第6話 国王と平和への祈り

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 最初は、気の毒に思う程度だった。
 華やかなパレード。誰もが憧れる、着飾った子供たちの晴れやかな舞台。
 それは一年に一度、それも選ばれた一部の者だけが立つことを許された。
――選ぶ側の人間として、彼女はその不公平さを憂えていた。
 一年前の祭。白い髪の少女が、明るく楽しそうに舞う彼らを羨望の眼差しで眺めていたのを見た。その後、こっそり振り付けを真似していたのも、そして、少女のそんな小さな願いが叶わないことも知っていた。
 国じゅうの子供から広く募っておいて、あの晴れ舞台に立てるかもしれないと夢を持たせておいて。
 選ばれるのは『色のある者』だけ。
 
 彼女は少女に声をかけてしまった。それは、実現できる力を持つ者の傲慢。
 彼女は少女の切なる願いを聞き届けてしまった。それは、似た関係にある者への憐憫。

 彼女の行動は、結局誰も幸せにすることができなかった。

   * * *

「ばかじゃないの……」
 レミーは誰にともなくひとりごちる。小さな声は周囲の喧噪に紛れ、自分の脳内で響くだけに留まった。
 その言葉を面と向かって言いたい人間は山ほどいた。勤める修道院にも、一般国民にも、兄弟たちにさえも。実際心の中では何度も罵声を浴びせてきた。
――ところがどうだ、結局その言葉は今の自分に最も相応しい。現在の状況がそれを雄弁に語っているのに、認めたくない。認めてしまったら負ける気がする。
 ムジーク王国に形成されたスラムの、今にも傾きそうな建物の間に蹲ってしばし。
「……さむ」
 積まれた荷物に隠れるようにしても、家々を吹き抜ける風は冷たい。秋の終わりを風情なく感じながら、レミーは外套の首元を掻き抱く。
 何故こんなところで隠れるはめになったのか。
 レミーは上からの命令により、放置された哀れなスラムの人々へ精霊の加護を伝えるよう派遣された。
 スラムの子供ひとりに無償で洗礼を施したことで、そんなに慈悲深いなら適任だろうと誉めそやされて。要は厄介払いだ。
 特に上質な布を使っているわけでもない修道服も、薄汚れたスラムに立てば綺麗で、目立つ。
 レミーが例の騒動の発端であると噂で聞いていたのだろう、あっという間に取り囲まれて、無償での洗礼を方々からねだられた。とてもじゃないがこの人数を対応できないので断ると、今度は贔屓だの、洗礼の寄付金が高すぎるだの、金の亡者だの、その服を見るだけで胸糞悪いだのと罵られた。
 精霊の加護をゆっくり説くような状況ではなく、這う這うの体でその場を逃げ出し、服を隠すため布を頭から被って震えているのだ。
「大丈夫? おなか痛い?」
 頭上から声をかけられて、びくっと振り仰ぐ。こんな狭いところまで人が来るとは思っていなかったからだ。
 視界を遮る布をどけると、そこにはくすんだ桃色の髪の子供がいた。
――忘れもしない。あの時、自分の力でその色に変化させた少女。
 顔を上げたことで、少女もレミーだと気付いたようだ。心配そうな表情から一転して無表情になって、レミーの背筋が凍る。
「おねえちゃん……あたし、お約束守ったのに」
「あ……」
 少女が何のことを言っているのか、レミーにはすぐ分かった。内緒で洗礼を施したことを誰にも言わないでねと約束したのだ。
 実際、修道院での尋問にも少女は最後まで口を割らなかった。
 話すまで家には帰さないという修道院の強硬姿勢に、見ていられなくなったレミーが名乗り出たことで問題は露見したのだ。
 それはあなたのためだったのよ、と言ったところで少女の心には大人に約束を破られた事実しか残らないのだろう。
「それは……ごめんなさい」
 レミーが謝罪を口にしても、少女の表情は変わらなかった。
 ふつふつと苛立ちが湧いてくるのを、我ながら大人げないと思う。
「でもどうして幻視魔法が解けちゃったの? かかったままならバレなかったのに」
 案の定、次の言葉は多分に棘を含んだ。
 そもそも髪が白でなくなるというのは、白髪のままの者が多いスラムで暮らす人間ならば『言わなければ秘密にできる』類のものではない。レミーは少女に幻視魔法をかけて白い髪のままに見せる処置をしていたのだ。それが何故。
 少女はぼろぼろのスカートをぎゅっと握りしめて言った。
「……おにいちゃんに、見せたかったの」
 その言葉に、どくん、とレミーの心臓が音を立てる。
「おねえちゃんの精霊語、あたしにもわかったから。後で自分でやればいいやって思って、どうしてもおにいちゃんに見せたくて、それで」
 たどたどしい説明でも、レミーには全てが理解できた。――できてしまった。
 かつて少女が語った話を思い出す。

