第4話 国王と十色の精霊

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 あの後は書庫でスラム関連資料を漁ろうとしたのだが、途中で大臣に呼び止められたり急な仕事が舞い込んだりして、結局何もできないまま午後の予定に忙殺された。
 こんな調子だから後回しになってしまうのだということを痛感する。
 執務室に戻った時には、もうすっかり日が落ちていた。
 暗くなるのが早くなったなぁと思いながら机に向かい、新たに積み上げられた書類を片付けにかかる。
 単調な作業をしばらく繰り返していると。
「……ん」
 人間不思議なもので、現在一番関心の高い事柄に注意が行きやすくなる。
 今も書類の方から目に飛び込んできて、俺は手を止めた。

『スラムの肥大化と、頻発する民の衝突に関する報告』

 冒頭をそんな文字で飾った紙には、このところスラムと隣接する区域の住人との間に発生するイザコザについて書かれていた。
 スラムを構成する住人は訳あって洗礼が受けられずに白髪のままであることが多く――俗に色無しと言うが――、色の付いた髪を持つ他の住人を妬んだり、逆に色付きの者から蔑まれたりして、差別意識が生んだ溝は両者の間に深く横たわっている。
 今日などはそれがエスカレートして騎士団長自ら出動する事態になったわけだ。
 後日会議の議題に上ることもあるかもしれないが、この書類が報告のみで終わっているあたり、現時点ではそこまで重要視されていないのだろう。
 読んだことを示すサインを入れれば終了なのだが、俺はもっと詳しく知りたいと思った。
 そんなときに響く、扉の外からの声。

「入るぜ」

 俺の返事を待たずに扉を開けて現れたのはシャープだった。
 あまりのタイミングの良さに、ノックぐらいしろと叱ることすら忘れる。
「……どした? 変な顔してっけど」
「あぁ、いや……今お前を呼ぼうと思っていたところだったんでな、驚いたんだ」
「んじゃ、手間が省けたな」
 シャープは薄く笑うと、俺の机の前で立ち止まった。
「今朝の喧嘩の鎮圧な。あれはまァ、上手くいった。しばらくは大丈夫だろ」
「そうか、ご苦労だった。……もしかして、本当に一人ずつ殴ったのか?」
「アンタがやめろっつったから殴ってねェよ。ちょっと口頭で喝入れただけだ」
 止めなければ殴っていたのか、という思いはさておき、こういうところは従順というか素直というか、忠実な男だな。
 まぁコイツに怒鳴られたとあっては大人しくする他ないだろう。俺だって怖い。
「で、だ。発端はガキ同士の喧嘩。色無しだったガキが急に髪色付けて戻ってきて、卑怯な手を使ったんだろって虐めてたトコに、大人が首突っ込んで騒ぎがデカくなったらしい」
「……やはり、色絡みか」
 眉根を寄せる。問題は俺が思っているより根深いのかもしれない。
「実際そのガキは孤児で、寄付金を納められるような状況じゃねェし、どうやって洗礼を受けたのかは分からねェ。その場では口を割らなかったから、ひとまずフラットが保護して修道院で事情を聞いてる」
 フラットがこんな時間まで戻ってこないのは珍しいと思っていたが、そういうことか。
「ではこの件はフラットからの報告を待つことにしよう」
 そうしてくれ、とシャープは頷く。
「それで、念のためスラム周辺の警邏に少し人員を割くことにした。今度国境に連れてく騎士隊を減らそうかと思ってンだけど」
「あぁ、もう次のローテーションか。……ふむ」
 俺は顎に手を当てる。
 騎士団は現在二つの隊が交代で国内と国境の守りを展開している。
 今、隣国とは表立った問題もないし、シャープの言う通り国内を優先するのが自然か。
「分かった、それでいい。人員の配分はお前に一任する」
「了解」
 どこか安心したような表情で、シャープは胸に手を当て敬礼した。
 恐らくだが、例えば俺が「いや、王宮の守りの方を薄くしろ」とでも言おうものなら反対するつもりだったのだろう。弟は俺のことを心配してくれているのだ。
 俺は立ち上がり、ティーカップに紅茶のおかわりを注ぐ。
 ワゴンに伏せてあったカップを一つ手に取ると、
「シャープ、まだ時間あるか? スラムに関して、もう少しお前の意見が聞きたい。何だったらコーヒー淹れるぞ」
 そう誘ってみる。シャープは少し笑って、
「……自分でやるよ」
 と言いながら俺の手からカップを奪い取った。



