第5話 騎士と守護の誓い

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 馬の蹄の音が荒々しく野を駆ける。
 目指すは主君の居住する王宮。
 遠くに見えるそれは周辺の空を赤く照らし、黒煙を高くなびかせていた。
 気ばかり急いて馬の腹を蹴るも、これ以上は無理だと泣き言のような嘶きが返る。
 進めども進めども、一向に近づかない王宮に歯噛みする。
 こうしている間にも炎は勢いを増していく。比例するように胸のざわめきが大きくなっていく。
――何故こんなに遠くへ。自分は主君を護るためだけに存在するというのに。

   * * *

「いい加減起きてくださいよ、団長」
 焦れたような声を目覚まし代わりに、シャープは瞼をこじ開けた。
 のそりと半身を起こして、重い頭を振る。
「おはようございます。団長が寝坊なんて、珍しいこともあるもんっすね」
 炊事当番の部下が、エプロンをつけたままこちらを見下ろしていた。
「……悪ィ、昨日飲み過ぎた」
「そんなに飲んでましたっけ? あ、お水どうぞ」
 渡されたグラスに水差しから注がれる、ゆるやかな水流をぼうっと眺める。
 汗ばんだ手は熱を持っていて、水温との差で表面に細かな結露を作った。そんなことはどうでもいいとばかりに喉が渇きを訴えてきたので一気に飲み干す。
 何だか悪い夢を見ていたような気がする。それも想定しうる最悪の部類の。
 夢か現か、まだ感覚は曖昧の中を漂っている。
「……なぁ」
「はい?」
 問いかけてみたものの、少し逡巡して、結局やめておくことにした。
 緊急の伝令が入っていたら、こんな暢気な起こされ方などしないはずだ。
「いや、何でもねェ」
 部下は首を傾げたものの、深くは追求してこなかった。
「飯、できてますから。支度終わったら来てくださいね」
「おう。ありがとな」
 グラスを回収した彼は人懐こそうな笑みを浮かべて退出していった。
 シャープは、眉間を押さえて深く息を吐く。
 汗で濡れた衣服が気持ち悪くて、着替えるために簡易ベッドから立ち上がるも、何故だか全身が気怠い。
 確かに昨夜は言うほど深酒をしたわけではない。まがりなりにも今は任務中だ。まだ少量の酒に負けるような歳ではないはずだし、きっと夢見が悪かったせいだろう。
 そう思うことにして、シャープは両頬を叩いて気合いを入れ直す。
「……これしきでホームシックとか、笑い話にも程があんだろ」
 自嘲するように笑って、シャープは身支度を始めた。



 ムジーク王国は小さな国だ。
 国土面積、人口密度、経済規模、どれをとっても大国の都市ひとつ分程度しかない。
 このような小国は他国から蹂躙されてもおかしくないところだが、そうならないのはひとえに恵まれた地形と、歴代国王の外交手腕、そして防衛に特化した戦力を有しているからである。
 国内外で特に有名なのが、王宮をすっぽりと包みこむ目に見えない魔法障壁。
 外部からの魔法による攻撃はもちろん、内部での魔力行使も制限される。
 どういう原理なのか、その技術が各国から注目を浴びているが――そういった派手な防衛設備の影で活躍する、騎士団の存在も忘れてはならない。

 小規模ながらも精鋭揃いのムジーク王国騎士団は、四つの隊から成る。
 太陽ソル、月ルナ、星ステラ、そして近衛このえ。
 血筋だけでなく、武勲を上げた者や、年に一度開かれる闘技大会でその腕を認められた者――実力と忠誠心があれば入団が可能だ。
 見習い騎士としてまずはステラ騎士隊に所属して鍛錬を積み、国と国王を護るに相応しい力と人格を備えた者が叙勲を受けることができる。
 晴れて正騎士となった者はソル騎士隊とルナ騎士隊にそれぞれ配属され、近衛騎士隊はさらに王の信を得た者だけがなることを許された。
 シャープ=リード=ムジークは現国王の弟だ。
 入団当時は王子殿下という身分でありながら、闘技大会の少年の部で見事優勝したという実力の持ち主だった。
 二十五歳で騎士団長に就任し、現在はソル、ルナ、ステラ騎士隊を統括しながら、近衛騎士隊長として国の護りを取り仕切っている。
 闇のような紫色の髪と鋭い眼光を持ち、その戦いぶりと統率力、主君への忠誠から『闇夜の紫狼』とあだ名されていた。

 幼少の頃、双子の片割れであるフラットと共に、兄を側で支えると誓った。
『オレは国で一番強い騎士になって、王様になった兄貴をそばで護ってやる』
 その言葉で兄が嬉しそうに笑ってくれたのを、シャープは今でも覚えている。