 一般居住区に住む兄とは異母兄妹で、少女はもっと幼い頃に母と共にスラムへ捨てられた。
 母は身体が弱くてスラムの生活に馴染めないまま死んでしまい、孤児院で寂しく生活していた少女を唯一気にかけてくれた肉親が、七つ年上の兄だった。
 兄は少女を可愛がってくれて、暇があればいつでも遊んでくれた。少女も優しくて頼もしい兄が大好きだった。
 そんな兄が今年、あの華々しいパレードの先導役の一人に選ばれたと知る。
 参加資格は十二歳まで、最後のチャンスで受かって良かったと喜ぶ兄が羨ましくて。
 どうしても一緒に出たくて、でもどうしたら少女自身も参加できるのか分からなくて。
 兄に聞いたら「お前みたいな白い髪の子供なんて、パレードには一人もいないよ」と笑われた。
 髪の色が白じゃなければいいんだ、と思った少女は、川べりで頭に石を打ち付けて自らの血で赤く染めようとしていたところを、レミーに止められたのだった。

 幼い子供が自らを傷つける場面に出くわし、さらにそんな話を聞いてしまって、レミーの何とかしてやりたいと思う心を止めることはもはや不可能だった。
 レミーには洗礼を施す力があったし、さらに都合のいいことに、今年はパレードの振り付け指導を任されていた。きちんと踊れていれば一人くらい増えたって誰にも分からないだろう、と。
 何よりも、年の離れた兄に自分を見てほしいと思う少女の気持ちが、痛いくらいレミーの胸に突き刺さったのだった。
「……は……それでバレてちゃ世話ないじゃない。自業自得よ」
 突き放すような言葉がするすると出てくる。少女は唇を噛みしめて俯いた。
 洗礼で引き出した少女の髪の桃色は、念の精霊と相性が良いことを示している。
 少女が精霊語をどこで覚えたのかは知らないが、スラムであっても精霊魔法を学ぶ機会がないわけでもない。
 レミーの幻視魔法の文言を聞いて真似できると思ったのだろう、兄に見せたくて解くことはできたが、再びかけ直す時に魔力が足りず失敗した、というところか。
 これだけ騒動になってしまえば、少女がパレードに出ることはもはや叶わない。レミーにはこれ以上どうすることもできなかった。
「……おにいちゃんも……出られなく、なっちゃった……」
「え?」
 小さくかすれた声が聞き取れず、問い返す。
 次に少女から返ってきたのは嗚咽だった。
「あたしが……ズルして洗礼うけたのが妹だってバレて……それならおにいちゃんも悪い子だろうって、パレードだめになったんだって。あたし、おにいちゃんにだけは嫌われたくなかったのに……!」
「……っ、それは――」
 ひどい、などと言う資格が、果たして今の自分にあるだろうか。
 レミーが自分勝手を尽くした結果の今ではないのか。修道院の決定を覆すほどの力などありはしないのに。
 嫌われたくなかった、と言うからには、少女は既に兄から手酷く責められた後なのだろう。
 レミーは同情を言葉にする代わりに泣いている少女へと手を伸ばすが、それはあっさりと振り払われた。
「おねえちゃんが余計なことしなければ、おにいちゃんとも今まで通りでいられたかもしれないのに! ……もう、みんなみんな、大っ嫌い!!」
 壮絶な怒りを宿した瞳に涙を浮かべ、少女は桃色の髪を振り乱して走り去っていった。