 スラムはムジーク城下町の南東に位置する一帯で、王宮から見ると川を隔てて向こう側、なだらかな山の斜面に家が立ち並んでいる。
 川向こうはもともと国が居住区として管轄する区域ではなかったため、いわば届出のない不法占拠というやつなのだが、彼らを追い出したところで別の場所にスラムを形成するだけなので、今まで何となく黙認されてきた。
「今朝の喧嘩はどんな状況だったんだ」
 俺の問いに、シャープは長椅子にもたれながら雑談の体ていで答える。
「一般居住区とスラムを繋ぐ橋の真上で乱闘になっててな。下の川に放り投げられてたヤツもいたし、人が集まり過ぎちまったんでこれ以上拡大したらマズイと思って、馬で強引に割り込んで止めた」
「……大丈夫だったのか、それ」
「多分何人か跳ね飛ばした」
「恐ろしいことをサラッと言うな」
 俺が半眼で非難すると、せいぜい尻餅ついた程度だよ、と不貞腐れた声が返ってくる。
 シャープは国民にとって王弟殿下でありムジーク騎士団長でもある。その顔を知らない者の方が少ないだろう。
 武装した彼が騎乗して直々に仲裁に入ったのなら、民は喧嘩を止めるしかない。
「さっき話した通り発端はガキの髪色だけど、大人がガキどもを庇い合ってるうちにどんどんお互いへの不平不満を投げつけ合う感じになって、ああなったらしい」
「どちらも、いろいろとストレスが溜まってるってことだよなぁ……」
 その不平不満は、ここまで届いていただろうか。今手元にある書類は起こった事実のみを並べている事務的なものだ。そこに人の感情はあるのだろうか。
「問題が起こってから考えるなんて、我ながら情けないとは思うが」
 ティーカップで指先を温めながらぼやく。シャープはブラックのコーヒーを一口含み、
「大事おおごとになるまで気付かねェよりはマシだろ」
 と、慰めのつもりなのかそうでないのか微妙な言葉を口にした。
 少しだけカチンと来た俺は咳払いをしてシャープを見据える。
「ソファラにパレードのルート策定を任せたと聞いたぞ」
 人に丸投げしたことを責められたと思ったのか、シャープの目が泳ぐ。
「あー……ほら、アイツ城下町のランニングしてっから、現場の道の良し悪しはよく知ってるだろうと思ってよ」
「スラム近辺のルートは避けろと言ったのもお前か?」
 ぐ、と唸って押し黙ったので、俺はそれを肯定と受け取る。
 危険な状態にあるスラムに俺を近づかせない、という判断が心配する気持ちに由来しているのは痛いほど分かる。
 だがそれを耳に入れさせないというのはまた別の話だ。
 俺が現状に気付くのが遅れたのは報告がなかったからでもあるんだぞ、と釘を刺そうとして――やめた。
 俺自身がもっと積極的に気にかけていれば良かったのだと、臣下を責める権利などないのだと思い至る。「聞いてないから知らない」となどと声高に主張するのは、ただの無能ではないか。
「……すまん、お前の気遣いは感謝している」
 いろいろ飲み込んでそれだけ言うと、シャープもホッとしたのか肩の力を抜いた。
「創樹祭のために尽力してくれているお前たちに『命令』はしたくないから、あくまで俺の『気持ち』として聞いてほしいんだが」
 そう前置いて、俺は口を開く。
「俺は、一般の民もスラムの住人も分け隔てなく接したいと思っている。避けて通るようなことがあれば、避けられたと感じた民がどう思うのか、想像に難くない」
「……ん、それは、分かる」
「同時に、俺がスラムの近くを通ることでお前たち騎士団の負担が増すのも理解している。……犠牲になってくれとは言わない。無理のない範囲で、折衷案を模索することはできないだろうか」
 俺の言葉をじっくり聞いていたシャープは、しばし腕を組んで考え、
「検討してみる」
 そう言って頷いてくれた。
「ありがとう」
 俺はその誠意に応えるように微笑むと、ティーカップを口に運ぶ。
 しばらくの無言。その間も俺の脳内ではスラムのことばかりが渦巻いている。
 昼間、ヘオンから聞いた話。
 噂の域を出ないが、火の無いところに煙は立たぬとも言う。
 煙が見えているのなら、火元はもうだいぶ燃え上がっているのではないだろうか。

「もう一つ、お前に頼みたいことがあるんだが」
 何だよ、と目で問うてくるシャープに、俺も視線を合わせる。
「スラムに潜り込んで様子を見てきてくれないか」
「はぁ? 何でオレが」
 思いっきり「嫌だ」と書かれた顔を見せつけられて一瞬怯むも、構わず続ける。
「スラムの住人が近々蜂起するかもしれないという噂を聞いた。その真偽を確かめたい。もし血を流してでも改革を求めようとするなら、そうなる前に対話をしたいんだ。俺は、お前の報告なら心から信頼できるから。――頼む」
 ぽかんとした様子で聞いていたシャープだったが、やがて諦めたように大きく息を吐いて頭を振った。
「……卑怯だろ。そんなこと言われて、オレが兄貴の頼みを断れると思ってンのかよ」
「思ってないな」
「このヤロ、ぬけぬけと」
 立ち上がって拳を振り上げるフリをしてきたので、書類の束でガードするフリで応じてやる。
 そんなくだらないやりとりの後、シャープは口角を上げてやれやれと頭を掻いた。
「了解。今度の国境遠征から帰ってきてからになるが、いいか?」
「あぁ、もちろんだ。あ、くれぐれもお前が喧嘩の火種作るんじゃないぞ」
「自信ねェなァ」
「こら」
 シャープをたしなめると、彼は楽しそうにくつくつと笑った。
「変装しねェとバレるな。何せ、今朝顔を売ってきちまったばっかだし」
「念の精霊に幻視をかけてもらって髪色を変えて見せたらどうだ?」
「お、それイイな。何色にしよう。フラットに頼んどかねェと」
 何だかんだとノリノリのシャープである。
 俺は少しだけ心が軽くなった気がして、引き受けてくれたことに感謝した。

 少しずつ、できることから。
 俺自身にやれることは少ないかもしれないが、より良い国にしたいと願い、足掻くのはきっと悪いことではないだろう。
 そう信じて、俺は窓の外、秋の夜空に広がる星を見上げた。

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