第6話 国王と平和への祈り

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「……何でオレが殴られなきゃなんねェんだ、クソ」
 シャープは手の形に赤くなった頬を擦りながら、スラムの路地を歩く。
「痴話喧嘩か」と揶揄してくる通りすがりの酔っ払いに「違ェよ」と否定を投げたりしつつ、やがてかろうじて飲食店と呼べそうな建物の前までやってきた。
 昨日から消化の良いものしか口にしていない。美味しいかどうかはさておき、何かしら腹に入れておきたい気分だったシャープは躊躇いなく中に入る。
 風除け程度の簡素な戸をくぐると、昼飯時ということもあって、狭い店内は思ったより賑わっていた。
 客は白髪の者が多い中、隅の方で縮こまって食べている数人の色付きの髪が印象に残った。
 スラムにおいては、彼らが少数派として虐げられる側なのだろう。白髪と色付きの立場が逆転しただけで、ここは国の縮図だ。
 シャープは魔法で白く見せた髪を揺らして、違和感なくそこに溶け込む。
 奥のカウンター席に陣取って適当な定食を頼み、金を前払いで渡す。
 人の好さそうな店主は、調理の手を動かしながら話しかけてきた。
「お客さん、見ない顔だねぇ。外の人かい?」
 店主の言う外とはスラム以外の地区のことだ。
 シャープは、フラットに用意させられた設定を思い出しながら答える。
「ん。昨日の騎士団の帰還遠征? とやらにくっついてきた」
「おぉ、じゃあムジークの外から来たのか。それじゃ来て早々大変だったろう」
 店主は心の底から同情する声音で言った。
 視線が髪を見ていることから、思考がどんな経緯を通ってその言葉を紡ぐに至ったのかは大体想像できた。シャープはそれに合わせて返事を考える。
「あー……そうそう。白い髪ってのは珍しいのか? 街歩いてたらやたら見られたンだけどよ」
 頭を使って喋るのは苦手なので不自然な間が空いたが、慣れない視線にさらされて気落ちしている風に見えたのかもしれない。
 店主は慰めるようにうんうんと頷いて、
「だろうなぁ。この国じゃ、白い髪は寄付金も収められない貧乏人や孤児、もしくは精霊王に顔向けできないような犯罪者の子って意味に等しいからねぇ。実際このスラムは手癖の悪いヤツらが集まりやすいから、一般居住区の住人には『白鬼街』なんて呼ばれてたりするよ」
「白鬼街、ねェ」
 騎士団の長としてたびたび報告に上がる中にも散見された言葉。
 鬼とはかつて他国から伝わった言葉で、精神的な意味での『悪いもの』『邪なもの』の象徴とされる。
 その文字が使われているのは、スラムに対する人々の悪しき感情が具現化したからに他ならない。
「別に悪いことしたくて集まってるわけじゃないし、仕事にありつけずに生活に困窮してやむにやまれずって奴らも多い。それは色がついてようがついてなかろうが同じことだ。単に白髪が多いってだけでそう呼ばれるのは不本意ではあるけどねぇ」
 そう言って苦笑する店主の髪も白い。
 真っ当に働く彼の姿を見ても、スラムの外の人間は十把一絡げに『白鬼』と見做すのだろう。そういった偏見は何故かなくすことができない。
 器にスープを注ぎながら、店主は続ける。
「来たばっかりのお客さんに言うのも何だが、用が済んだら早いとこ国に帰った方がいいよ。近々、スラムの過激な連中が国王に対して蜂起するって話でね。巻き込まれる前に逃げな」
「蜂起って……この国の王様は何か悪いことでもしてンのか?」
 あくまで他人事を装って問いかける。
 兄の政が目の前で悪と断ぜられるかもしれない恐怖はあった。国王と最も近い位置にいるシャープに、それは違うと言い切ることはできないのだ。
 店主は周囲をキョロキョロと見回してから、少し身を屈めて声を潜めた。
「誰が聞いてるか分からんから大きい声では言えないが、個人的には王様はよくやってると思うよ。俺らがこんなところに住んでるのも俺らの都合だし、むしろ追い出されたりしないだけありがたいよ」
 その答えに、シャープは胸中でホッとする。