 追いかけることもできず、後ろ姿をやるせない気持ちで見送って、レミーは膝を抱える。
「何よ……全部わたしのせいなのね……」
「そりゃそうだろ」
「きゃ!?」
 独り言にまさかの返事が来て、レミーは文字通り飛び上がった。
 声のした方向――少女が去った方とは逆――を振り向くと、木箱に肘をつき向こう側からこちらを覗き込むようにして白髪の男が立っていた。
 その顔を見るなり、心臓が高く跳ね上がる。
「な、な……」
 レミーは口をぱくぱくしてしまう。
 例え髪が白くとも、レミーがその男の顔を、声を、仕草を知らないわけがなかったから。

「何でシャープアンタがここにいるのよ!?」

 思わず指差して叫ぶ。驚きすぎて腰でも抜けたか、立ち上がれずにズリズリと尻で後退するしかないのは格好悪いが。
 シャープはシッと人差し指を口元に当て、ニヤリと笑う。
「あー、さすがにお前にゃバレるか。……凹んでるかと思ってたが、案外元気だな」
「……余計なお世話」
 レミーは小声で呟いて、頭から被った布を目深に引きずり下ろす。こんなみっともない姿を見られたくなかった。この男にだけは。
 先程驚いた時に速くなった鼓動が収まらない。その理由は自分が一番よく分かっている。
 かつて王宮で起きた悪魔の鏡騒動。レミーが最初に覗き込んだ時に映ったのは、まぎれもなくこの兄――シャープの姿だったからだ。
 あの鏡が恋心を暴き出すものだということを後から知ってレミーは愕然とした。実の兄を好きになるなんてありえないと思った。鏡の悪魔が心の中を読み間違えたのだろうと。
 だがそれを意識すればするほど、信じられないことに兄への想いがますます膨れ上がっていくのだった。
 それ以来、シャープと顔を合わせるのが気恥ずかしくて避けてばかりいたし、会ったら会ったで喧嘩腰で食って掛かった。元々兄弟の内では犬猿の仲だったから周囲には気付かれていないだろうが。
「スラムにちょくちょく通ってただろ。ガキの面倒見てたンだな、お優しいこって」
 わずかに嫌味を混ぜ込んで、シャープが口の端を上げる。
「いつからそこにいたのよ」
「お前がこの隙間に逃げ込んだくらいから?」
 声をかけられるまで気付かなかったということは、闇魔法で影にでも溶け込んでいたのだろう。シャープの髪は闇の精霊と親しい色だからだ。
 だが、外套の端からチラッと覗けばやはり見慣れた紫色の髪はなく、今は白く透けている。それが新鮮で美しく、うっかり|見惚《みと》れそうになって慌てて俯いた。
「ほぼ最初からじゃない、最低」
「ンだよ、お前がスラムで生活するって聞いて、せっかく見に来てやったのに」
 喧嘩を売るような言葉の応酬の裏で、わざわざ会いに来てくれたことが嬉しくて仕方ない。
 もしかして連れ戻しに来てくれたのではないだろうかと、ほのかな期待をしてしまう。それを隠すための言葉を紡ぐ。
「笑いに来た、の間違いでしょ?」
 ふん、と鼻で笑うシャープ。
「まァ、確かに笑えるけどな。……てめェの身勝手で兄貴やフラットにどんだけ心配かけてるか分かってンのか? 自業自得なのは、ガキじゃなくててめェだ」
「……っ」
 一段低くなった声に、思わず身を竦ませる。
 シャープは怒っているのだ。
「誰か一人を特別扱いしてェなら、それ以外のヤツらへのフォローを忘れんな。それができねェのに自己満足で正義感振りかざしてりゃ、贔屓だって言われンのは当たり前なんだよ。贔屓されたヤツも結局妬まれて、誰も幸せになんかなれねェんだ。兄貴だってオレだって、その辺は苦労してんだぜ」
 そんなことは言われなくても分かっている、と反論できない。まさにその状況が今なのだから、本当に分かっていたらこうはならなかったのだ。
「立てよ。オレが直々に喝入れてやる」
「やっ……ちょっと!」
 手首を掴まれて、家の隙間から引きずり出された。
 痛いと振り払おうにも力が強くて抗えずに、そのまま家の裏手へと連れていかれる。
 人通りこそ多くないものの、外から来たシスターが色無しの男に追い詰められる様子は嫌でも耳目を引いた。逃げ出したいが、そうもいかない。
「兄貴の分も頼まれてるから、二発な。目ェ閉じろ」
 ぽきぽきと指を鳴らしながらの、トーンの分も代行するという宣言。
 国王である一番上の兄も――あの弟妹を溺愛している長兄でさえ――怒っている。レミーは震える手を押さえつけてぎゅっと目を閉じ、これから来るであろう二発の痛撃を覚悟した。

