第6話 国王と平和への祈り

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 ムジーク王国創樹祭。
 国王の即位を記念した祭典で、開催は年に一度、時期は王の即位のタイミングによって異なる。
 俺が即位したのがムジークの短い冬の真っ只中だったから、いくら他の国に比べて暖かいとはいえ、寒空の下で外に出る国民には少し申し訳なく思う。まぁ不可抗力なので俺が反省してどうにかなるものでもないが。
 最高位の礼服を身に着け、腰に剣を佩き、さらにその上から豪奢なマントを羽織り、王冠を頭に載せる。
 重くて碌に身動きが取れないが、基本馬車での移動なのでそこまで苦行ではない。徒歩でパレードしろと言われたら俺は恥も外聞もなく逃げ出す。
 全ての支度が終わった頃、フラットとヘオンが揃って部屋に顔を出した。二人とも正装に身を包んでいる。
「本日はよろしくお願いいたします、陛下」
 フラットは丁寧に腰を折って一礼した。
 それを合図にするかのように、俺の身支度を整えてくれた召使いたちが退室し、私室内は兄弟三人だけになる。
 扉が閉まったのを確認してから、フラットが俺に苦笑してみせた。
「シャープが、かつてないほどに不機嫌でしたよ」
「……だろうな」
 俺もつられて苦笑いを浮かべる。
 本来ここにいるべき男は、未だ見つからない妹の捜索に当たっていた。
 創樹祭当日である今日だけは何としても近衛隊長として俺の側にいると激しく反対されたが、俺の懇願に最終的に折れてくれたのだった。
 これで無事レミーを見つけたとして、彼女がシャープから八つ当たりを受けるのは免れないだろう。背に腹は代えられない、すまんレミー。
「次兄がいない分は僕がフォローするから」
 ヘオンが涼しい顔で、頼もしいことを言ってくれた。
 有事に備えて、パレード中も馬車の周囲に魔法障壁を張ってくれるのだという。
「僕が外に出るから、王宮の魔法障壁は一時的に切れちゃうけど、仕方ないよね」
「ありがとうヘオン、お兄ちゃんは嬉しいぞ」
「か、勘違いしないでよね、何かあったら後々めんどくさいと思ったからさ」
 分かりやすい照れ隠しをしてそっぽを向くヘオン。俺は笑いをこらえるのに必死だった。
「さぁ、参りましょう兄さん。国民が待ち望んでいますよ」
「……そうだな。行こうか」
 レミーのことは心配だが、きっと無事だと信じている。俺は、今俺にできることを全力でやるだけだ。
 深紅の重厚なマントを翻し、俺たちは私室を後にした。

   * * *

 澄み渡る空に、創樹祭の開始を知らせる花火の音が鳴り響く。
 国民たちは寒さなど寄せつけぬ熱気の中で、主役の登場を今か今かと待ちわびていた。
 鼓笛隊のファンファーレと共に、王宮の正門から進むパレード。
 荘厳で勇壮な騎士団の隊列は護られているという安心感を人々に与え、それに続く着飾った子供たちの舞は拙いながらも愛らしく、沿道に笑顔の花が咲く。鼓笛隊の奏でる明るいマーチに合わせ、旗衛隊が色とりどりの旗を宙になびかせた。
 そして現れる、ムジーク王国国王の馬車。
 四頭立ての豪華な設えで、悠然と目抜き通りを進んでゆく。幌の無い客車から笑顔で手を振る国王の姿に、皆が歓喜した。
 隣を歩くはずのとある騎馬がいないことに気付いた者も中にはいたものの、舞い散る紙吹雪と歓声によって、その小さな違和感は風に流されていった。