 二ヶ月に一度、山沿いの国境付近と港に駐屯する人員を交代させるための行軍がある。
 病気や怪我で動けない者は王都に残し、シャープは次の交代要員であるルナ騎士隊を率いてそれを行っていた。
 今後二ヶ月分の保存食料と、現在駐屯しているソル騎士隊の帰還分の食料も運ぶ。
 他国と商売する行商団や二国間を行き来する民の送迎もついでに任されていつの間にか慣習付いていたため、隊列は自然と長く、遅くなる。
 移動距離こそ短いものの、交代を終えて帰還するまで約三日。――それが、シャープが唯一、主君である国王の側を離れる期間だった。
 この三日間だけ、王都の護りが薄くなることに不安がないと言ったら嘘になる。
 優秀な近衛騎士隊がいるとはいえ、あと残っている戦力は見習い集団のステラ騎士隊と満足に戦えない騎士のみ。魔法障壁が防ぐのは魔力に関する攻撃だけ。人為的な凶行から主君を護るには、国境と王都は遠すぎる。
 そんな不安が顕在化してあのような夢を見たのだろう、シャープは焼け落ちる王宮を思い出して身震いし、情けない気分で馬に跨った。
 任を終えたソル騎士隊と、復路の行商団や民を引き連れて王都へと向かう。
 森の中の道を抜け、農村地帯を通り、橋を越え。
 徐々に大きく見えてくるムジークの王宮と城下町は、透き通るような青空の下でいつも通りの平和を体現している。
 夢に見た赤も黒も、そこにはない。
 そのことに安堵して息を吐き出すと、急に身体が脱力した。慌てて背筋を伸ばし、手綱を握る手を強める。何だかんだと気を張って疲れているのかもしれない。
 一行は何事もなく、ムジーク城下町の門をくぐる。
 二ヶ月間帰宅できなかった騎士たちを出迎える家族たち、また行商人が運び入れた他国からの土産や訪れた旅人を迎え入れる群衆で、騎士隊の帰還は毎回ささやかなパレードの様相を呈す。
 そして中心地に近づくにつれ、騎士隊以外の者が徐々に列を離れていった。
 彼らはこれからムジークでの日常に溶け込んでいくのだろう。無事商売を始められそうだ、と恰幅の良い商人が礼を言って去っていくのを見送って、シャープは王宮へと馬首を巡らした。
 身軽になった隊列は、王宮の正門を通らずに外壁を回って東側の騎士団訓練所へと直接向かうことになる。
 魔法を伴う訓練もするため、魔法障壁の範囲から外れた場所に作られた施設だ。

「おぉ、シャープ。戻ったか」

 その時、正門の影から顔を覗かせた人物に声をかけられた。
「兄貴」
 トーン=スコア=ムジーク。
 ムジーク王国君主であり、シャープの兄。唯一絶対の護るべき存在。
 背後のソル騎士隊が一斉に姿勢を正して敬礼する。
「皆もご苦労だった。この後休暇に出る者は、早く荷物を置いて帰宅するようにな。ゆっくり羽を伸ばしてきてくれ」
 はっ、と短く揃った騎士隊の返答に、トーンは満足そうに頷いた。
 シャープは地面に降りると馬を部下に預け、彼らだけ先に訓練所へと戻るよう伝える。
 鎧の擦れ合う音を響かせて、ソル騎士隊は外壁の角へと消えていった。
「今から出かけンのか?」
 兄に問う。
 トーンの服装が公務で着用する正装ではなく、私事で外に出る時の質素なものだったからだ。
 近衛騎士を二人連れているようだが、国王の外出としては些か心許ない。
 トーンはシャープの顔をじっと見つめ、何か考えるようにした後、頷いた。
「軽く城下の視察にな。シドが『今年はカボチャが豊作だ』と言うから、農家の労をねぎらってくる。――あぁ、お前はついてこなくていいぞ。馬車を呼んであるし、危険なこともないだろう」
 護衛を買って出ようとしたところに先手を打たれた。シャープは思わず苦笑する。
「カボチャか……甘くねェ調理だったらオレも食えるんだけどな」
「甘くないカボチャなんて、辛くない唐辛子みたいなものだぞ?」
 呆れた口調でトーンが言う。
 確かに、とは思うが、甘ったるいものは舌に合わないのだから仕方がない。
「あんまり遠くまで行くんじゃねェぞ」
「お前までフラットみたいなことを言うのか。……あ、フラットといえば」
 目の前に到着した馬車に乗り込みながら、トーンは振り返った。
「お前が帰ったら伝えたいことがあると言っていたぞ。今は自室にいるようだから、後のことは他の者に任せて行ってこい」
「伝えたいこと? ……了解」
シャープが了承の意を伝えると、トーンはひとつ頷いて「では行ってくる」と客車の奥に引っ込んだ。近衛騎士も乗り込んで、馬車はゆっくりと走り出す。
 一人残されたシャープは少しだけ心細くなった。
 それもこれも全てあの夢見のせいだ。自分の優秀な部下がついている、大丈夫だと心に言い聞かせる。
 馬車が小さくなるまで見送ると、踵を返して王宮の門をくぐった。