 だが。

「……え?」
 頭に優しく乗せられた大きな手。それが二回、ぽんぽんと弾む。
 目の前の兄を呆然と見上げると、シャープは意地悪な笑みを浮かべていた。
「殴られると思ったか? なら、悪いことした自覚はあンな。上等上等」
 笑いながら、今度はぐしゃぐしゃと頭を撫で回される。
 被っていた布もシスターの頭巾も取れて、橙色の髪が鳥の巣のようになってしまった。
「な……によ、それ……」
 心音が速いリズムを刻む。頬が熱を持つのを自覚する。
 だが、この手を振り払えない。もっと触れていてほしいとすら思う。こんな不意打ちは卑怯だ。
「オレはお前を連れ戻しに来たわけじゃねェ。けど、たまにゃ様子見に来てやっから、何か困ったことがあったら言えよ」
「……!」
 殴られることなく撫でられた頭。優しい言葉と共に向けられた微笑。それは妹を心配する兄の姿であると、レミーは気付いてしまった。
 当たり前なのだ、シャープとレミーは兄妹以外の何者でもないのだから。それ以上を望むことはできないのだから。
 連れ戻しに来たわけではない、とはっきり言われてしまったこともショックだった。
 シャープは可哀想なヒロインを救いに来た王子様などではなく、単に馬鹿なことをしてスラムに送られた妹を憐れんだだけに過ぎない。
 しかも「兄貴の分も頼まれた」というなら当然、トーンもレミーの状況を知った上で連れ戻さない判断を下した。
 要するに兄たちはレミーに呆れ、見捨てたも同然なのだ。
 気持ちの行き場をなくして、次の瞬間レミーはシャープの頬を思いっきり叩いていた。ぱぁんと、小気味よい音が鳴る。
「ってェな、何すンだよ!?」
 頬を押さえて後退る兄をキッと睨みつけて、叫ぶ。
「中途半端に優しくしないでよ! アンタのそういうトコ嫌いなの! もうわざわざ来なくていいからっ!!」
 我知らず視界が涙で歪む。シャープがどんな顔をしているかも分からないまま、レミーは逃げるようにしてその場を走り去った。

