第4話 国王と十色の精霊

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 レミーから仰せつかったお使いを無事に終え、再び王宮内を歩く。
 そういえば、ヘオンが研究室にカンヅメだとフラットが言っていたのを思い出した。
 何か差し入れでも持っていってやるか。俺は厨房に寄っておやつのクッキーを分けてもらうと、ヘオンのいる部屋へと向かった。

 王立魔法研究所は王宮の西、外壁より外に設けられた建物内にある。
 外壁の内側は魔法障壁を張ってある影響で、満足に精霊を使役することができない。
 魔法を研究するのに魔法が使えないのでは意味がないからという理由での立地だが、単にヘオンが引きこもりたいが故に離れを研究室に選んだのではないかという気も少しだけしている。
 研究所の入口で近衛騎士を待機させると、長い廊下を歩いた奥にあるヘオンの私室兼研究室の扉の前に立つ。
 そこには乱雑な字で『入るな』と貼り紙がしてあった。
 この、紙からはみ出さんばかりの鬼気迫った文字。これは相当キてるな。
 ノックをするのも憚られて、掲げた拳を所在なく彷徨わせていると、背後から声がかかった。

「あれ、トーンにぃじゃん」
 呼ばれて振り返ると、赤い髪の快活な笑顔がそこにあった。

 ソファラ=ムジーク、俺たち兄弟の中では一番下の元気な妹である。
 騎士団に所属していて身体を動かすのが大好きなのだが、同時に脳味噌もシェイクしているようで基本的に言動は軽い。シャープの部下だからやむなし、というところもある。

「何だ、ソファラがこんなところに来るなんて珍しいな」
 俺が率直な感想を述べると、ソファラはうーんと唸って、手に持っている巨大な巻紙で首筋を叩いた。
「シャープにぃに言われて創樹祭のパレードのルートを考えてるんだけどさ。ちょっと行き詰まったからヘオンにぃに意見聞こうと思って」
 ということはあの紙は地図か。
 今日は弟妹たちが何かしら祭の準備をしてくれているな。ありがたいことである。
「入んないのか?」
 ひょい、と俺越しに扉を見て、ソファラ。
「いや、この貼り紙が――」
 がちゃっと音がして、ソファラが躊躇いなく扉を開けたので思わず二度見した。
 えーと、まだセリフ途中だったんだぞ。
「ヘオンにぃー!」
 貼り紙を無視した上、さらに大声でヘオンを呼んだので俺は竦み上がった。
 我が妹ながら何て命知らずなのだろう。その度胸が俺にも欲しい。
「――あああああもう!!」
 案の定、奥から叫び声と何かを叩きつける音が聞こえてきて、俺は一歩後退りする。
 少しの間の後、どしどしと足音を響かせて怒り満面のヘオンが姿を現した。
「ねぇ、馬鹿なの? 入るなって書いてあったの読めなかった? 下の妹は猿以下なの? ムジーク王家は猿の血が入ってるの?」
 そこまで一気にまくしたてて、小さく何か呟いたかと思うと、周囲の温度が一瞬で下がって輝く粒が宙を舞った。
――まずい、氷の魔法を使う気だ。しかもここは魔法障壁の外、精霊使い放題で威力がセーブされない。
「ヘオン、落ち着け!」
 俺はぽかんとしているソファラを庇うように立つ。
「なんだ、長兄もいたのか。この山猿を止めなかった時点で監督不行き届き、同罪だよ」
ヘオンはソファラから俺へと視線を移すが、怒りの色が消える様子はないどころか、氷の粒が鋭利に成長していく。
 口での説得が通用するとは最初から思っていなかった。――ならば。

《熱よ、氷を溶かせ!》

 熱の精霊語で唱える。
 ぐぐっと魔力を吸われる感覚の後、ヘオンの生成した氷がみるみるうちに角をなくしていった。
 ぽつぽつ、と溶けた滴が雨のように床に落ちる。
「……なんだよそれ」
 怒りを体現していた氷を消され、事態が飲み込めず呆けていたヘオンだったが、やがて悔しそうに呟いた。
「あーあ、アホらし。入るなら入って。……あ、下の妹は床拭いてからだよ」
「うん! ごめん!」
 ソファラは表情に活気を取り戻して軽い調子で謝った後、雑巾を取りに入口へと駆けていった。
 あれは反省していない顔だな。そもそも危険な状況だったということを分かっていたのかすら怪しい。
 俺はやれやれと溜め息をつきながら、部屋に戻るヘオンの後を追った。