「おや、シャープ、おかえりなさい」
 兄に言われた通りまっすぐに自室へ戻ると、フラットが出迎えてくれた。
 家に帰ってきたという安堵感からか、ただいまと言う声がかすれる。
 それを聞いて、フラットはサッと顔色を変えた。
「よくここまで歩いてきましたね。さ、早く横になってください」
「は? ……ちょ、何す」
 荷物を奪い、上着を半ば剥ぎ取るようにして、フラットが奥のベッドへとシャープを促す。
 意味が分からないまま歩き、ベッドの側に来たところで自分でも驚くほど簡単に膝が折れて、ぼすんと腰掛ける格好になった。
「お?」
「お、じゃないです。……嘘でしょ、まさか自覚なかったんですか?」
 フラットの手が額に当てられる。ひやりと冷たくて気持ちがいい。
「やっぱり、熱がありますよ。薬を持ってきますから、とにかく身体を休めてください」
 はっきりと言葉にされて改めて認識する。
 そういえば、あの悪夢から覚めた後ずっと謎の倦怠感がつきまとっていた。怖気立ったのも、夢への恐怖ではなくて熱が上がる予兆の寒気だったのかもしれない。さらに言えば、その夢自体が体調不良のせいで見たものかもしれなかった。
 一度そう自覚してしまうと、身体を支えておくのは困難を極めた。
 崩れるようにベッドへ倒れ込む。身体の内側から燃えているようで、シャープは熱い息を吐き出した。
「まったくもう。『馬鹿は風邪引かない』っていうのは、引かないんじゃなくて、引いてることに気付かないって意味なんですね」
 水と薬を持って戻ってきたフラットは露骨に呆れた顔をした。
「……うるせェな」
 口答えしても、覇気が乗らずに消沈していく。
 いつの間にこんなに弱っていたのかと戦慄しつつ、少しだけ身体を起こして薬を一気に飲み下した。
「そういや……フラットがオレに伝えたいことがある、って、兄貴が言ってたんだけど」
「私が?」
 口元を拭いながら尋ねるも、返ってきたのは疑問符。
「違うのか?」
「うーん……ここに来る前に兄さんにお会いしたんですね?」
 頷くと、フラットは少し考えて、苦笑した。

「それなら多分……兄さんの嘘だと思いますよ」
「嘘?」

 えぇ、とシャープの額に濡らした布を乗せながら続ける。
「兄さんが出かける場面に出くわした、明らかに具合の悪そうな貴方に、ついていくって言わせないために。――まっすぐ部屋に帰ってもらうために、同じ自室にいる私をダシに使ったんですよ。貴方のことだから、ストレートに休めって言われても聞かなかったでしょうし」
 シャープは愕然とした。
 考えすぎかもしれないが、トーンはもしかしたら自分の帰還を正門で待っていたのではないだろうか。
 三日かかるとはいえ行って帰ってくるだけの任務、いつもなら帰還後も訓練指導をするほど力が有り余っている。
 本当は、ついてきてくれと言いたかったのかもしれない。
 兄が自分を気遣ってくれたことが嬉しくて、恥ずかしくて、悔しくて、――情けない。
「……くそ……」
 どんな顔をしているのか分からなくて、隠すため目元に腕を乗せる。
 フラットが小さく笑う音が聞こえて、布団をそっとかけてくれた。
「私はこれから出なきゃいけないんですけど、医者の手配と食事を頼んでおきますから、食べられるようなら食べてくださいね。その後はちゃんと寝ててくださいよ」
「……あぁ」
 優しい音を残して扉が閉まる。
 フラットの言いつけを早速無視してトーンを追うため起き上がろうとしたが、自らの身体に拒否された。少し動くだけで息が上がる。静寂の中で自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。全身が休めと叫んでいた。
 この胸騒ぎは熱のせいか。
 あの夢が現実になり得る状況を自ら作り出してしまった不甲斐なさ。むくむくと不安が頭をもたげる。
「……過保護かな、オレ」
 シャープは大きく息を吐いて呟き、ゆっくりと瞼を落とした。



 兄の乗った馬車が何者かに襲われたと聞いたのは、翌日シャープが目を覚ました時のことだった。

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