第4話 国王と十色の精霊
1 さわやかに晴れ渡る朝。 こんな素晴らしい一日の始まりが薄暗い書庫で幕を開けるなんて、俺は前世で何か悪いことでもしたのだろうか。 「今年こそはお願いいたしますよ、陛下」 大量の本に囲まれた空間の重厚な雰囲気の中、にこやかな笑顔で応援するような声音が逆に胸に刺さる。 俺は目の前の付箋だらけの本、その開かれたページに顔を突っ伏した。 「だってさぁ……難しすぎるだろ、これ……」 「そんなことないですよ。歌みたいに覚えてしまえば、すぐです」 簡単に言うなよ、と呟いた言葉は、本のノドに吸い込まれて消える。 こうやって本に向かって囁けば執筆できる能力があったとしたら、今頃この本は俺の泣き言でいっぱいになっていることだろう。 俺――トーン=スコア=ムジークが、ムジークの国王として即位してからあと約一ヶ月で丸二年となる。 そしてそれは、三度目の式典が近づいているという証左でもあった。 創樹祭。 ムジーク王国では、新しい国王が即位した時に一本の記念樹を植える。 これを、森羅万象を構成する『精霊』の依り代として崇め、祈りを捧げる。 毎年行われる創樹祭の折に、国王自ら祭祀を執り行うのだが……。 「十種類の言語とか、使いこなせる方がおかしい」 「もう、開き直らないでくださいよ」 俺が腕を組んで椅子にふんぞり返るのを見て、呆れ顔を返してきたのは弟のフラット=ネウマ=ムジークだ。 黒板を前に教鞭を執っているが別に教師などではなく、王立修道院院長兼、俺の側近である。 「今回は、ちゃんと一人でやっていただきますからね」 「うぅ……」 この国では、精霊という存在に特殊な言語で呼びかけてその力を借りることを、『魔法』と呼ぶ。 精霊は十種類おり、対応する言語も十種類。国王たる俺は、その精霊魔法を儀式で全て使いこなさなければならないという。 即位してすぐに行われた初めての創樹祭は、俺の樹を植えて精霊王の加護を受けるだけで済んだ。 昨年――二回目の創樹祭は、隣で文言を先読みしてくれる者を何人か置いてそっくりそのまま真似した。 そして今年は、そんな甘えは許されないらしい。 ……どうしよう、ものすごく自信がない。 「そりゃ俺だって、いずれ王になることは分かっていたのだから勉強はしていたさ。だがな、学問の成績はいまいちパッとしなかったんだぞ」 「知ってますし、胸を張って言うことでもないです」 「くっ……親父が普通にこなしていたから、簡単なのだと油断していた……!」 創樹祭で唱える誓言が、普段喋っている標準語と十種類の精霊語――合計十一種類の複合言語であることを知ってから慌てて全種の勉強を始めたものの、付け焼き刃感はどうしても否めない。 「本当はヘオンから教えてもらうのが一番いいんですけどね……あの子、今ちょっと忙しいみたいですから」 「何だ、アイツはまた一人で仕事を抱え込んでるのか?」 「えぇ……しばらくは研究室にカンヅメだそうですよ」 困ったように笑うフラット。 ヘオン=ムジーク――俺から見ると三人目の弟だ。 知識を蓄えるのが好きで、特に魔法の研究に余念がない。 精霊魔法を行使するのに必要な精霊語十種を全て扱えるという、俺から見れば変態としか言いようのない能力の持ち主だ。普通の人間の頭なら二、三言語覚えられれば御の字と言われているというのに。 「とにかく、最終的には式典で使う文章だけ言えればいいですから頑張って覚えてください。三回目なのにオドオドしてたら、国民に笑われてしまいますよ」 その指摘に、俺は唸らざるを得なかった。 創樹祭における国王の誓言は、今後一年の国の安寧を祈願する大事なものだ。 しかも、国民たちの目と鼻の先――それこそ肉声が届く距離――で執り行うため、噛んだりしようものなら即座にバレる。昨年はまだ国王として日が浅い身だったから大目に見てくれていたようなものだ。 堂々とした姿を見せてこそ、国民は俺をきちんと王として認めてくれる。 ひいては、この国で暮らしていく上での安心を得られるのではないだろうか。 「……確かにそれは恰好悪いな」 腹を決めた。