 乱雑に書類や部品が散らばる部屋。
 うず高く積まれた本は窓の下半分を覆っていて、外からの光源を減らしている。
 座って、と促されたので俺は手近にあった椅子に腰かけた。
「ホント、王気ってずるいよね。僕が使おうとした熱の精霊を横から全部持ってっちゃうんだもん」
「……すまん」
 反射的に謝ってしまったが、よく考えたら俺は悪いことは何もしていない。
 ヘオンもそれは分かっているようで、首を軽く横に振った。
「王位には興味ないけど、その王気だけは羨ましいってちょっと思うよ」
 机に頬杖を突いて、口を尖らせる。
「譲れるものなら譲ってやりたいが」
「やめて。要らない」
 俺の冗談は睨む目と共に否定された。怖い。
 ヘオンは十種全ての精霊魔法を扱える魔法研究のスペシャリストだが、そう呼ばれるようになるまでの道程は決して楽なものではない。
 地頭が良いから精霊語を覚えること自体はすぐできたとしても、相性の悪さは地道に使役を繰り返すことでしかカバーできないと先程学んだばかりだ。
 無尽蔵とも噂される彼の魔力も、その繰り返しのために必要だからこそ大きくなったのだろう。そういった努力の積み重ねで今があるのだ。
 そこにポッと出てきた、低燃費で魔法が使えるようになった兄。
 ヘオンの心中は穏やかでなかったはずだ。自分より使いこなせないくせに宝の持ち腐れだと、かつて言われたこともある。
 王の責務とセットであると理解してくれてからは、面と向かってトゲを刺されることは少なくなったが。
 それを思えば、今のはヘオンのこれまでの努力を踏みにじるような悪い冗談だったな。ここでまた謝るとさらにプライドを傷つけかねないので、俺は心の中で反省する。

「で、何の用?」
 あぁ、と俺は頷いて、
「用というほどのこともないんだが、お前が研究室に籠っていると聞いたんでな。差し入れを持ってきた」
 懐からクッキーを取り出す。
 ヘオンは目をしばたたくと、控えめに手を伸ばしてきた。
「クッキーはぽろぽろするから読書のお供には向いてないんだけどね……まぁ、せっかく長兄が持ってきてくれたんだからありがたく受け取っておくよ」
「お前、本っっ当に素直じゃないな」
 俺は呆れながら半眼で手渡す。
 ヘオンは普段の食事には関心がないくせに甘いものが好きだ。
 脳を使う仕事をしていると糖分を欲するというのは、甘いもの嫌いなシャープを見ているとよく分かる気がするので、それに関してとやかく言うつもりはないが。
 早速包みを開けてクッキーを頬張る姿はリスのようで、二十六歳男性に対して抱く印象ではないなぁと苦笑してそれを眺めた。
 俺に分けてくれるつもりはないらしい。
「最近忙しいようだが、今は何をしているんだ?」
 邪魔したついでなので、話題を振ってみる。
 ヘオンは口をもぐもぐさせながら、机の上にある鎖のついた小さな飾りを手に取った。
「アミュレット製作。魔法障壁のシステムを小型化して持ち運べないかと思っていろいろ試作してるんだけど、なかなか上手くいかないね」
「ほう、それは実現したら凄いことだな」
 俺は素直に感心するが、ヘオンは鎖を持って飾りをぐるぐる回しながら不満そうな顔をした。
「精霊への命令を、誰が持ってもその意図が同じになるように一から記述すると膨大な量になっちゃって。しかもそれを発音する機関を仕込むとなるとこんな小さい媒体じゃ辛いな。嫌でしょ、でっかい木箱みたいなもの持ち歩くの」
 難しいことは分からないが、とりあえず頷いておく。
 確かにそんなに大きなアミュレットだったら、身を守ってくれる魔法障壁を展開しています近寄らないでください、と自ら喧伝するようなものだしな。怪しいから俺も近づきたくない。そういう意味では魔除けになるかもしれないが。
「しかも、やっぱり魔力の消費量が半端ない。僕だからまだ何とかなるけど、普通の人が起動したらあっという間に枯渇してフォルスが縮むよ。実用化はまだまだだね」
「フォルスって縮むのか」
「……あー、そうだよねー。王気持ちの長兄にはあんまり関係ないことだもんねー」
 うっかり無知を晒してしまったせいで、またヘオンの冷声を浴びることになった。
 うぅ、呆れた眼差しが痛い。
「魔力の器であるフォルスは、元々の大きさは人によって違うんだけど、拡張するには積極的に魔力を取り込んで少しずつ広げていく必要があるんだよ。で、中身が少ない状態が続くとまた縮小していく」
 曰く、中身の魔力は、食物を摂取しその生物が持っていた魔力を取り込む形で回復。
 フォルス自体を大きくするには、満杯の状態でさらに外部から魔力を摂取しなければならないらしい。よく伸び縮みする革袋のようなイメージか。
「だから、一度に大量の魔力を消費する大魔法なんてのは、回復が間に合わずにフォルスが縮んでその後しばらく魔法が使えなくなる恐れがあるから、やる馬鹿は滅多にいないんだよ。常にフォルスの半分程度は魔力を残しておけ、っていうのが魔術師の間での定説」
 だからヘオンの主食が魔力供給に特化した栄養機能食品(※高価)なのか。俺個人としては、食事の楽しみも知ってほしいところだが。
 広範囲に被害を及ぼすような大魔法を使う者は滅多にいない、ということは、逆に言えばその後の人生を顧みないような一発逆転を狙う輩とかだったらやりかねないということでもある。
 俺はヘオンだけは敵に回さないでおこうと心に固く誓った。コイツは熱の精霊と相性がいいだけあって、普段はクールなクセに、怒りの沸点が意外に低いからな。
「……には間に合わせたいんだけどな……」
「ん?」
 考え事をしていたせいで、ヘオンの小さな呟きを聞き逃す。
 すぐに聞き返しても、何でもないよと首を振られて終わった。