 スラムの細い道を無我夢中で駆け抜ける。
 すれ違う人々がレミーのシスター服を振り向くが、気にしてはいられなかった。
 涙はぽろぽろと零れて、しゃくりあげるリズムが呼吸を邪魔して胸を苦しめる。ただこの苦しさは、実らない恋心が悲鳴を上げているのかもしれなかった。
 そうしてしばらく走って、路地の角を飛び出した時――
「きゃっ!?」
「おっと」
 誰かとぶつかってしまい、倒れそうになったところを咄嗟に支えられる。
「ご、ごめんなさい」
 肩に回された逞しい腕は男のものだ。
 慌てて謝りながら離れようとするも、白髪の男は目を見開いたまま、何故かその手を放してくれなかった。
「失礼。君は、ここの子供に洗礼したという噂のシスターだね。……泣いてるの?」
 その言葉にはっとして、レミーは袖口で目元を拭う。
 男はクスッと笑うと、レミーをゆっくり立たせてくれる。そして手を取ってこう言った。
「君みたいな慈悲深い女神をこんなに泣かせるなんて、どこのどいつだろうね。ウチの人間だったら、後で叱ってやらないといけないな」
 レミーを表現した言葉が、やけに媚を売っているように聞こえて眉根を寄せる。
 口説き文句にしては安っぽいし、何より、自分の至らなさを痛感した直後でそのように褒められても素直に喜べない。
 レミーが唇を引き結んで黙っていると、男は困ったように苦笑した。
「私は、君に一度会ってみたいと思っていたんだ。こんな出会い方をするなんて、運命みたいで嬉しいよ。……茶でも飲んで、少し落ち着かないか」
 さらに歯の浮くようなセリフを流暢に喋られて、レミーは思わず笑ってしまった。
 スラムに来てから心折れるような出来事ばかりの中で、例え冗談であっても前向きな言葉に触れられるのは救われる心地がした。
 その笑みを肯定と受け取ったのか、男はにっこり頷くとレミーの手を引いて歩き始める。
 武骨な割に優しいエスコートをされて今更振り払う気にもなれず、レミーはそのまま素直についていくことにした。もうどうにでもなれ、と半ばやけっぱちな気持ちがあるのも確かだった。

