第4話 国王と十色の精霊
2 今日の授業はここまでにしましょう、というフラットの言葉に、俺は無言で頷いた。 今何か喋ったら、せっかく脳内に詰め込んだ知識がボロボロこぼれ落ちそうな気がする。これは軽くノイローゼになるな。 「お疲れ様でした。朝食の準備ができていると思いますから戻りましょうか」 再度頷いて立ち上がったところで、書庫の扉が無造作に開けられた。 「ここにいたか」 外から顔を覗かせたのは、王国騎士団長兼近衛騎士隊長であり俺の弟、シャープ=リード=ムジークだった。フラットの双子の兄にあたる。 「珍しいな、お前が書庫に来るなんて。おや、なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ」 「うるせェな、アンタを探してたんじゃなけりゃこんなトコ来ねェよ」 俺の冷やかしにブスッとした表情で悪態をつくシャープ。来ないと断言してしまうのもどうかと思うが。 よく見ると、朝早いにも関わらず武具を身に着けている。 こんな恰好でわざわざ探しに来たと言うからには、朝食の迎えなどという日常的な話ではないだろう。 俺は真面目な顔を取り戻して問う。 「何かあったのか?」 「これからちょっと城下に出てくる。許可をくれ」 「街へ?」 シャープは頭を掻きながら頷いた。 「一般居住区の血の気が多いヤツらとスラムの連中が派手に喧嘩してるって通報があってよ。現場の人間じゃ手がつけられねェらしいんだわ」 「騎士団長自ら赴くほどの事態なのか?」 「そこまで心配するほどのことじゃねェよ。ま、今後の牽制も兼ねてな。一発ずつ殴って黙らせてくる」 「お前が殴ったら死人が出るからやめて」 シャープの手元を飾るガントレットの尖った部分を見つめながら、俺は半眼で呻く。 それをどうやら不許可と勘違いしたらしいシャープはずいっと俺に詰め寄ってきた。 「暴動に発展してからじゃ遅ェんだよ、分かってンのか?」 あの尖った部分で抉られる犠牲者第一号は俺かもしれない、と危機感を抱くくらい至近距離でメンチ切られたので、俺は慌てて首を縦に振る。 「いい、分かった! 許可する! その喧嘩の首謀者はお前の権限で連行して事情を聴いてきてくれ」 「了解」 よくできました、と言わんばかりに口角を上げて、シャープはあっさりと踵を返した。 その後ろ姿をフラットが呼び止める。 「あの、シャープ」 「ん?」 扉の近くで立ち止まって振り返るシャープに、フラットはどこか憂色が濃い顔つきで言葉を投げた。 「私も後ほど合流します」 「……護衛はつけろよ」 シャープは応諾も拒否もなくそれだけ言うと、今度こそ扉の向こうへと姿を消す。 瑣末事とはいえ、騎士団の任務にフラットがついていくと言うのは珍しい。どう見ても暴力という言葉と対極にある優男だ。 俺がちらりと弟の横顔を見ると、彼はわずかに眉を下げて微笑んだ。 「すみません、シャープが喧嘩の仲裁なんてしたら余計にこじらせないか、心配になってしまって」 「確かにな」 諌めに行くという意味ではそれほど場違いではないのかもしれない。 フラットの言葉でそう思い直した俺は、苦笑しながら伝える。 「アイツが暴走していたら、その時は頼むぞ」 「かしこまりました」 俺は早朝の勉強で凝り固まった身体をほぐし、空腹に泣き喚く腹を宥めるためフラットと共に俺の私室へと向かう。 準備されていた朝食をいつも通り終えると、その後すぐ、フラットは退室し城下町へと出かけていった。 食事中に確認したところによると、本日の俺の予定は午後からのみ。 重要な書類も昨日のうちに片づけてしまったので、久しぶりにのんびりした時間を過ごせそうだ。 俺はティーカップを片手に窓枠へもたれ、外の景色を眺めた。 秋まっさかりの季節、大気が澄んでいて遠くまで見渡せる。 木の葉が鮮やかに色づき、冬を迎える準備を始めていた。気温はそれほど低くないため、散歩に出るのもいいかもしれない。 朝の勉強の復習をするというのも考えたが、あまり一度に詰め込みすぎても却って非効率だしな。 決して現実逃避などしていないぞ。 その時、部屋の扉がコンコンと硬い音を立てた。 「陛下、まだお食事中でしょうか?」 すぐに扉越しに聞こえてきた声は、俺の耳にもよく馴染んだ声だった。 「いや、済んだ。入ってくれ」 「失礼いたします」 堅苦しい言葉遣いと共に入ってきた青年は、すぐ後ろに少女を伴っていた。 シド=ムジーク。俺の一番下の弟で、宮廷庭師として働いている。 シドの作り上げる庭は美しく、心が洗われると評判だ。 趣味と実益を兼ねて、よく城下街に行っては畑を耕しているので、民に一番近い王族と親しまれている。 