違うぞ、アクート。……俺が死んだら……一体誰が、アイツらの成長を見守ってやれるというんだ……」 緊張の糸が切れた途端急激に痛みが戻ってきて、立っていられず膝をついた。 全身から噴き出した汗が冷えて寒気を催す。出血量は確認できない。多分見たらまずい気がした。 さらに片肘をついて身体を支える。まだ倒れるわけにはいかない。今気を失っては、次目覚めるのがいつになるか分からない。宣言した以上、誓言の儀はどうしてもやり遂げたいのだ。 あと少し耐えれば、フラットが戻ってきてくれる――そんな希望にすがりながら、俺は意識を手放さぬよう必死に歯を食いしばった。