 スラムは山の麓にあるため、なだらかな傾斜の上に小さな建物が乱立している。連れてこられたのはその中でも比較的大きな家だった。
 この辺りでは珍しい門を潜り、狭いながらもきちんとした庭を抜けて玄関へと辿り着く。
「客人だ、誰か茶を出してくれ」
 男が一声かけると、小間使いらしき少年が返事をして台所へ駆けていった。それを横目に、奥の部屋へと通される。
 中には数人の男女がいて、一斉にこちらへと視線を向けた。歓迎、とまではいかないが少なくとも敵意の目ではなさそうだ。
 年齢層は幅広いが、共通点は真っ白な髪。スラム街に色付きの髪の者がいないわけではないのをこの目で見てきた分、全員が白いと自分の橙色は場違いな気分になる。
 レミーをここまで連れてきた男は手を離し、くるりと向き直った。
「改めて、初めましてシスター。私はアクート。このスラムで自警団のようなものを結成して、一応その長をやってる。ここは私の自宅兼詰所だ」
 アクートと名乗った男が丁寧にお辞儀をすると、それに倣って室内の男女も軽く会釈してきた。
 どうやら彼がリーダーなのは間違いないようだ。詰所ならばこの広さも頷ける。
 レミーは男をまじまじと見つめる。年の頃は二十代半ばか。程よく鍛えられた身体、焼けた肌が白い髪との対比でよく映えている。ただその深い紫の瞳に先程殴った兄の髪色を重ねてしまい、苦い気持ちでそれを打ち消した。
「自警団なんて、あったのね、スラムここにも」
 取り繕うように率直な感想を口に出してから、しまったと思った。それにしては機能してないじゃない、という皮肉に取られはしないだろうか。
 口は災いの元であると年配のシスターによく説教されるが、全く反省できていない自分に呆れる。
 アクートは怒った様子もなく苦笑して、
「まぁ、君の言いたいことは分かるよ。この間も境で派手に喧嘩してたのを止めてないしな」
 周囲に同意を求めると、わははと笑い声が起こった。レミーは眉を顰める。
「止めて、ない? 止められなかったじゃなくて?」
「あぁ、止めてない」
 問いかけはあっさりと肯定される。
「止める必要なんてなかったからね」
 自警団を組むようなイメージからかけ離れた悪い笑みを浮かべて、アクートは言う。レミーは思わず一歩後退った。
 あの日の喧嘩は、騎士団長であるシャープ自ら鎮圧に出向いたと聞いた。レミーは子供たちへの振り付け指導を終えて修道院に帰ってからそれを知ったのだ。
 わざと兄の手を煩わせておいてヘラヘラしている名ばかり自警団に、レミーの腹の奥底で怒りの炎が灯る。
「止めずに……焚き付けたってこと?」
「人聞きが悪いな、静観してただけだよ。――裏切り者を助ける義理もないからな」
「裏切り者?」
「君が、その裏切りを幇助したんだ」
 ぎくりとレミーは肩を震わせる。
 そう言われて思い当たる節などひとつしかない。あの、レミーが洗礼を施した少女のことだ。
 喧嘩のきっかけになった、桃色に変化した髪。
「色付きになりたいなんて、馬鹿なことを。白い髪こそが最も美しいのに」
 胸に手を当て、陶酔するように熱く語るアクート。
「持って生まれた髪の色こそ自然な姿なんだ。それを外部から働きかけて色を変えてしまうなんて、愚の骨頂だね」
 レミーはもう一歩、後ろに下がる。
 洗礼を施す側の人間であるレミーに向けられる、アクートの鋭い視線を受け止めていられない。出会った時に慈悲深いなどと形容されたのも婉曲な嫌味だ。
「白は光の精霊の色。――ムジークは本来、光の民であるべきなんだよ」
 光の、民。レミーは口内で呟く。
 それでは彼らは自警団というより、本来の白い髪こそを是とする、修道院と意を異にする信仰団体というべきか。
 アクートの言い分は、分からなくもなかった。
 修道院が主導して洗礼による染髪を始めたのは、ムジークの歴史を紐解いてもそこまで古くからあるしきたりではない。寄付金の是非をめぐる争いが起こるたび、こんな制度なくしてしまえばいいのではないかとレミーが考えたことも一度や二度ではない。
 実際フラットに訴えたこともあるが、修道院長の立場にいながら何もしない兄に苛立ちを覚えただけに終わった。
「君は、勝手に洗礼を施した罪でここへ送られたと聞いた。なら、私が汚名をそそぐチャンスをあげようじゃないか」
「別に、アンタなんかに言われなくたって――」
「じゃあ、さっきまでみたいに無様に逃げ回っているといいさ。ここスラムで、その虚勢もいつまでもつかね」
 レミーは何も言い返せず唇を噛む。
 スラムに送られたものの、何をもって反省したと見做されるのかをレミーは聞かされていない。
 精霊の加護を説くにも、住人があの様子では地道に長い時間をかける他ないのは明白だった。
「なに、簡単な話だ。シスターがやったことの逆をやるのさ」
「逆って……」
「色付きの人間を、元の白い髪に戻してくれればいいんだ」
 そんなことが果たして可能なのかどうか、レミーは知らないし考えたこともなかった。
 色を変える時と逆のことをすればいいのであれば、原理としては何となく理解できるが。
「スラムにも色付きの人間が少なからずいて、これがまたトラブルの元になってたりするんだ。同じ場所で暮らしていく以上、団結し力を合わせて生きていかなければならないからね。シスターが協力してくれるなら私たちも助かる」
 そう言って、手を差し出してくるアクート。
 その大きな掌を見つめて、レミーは葛藤した。
 この手を取るべきか、否か。――今、自分のすべきことは。
「わ、わたしは……」

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