   * * *

 遠くで湧き立つ声が聞こえる。パレードが始まったのだ。
「……っち」
 シャープは複雑な思いを吐き出すように舌打ちする。
 本来の居場所は兄王の隣であるはずなのに、何故今自分はこんなところを走っているのだろう。
 だが兄の頼みは断れないし、妹のことも気がかりだ。アクートたちが蜂起する兆しも見た。全てを解決できるのは自分しかいないのだと心に言い聞かせて、シャープは自警団の詰所へと馬を駆る。
 スラムの人々の中でパレードを見に行ったのは半数ほどのようだった。残った者は興味がないのか、気力がないのか、普段通りの生活を続けている。
 そんな中を駆け抜ける、長い槍斧を携えた白髪の騎士の姿はさぞかし奇異に映るだろう。しかし、もうなりふり構っていられなかった。
 いないと気づいてから、しらみつぶしに探してもレミーは見つからなかった。
 スラムを自力で脱出して身を潜めているならいいが、誰かに軟禁されているか、もしくは既に――
 脳裏に浮かんだ最悪の結末を即座に打ち消して、シャープは坂を一気に上る。
「アクートはいるか!」
 馬から降りて詰所の扉を乱暴に開けて飛び込む。
 中にいた気の弱そうな女性が悲鳴を上げて逃げ、何事かと出てきた男二人がシャープを見て固まった。
「シャルおめぇ、何だそのカッコ――」
 気圧されたようにたたらを踏む男たちに、シャープはさらに詰め寄る。
「アクートはいるかって聞いてンだよ」
「か、頭なら今朝、作戦を実行するって出てったっきりだ。蜂起の合図があるまで俺らは待機なんだ、どこに行ったかまでは知らねぇよ!」
「んじゃ質問を変える。レミーをどこへやった」
「……は?」
 質問の意図が読み取れなかった様子で、返事をした男が眉間に皺を寄せる。
 だが、もう一人の男が目を見開き、急にガタガタと震え始めた。
「おい、どうし――」
「シャル、って……アンタ、まさか……!」
――潮時か。シャープは低い声で呟く。
《オレの髪を元の色に戻せ》
 紡がれる念の精霊語。
 毛先から幻視魔法が解けて、白髪は元来の紫色へと染まっていく。
 色の変化に呆然としているかつての同志へ槍斧の穂先を向けると、シャープは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「ムジーク王国騎士団長、シャープ=リード=ムジークだ。ここにいたシスターレミーはオレたち・・の妹。隠し立てしようってンなら、……容赦しねェよ?」
 わざわざ複数形にした言葉の意味を、いくら場末のスラムの人間とはいえ知らぬはずがない。
 男たちは慌てふためき、もつれるように倒れ込んでその場に平伏した。
「あのシスターが『闇夜の紫狼』の妹だなんて知らなかったんだ……です! どうか、国王陛下にはご内密に……!」
「あァ? このオレが、誰の命令で大事なパレードほったらかしてこんなコトやってると思ってンだ。報告しないワケねェだろ馬鹿か」
 積もり積もった不機嫌を乗せた威圧的な目で見下ろすと、男たちがヒィィと情けない声を出して後退した。
「蜂起は中止しろ。てめェらの処分は後回しだが、調べはついてンだ、この国から逃げられると思うなよ。いいからサッサとレミーの居場所を吐け」
 シャープの通達に観念した様子の男たちだったが、何かを思い出したように急に青ざめ、がばっと立ち上がった。
「あ、あぁぁ……マズイ、急がねぇと!」
「あン?」
「蜂起の合図が、修道院から火の手が上がったらってヤツで。そこにシスター――レミー様が! アクートの旦那が国王陛下をちょっと脅かしてやるんだって、縛って中に!」
 それを聞いて顔色を変えたシャープは、
「……くそったれ!!」
 次の瞬間、激しく扉を叩き壊して外へと飛び出していた。