「床掃除終わったー!」
 そこに元気な声が飛んできて、俺とヘオンは同時に振り返る。
 ソファラが薄暗い部屋を明るく照らすような笑顔で立っていた。
「あ、クッキー! アタシにもちょうだい!」
「やだよ、最後の一個だもん」
 ぽいっと口に放り込んで、勝ち誇ったようにヘオン。
 ソファラがケチだの何だのとぶーたれているが、全く意に介さないようだ。どうでもいいけど食べるの早いな。
「で、下の妹の用事は何なの? まさか君まで冷やかしってわけじゃないよね?」
 あ、さりげなく俺も冷やかし認定されてた。
「いや、ちゃんと用事持ってきたよ。創樹祭のパレードのルートで相談したくて」
 ソファラが持っていた巻紙をバサッと広げる。物だらけの机を全く気にせず、凹凸の上にそれを置いた。
 ソファラの拙い文字でいろいろ書き込まれた地図を見てヘオンの目が据わる。
「……なんでこんな重要なことを君が考えてるのさ」
「シャープにぃが、『お前は毎日城下町をランニングしてるから、ルート選定なんてお手の物だろ』って言って任せてくれた」
「はぁ。次兄は面倒臭がりだからなぁ」
 ぶつぶつ言いつつ、ヘオンは地図の詳細を眺める。
 道を指で辿り、時折ソファラの地形解説を聞きながら細かく助言を始めた。
 こういう時、俺は極力自分の意見を出さないようにしている。
 俺自身が意識していなくとも、上に立つ者の発言が絶対意見として通ってしまうこともままある。そういった権力による意見の誘導は避けたいという思いがあるからだ。
 俺がここに居続ける理由もないな、とこっそり退室しようとした時、とある言葉が耳に飛び込んできた。

「……こっちはダメなんだって。スラムに近づかせるのは……」

 足が止まる。
 ヘオンがシッと口元に指を当てたが、聞こえてしまったのでもう遅い。
 スラムと言えば、今朝もシャープが諍いの鎮圧に向かったばかりだ。今になってフラットまで出向いたことが不自然に思えて、俺は二人のいる机に戻ると、
「どういうことだ?」
 一言で問いただす。
 ヘオンは溜め息をつき、ソファラは顔に「マズい」と書いてあった。
 二人が何らかの事情を知っているということは明白だ。
「えーと……」
 ソファラが目を泳がせながら口ごもる。
 結局口を開いたのはヘオンだった。
「僕もチラッと聞いただけなんだけど。城下町のスラム街、最近組織立った動きが活発化してるらしくてね。もしかしたら近々蜂起するんじゃないかって話」
 それを聞いて、俺は体温がスッと冷えた気がした。
「……ヘオンにぃ、そこまで言っていいのか? あとで怒られるぞ……」
「いいよ別に。長兄に内緒にしてる方が問題でしょ」
 二人の話し声がやけに遠く感じる。
 スラムについては、存在を認識していなかったわけでも、問題ないと思っていたわけでもない。
 ただ日々の執務をこなすうち、対応が後回しになっていたことは事実だった。
 即位して日が浅いという言い訳は、もう二年も経つのだからいい加減通用しない。
 虐げられた民が一体何に対して蜂起するのか。俺にはそれをしっかりと受け止める義務がある。
「ヘオン、言いにくいことを伝えてくれてありがとう。俺は戻るが、二人ともあまり根を詰めすぎるんじゃないぞ」
「……長兄もね」
 小声で返された労いの言葉に笑って頷いて、俺は部屋を後にした。

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