そして少女は、スラー=マルク=フェルマータ。ムジークの友好国フェルマータから、訳あって幼い頃に迎え入れた姫君だ。 俺は両手を広げて出迎える。 「二人とも、よく来てくれたな。堅苦しい挨拶は抜きにしてこっちへおいで」 青年と少女は扉を閉めると、俺以外の目がなくなったためか少しホッとした様子で歩み寄ってくる。 そんな彼らが入室時に持ち込んだのは、色とりどりの花と緑の束だった。 「今ね、スラーと一緒にトーン兄貴の冠を作ろうと計画してるんだ」 「冠?」 俺が目を瞬かせると、シドはにっこりと、スラーは小動物のようにこくこくと頷いた。 「今度のお祭りで、トーン兄さまが『精霊の樹』の前でお祈りしますよね。その時につける樹木の冠を、スラーが作りたいって言ったら、みんながいいよって言ってくれて」 頬を紅潮させて報告してくるスラー。その小さな頭をぽんぽんと撫でてやる。 「おぉ、スラーが作ってくれるのか。それは嬉しいな、よろしく頼むぞ」 「はいっ!」 満面の笑みで頷く少女は、期待を背負った使命感で輝いているように見えた。 「それで、トーン兄貴の頭のサイズを測らせてほしいのと、材料になる植物を一緒に選んでもらおうと思って」 「そういうことなら、喜んで協力しよう」 シドが、両手に抱えていた植物を執務机に広げる。 花、実、蔓葉、柔らかい枝を持った木など、色はもとより緑の深さも様々だ。これはいい目の保養になるな。 俺はその中から一輪の花を摘み上げる。 「クロス・コスモスは必須なんだよな?」 「うん、国花だからね。それだけは外せない」 黄色と橙から成る八枚花弁の花。色が十字に分かれていることからその名がついた。 俺もこの花は大好きだし、冠に取り入れるには何の問題もない。 「トーン兄貴の創樹祭は真冬だから、あんまり種類がないんだよね。植物は時の精霊に時間を止めてもらうから枯れる心配はないし、緑をベースに各季節から満遍なく選んでくれればバランス良くなると思うよ」 と言われても俺には花ならまだしも草木の細かい時期までは分からないので、植物を手に取るたびにシドがその都度解説を入れてくれる。 ある程度の量を選び終えたところで、シドが紙のメジャーを俺の頭に巻きつけながら言った。 「うーん、ちょっと色が足りない気もするなぁ。男だから無骨でいいのかもしれないけど」 見ると確かに、色と呼べるものはクロス・コスモスの黄と橙だけだった。 あとは葉の緑と、枝や木の実の茶で、冠にすると恐らくシンプルかつシックなものが出来上がるだろう。 「赤とか相性いいと思うけど、女性らしくなっちゃうかな」 シドが赤い花を枝に添えてみせる。別に悪くはないと思うが……。 「あの、それじゃあ、これなんてどうでしょうか」 控えめに声を出したのはスラー。 机の上から、とある花を一輪取って大事そうに胸の前に掲げる。 「トーン兄さまたちご兄弟の瞳の色だなって思って。スラーの好きな花なのです」 それはベルのような形が可愛らしい、ロイヤルブルーの花だった。 「カンパニュラだね。夏の花だ」 シドが微笑んで付け加えると、スラーも頷いた。 「花言葉は『感謝』と『誠実』です。クロス・コスモスはトーン兄さまの髪の色でもあるから、合わせたら素敵かなぁと思うんですけど……どうですか?」 自信なさげな上目遣いで、こちらを見つめてくるスラー。そんなおねだりみたいなポーズをされたら一も二もなく承諾してしまいたくなる。 いや実際、異を唱える必要も感じていなかった。 俺たち兄弟の瞳と同じ色の花を選んでくれたのが嬉しかったし、花言葉の意味も申し分ない。式典を執り行う国王の冠として、これ以上ないくらい相応しい。 「あぁ、気に入った。スラー、選んでくれてありがとう。是非その花で冠を作ってもらいたいな。楽しみにしているぞ」 「……! はい、がんばりますね!」 ぱぁぁ、と擬態語が文字で目に見えそうなほど表情を輝かせ、スラーは花にも負けぬ可愛らしい笑顔を見せてくれた。 勉強で疲れた俺の心が癒され、思わず頬が緩む。 「うん、青も悪くないね。決まって良かった」 シドは残りの植物をテキパキとまとめて束にする。 「じゃあ、おれたちはそろそろ失礼するね。スラー、温室に行ってとびっきり綺麗な一輪を吟味してこよう」 「はい! それではトーン兄さま、ごきげんよう」 またな、と手を振って、俺は去っていく二人の後ろ姿を見送る。 創樹祭二回目までの冠は誰が作っていたのかなど考えもしなかったが、今回スラーが作ってくれると知ると俄然楽しみになってくるから不思議だ。生産者の顔が分かると安心する野菜販売のようなものだろうか。ちょっと違うな。 俺は残っていた紅茶を飲み干すと、厚手のマントを羽織って散歩に出る準備を始めた。