   * * *

 レミーは寒さで目を覚ました。
 両手両足をきつく縛られて石の床に寝かされている。
 自力ではほどけないどころか、立ち上がって移動することすらままならない。幸いにも目隠しはされていなかったため、ここがどこなのかは目を開けてすぐに分かった。
 修道院の礼拝堂。
 規則正しく並んだ椅子と、大きな祭壇。レミーはここで幾度となく祈りを捧げてきた。
 祭壇奥の壁に、精霊王の依り代として飾られた『精霊の樹』の枝葉。
 国王である兄トーンの即位の時に植えられた樹、その枝は成長過程で剪定するたび民に分け与えられる。
 いわば精霊王と兄王に見守られて、今のレミーはここに在るのだ。
「それなのに、わたしは……」
 自己陶酔で孤児に情けをかけて、自分勝手に少女へ洗礼を施して、自己満足でスラムの民を白髪に戻して。さらに、折角来てくれた次兄の救いの手を振り払って悪党の手を取ったのだ。
――何一つ、この祭壇に顔向けできないではないか。
「こんなんじゃ……愛想尽かされて当然ね……」
 自然と溢れる涙が頬を伝う。泣く資格すらあるかどうかも分からないのに。
 無人の礼拝堂は寒々しい。修道院の皆は今頃華やかなパレードを見に行っているのだろう。こんなところで無様に転がっていても、誰も気付いてくれない。
 彼らは、レミーが去ったことを寂しく思っていてくれただろうか。それとも邪魔者が消えてせいせいしたと思われていただろうか。馬鹿な事をしたものだと、蔑み笑っているだろうか。
 そんな人たちではないと信じたい心と、人の本音なんて分からないという擦れた心がせめぎ合って、さらに視界が滲む。自己憐憫の涙など何の価値もないのに。
 その時、パチパチと小さな音が聞こえることに気が付いた。
 音の方向に首を巡らせると、大きく穿たれた窓の下方から橙色の光が見えた。
 アクートの言葉が瞬時に蘇る。――修道院に火をつける、と言っていなかったか。
「……嘘でしょ……!?」
 後ろ手に縛られた縄をほどこうともがくが、びくともしない。切るようなものも見当たらない。あの火で焼き切ったとして、その頃には逃げ道もなくなっているだろう。
 徐々に成長する炎。焦りも比例して大きくなっていく。
「誰か……っ」
 声に出しかけて、やめる。
 誰も、いないのだ。助けを求めて、応えてくれる人なんて。
 いつだってレミーはワガママで、自分勝手で、ひねくれ者だから。そのツケが回ってきただけにすぎない。
 レミーは目を閉じた。今この場所に他の被害者がいないことを喜ばなければ。シスターとして祈りを捧げなければ。だが迫りくる死への恐怖に、歯の奥ががちがちと鳴る。
――あぁ、会いたいな。
 レミーの真っ暗な脳裏に、最悪な別れ方をした男の姿が浮かぶ。
 謝る機会をくれなんて贅沢は言わない、せめてもう一度だけこの目で。
 その時だった。
「――おい、てめェ何やってる! お前ら、手分けして火ィ消せ!」
 複数の金属の足音と共に、聞き慣れた声が耳朶を叩く。
 レミーはハッと目を開き、顔を上げ、視線を巡らせた。
 そして開け放たれた扉の先、まばゆい光の中に立っているのは。
「レミー! 無事か!?」
 信じられなかった。今一番会いたいと望んだ人が、そこにいた。
 自分の名前を呼んでくれて。
 自分の身を案じてくれて。
 こんなどうしようもない自分のために、息を切らして駆けつけてくれて。
 湧き上がる感情は、溢れる涙が集まって大きな波となり、その奔流はレミーの小さくて頑固な意地を押し流す。
 我知らず、口にしていた。
「シャープ……助けて……!!」
 彼がこちらを見る。
――声が、届いた。
 シャープは床のレミーを見つけるとすぐさま駆け寄り、短剣で手足のロープを切って抱き起こしてくれた。
「火は燃え広がる前に消したからもう大丈夫だ。怪我はねェか?」
 耳に心地良い、低い声。走ってきたからか、少しかすれているところすら色気を感じる。
 肩を抱かれる手の温度に、ふわっと漂う彼の匂いに、頭の奥が痺れたようになって、問いかけに答えられずに俯いてしまった。こんな至近距離なのに、まともに顔が見られない。
 レミーの反応で怪我をしていると受け止めたのか、シャープはレミーの身体を軽々と横抱きにした。
「きゃ!?」
 思わず悲鳴を上げると、シャープは怒ったような、困ったような表情で、
「助けてほしいって、もっと早く言えよ……馬鹿だな」
 そう囁きながら、軽く額をくっつけて少しだけ微笑んだ。
 それがあまりにも優しくて、蠱惑的で、――兄が妹に向ける情愛そのものだったから。
「……っ!」
 強がりも、ごめんなさいも、ありがとうも、何一つ言葉にならなくて。
 いろいろな感情が濁流となってレミーの心をかき回す。
 シャープの胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。

――わたしの最大の罪は、この兄シャープに恋をしてしまったことなのね。

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