「けどまぁ、不満あるヤツはあるってこったぁな。蜂起するって集まってる連中は色無しの地位向上に躍起になってるみたいだけど、大多数の住人は波風立たせずひっそり暮らしたいと思ってるはず――っと、いらっしゃい! 久しぶりだねぇ」
 顔なじみの客が来たらしく、店主は話を途中で切り上げてしまった。
 が、今の話を聞けただけでもここに来た甲斐があった。
 スラムの全員が、国王の政治に異を唱えているわけではないらしい。蜂起するのは一部の過激派のみで、それ以外の住人はその活動を歓迎していない。
 確かにスラム街を歩いてきた感じでは殺伐とした空気はそれほど感じなかった。一丸で来られたら厄介だと思っていたシャープは、想像と異なる現状に少しだけ緊張を解く。
 やがて目の前に置かれた料理、盛り付けは大雑把だが漂う香りは悪くない。
 一口食べてその味に一度だけ頷き、後は無言で掻き込む。
 半分ほど食べた頃、隣の席に新たに座った男が声をかけてきた。
「よぉ兄ちゃん、なかなかいい身体してるじゃねぇか」
「……そりゃどーも」
 シャープは気配だけ探りながら、視線を料理から外さずに答える。
 突然の馴れ馴れしい態度だが、こんな場所で礼儀を求めても仕方がない。そもそも自分だって礼儀正しさなど持ち合わせていない自覚はある。
「腕っぷし強そうなのに、その白い髪のせいで騎士団に入れなかったとかいうクチかい? 勿体ねぇなぁ」
 思わず噴き出しそうになりつつも何とか堪える。
 この男は、まさか相手が騎士団長であるとは夢にも思っていないのだろう。髪の色が違うだけでこうもバレないものか。
 そもそもムジーク王国騎士団は髪色による差別をしている事実など一切ないのだが、それをここで弁明するのも変なので、男の語る設定に乗ることにする。
「まぁな。どっかで傭兵でも募集してねェかなと思ってよ」
 シャープの言葉に、男は破顔する。
「力を持て余してんなら、俺たちの仲間にならねぇか。折角の逸材がこんなところで燻ってんのは国の損失だぜ」
「『国の』たァ、また大袈裟だな。……んで、仲間って何すんだ」
 待ってましたとばかりに、男が身を乗り出した。
「元々ムジークは白い髪の民なんだよ。それをあの修道院が利権のために妙な洗礼を始めて、白髪は少数派になって虐げられるようになっちまった。白いってだけで人種的には何の差もねぇのに、だ。この現状を憂えて立ち上がったのがアクートの旦那だ」
「アクート……」
 反芻し、その名前を心に刻みつける。
「国王は代替わりしても何の対策も打っちゃくれねぇ。かといって俺たちに直接訴える術もねぇ。アクートの旦那は自警団を立ち上げて表向きは秩序を守りつつ、スラムの窮状を知らせるために小さな騒ぎを起こして、国王に足元の火種に気付いてもらおうって魂胆だ。――機を見て、一斉蜂起する」
 シャープは自然、苦い顔になる。
 最近、一般居住区の住人との諍いが増えていたのはこういうことか。実際その作戦は成功しているからこそ、こうしてシャープが単身乗り込んでいるのだ。
 トーンは血を流すつもりならその前に対話をしたいと言っていた。その望みを叶えるために、自分はどう動けばいいのだろうか。シャープは普段使わない頭をフル回転させて考える。
 騎士団長として「そんなことはさせない」と言うだけなら簡単だが、結局力で押さえつけるのでは余計な反発を招きかねない。
 それよりもまずは、組織の頭であるアクートという男に会うべきだろう。彼の下に付いて内部から瓦解させるか、立場を明かしてトーンの元に招くか。
 髪にかけた幻視魔法解除の文言はフラットから教わっている。その判断とタイミングは未来の自分に委ねることにして、水の入った杯を一気に呷る。
「で、どこに行けば会える?」
 立ち上がりながら問うと、男は料理も頼まずに席を立った。最初からスカウトのつもりだったのかもしれない。
「案内するぜ。今は一人でも多くの賛同者が欲しいから助かる」
 賛同した覚えはねェけどな、と胸中で呟きながら、シャープは店を出ていく男の後を追った。

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