ぐちぐち言っていても何も進まない。 背筋を伸ばし、手元の本に目を凝らす。外から聞こえてくるのどかな小鳥のさえずりは聞こえないフリだ。 「いい心掛けです。では、始めましょうか」 俺はフラットの言葉を一言一句聞き漏らすまいと集中力を高めた。 「それでは基礎からおさらいしましょう。私たちの周りには、十種類の精霊がいますよね」 「あぁ。火・水・地・風・光・闇・雷・熱・念・時だな」 俺の淀みない回答に、フラットが当然と言わんばかりに頷く。 精霊信仰は、ムジーク王国の人間ならば生まれた時から身近にあるものだ。これを答えられなければヨソ者確定である。俺が言えなかったら大問題だな。 精霊に語りかけ、その力を貸してもらえるよう契約を結ぶ『魔法』。 これは対応した精霊語を喋れて、尚且つ対価に相応の『魔力』を払えれば誰でも使うことが可能だ。 それこそ老若男女、才能のあるなしに関わらず。 魔術師を名乗らない一般庶民でも、料理をするために種火を作ったり、水をお湯にしたり氷にしたりすることは日常茶飯事で行っている。 「では、陛下が一番得意な属性で、簡単な魔法を使ってみてください」 「魔法障壁の制限に引っかかるんじゃないか?」 「引っかからない程度の弱い魔法にしてください」 フラットの言葉に頷いて了承の意を示す。 俺は感覚を研ぎ澄まして周囲を探った。 静かな書庫で、今の時間は俺とフラット以外の人間の気配はない。 ――うん、いるな。 掌を上に向け、軽く目を閉じる。頭の中で精霊語を確認、それをそのまま口に出す。 《この掌にほのかな光を》 唱え終わると同時、身体から何かが吸われる感覚があって、広げた掌全体が淡い光を帯びた。 ごくごく弱い光魔法だ。 「その光を球体にできますか?」 俺はまたも頷く。 《光よ、球となれ》 掌から光が離れ、宙で小さな球体にまとまった。 「次はその光を複数に分けて、その場でルーレットのように回転させてください」 《光の球よ、三つに分かれて回れ》 呼び出した光は俺の命令通り、三つの光球に分裂して掌の上でくるくると円を描くように踊り出す。 「結構です。――さすが、お上手ですね」 フラットが手放しで褒めてくれて、俺は少しだけ気を良くする。 魔法の手順としては、使役したい精霊が周囲にいるかどうかをまず確認。 精霊を目で見ることはできないが、何となく感じることができる。数については状況で判断も可能で、例えば水源の近くには水の精霊が多いといった具合だ。 いるな、と思ったら、その精霊に呼びかけるように、対応した精霊語で命令する。 応じてくれた精霊がこちらの魔力を吸い取った時点で、その魔法に関する契約が成立。晴れて魔法の発動というわけである。 「陛下は光の精霊と随分仲良しですね。少ない言葉でも意図を酌んで動いてくれるのは素晴らしいことです」 「仲良しとか言われるとちょっと恥ずかしい」 フラットのおだてはさておき、人間にはそれぞれ精霊適性というものがある。 俺は光の精霊と一番相性が良く、次いで雷、熱、地、火……と続き、最も相性が悪いのは闇だ。 精霊にも魔力の好みがあるらしく、相性の悪い精霊との契約はたくさんの魔力を貢がなければならなかったり、酷いと成立しなかったりすることもある。 また、命令のための精霊語も細かく説明しないと伝わらなかったりして不便が多い。 例えば今使った俺の魔法で言うと、光の精霊は《回れ》と言っただけで意図した通りに回ってくれたが、これが仮に闇の精霊だったらそれぞれの球がその場で回転を始めたり、風車のように縦に回ったりしただろう。多分《三つに分裂したらそのまま前の球の動きを追うようにして動き、水平方向に回れ》くらいのことを言わないとダメだ。 なので大抵、自分と相性の良い精霊の言語を上から三種くらい齧るのが一般的だ。 俺も王になるために幼い頃から勉強と実践を積み、相性上位の五種くらいは何とか扱えるようになった。だがそれでも十種制覇にはほど遠い。 「まぁ陛下には王気がありますから、相性下位の精霊たちと仲良くなるのもそう難しくないと思いますよ」 「王気なぁ……」 即位して初めての創樹祭で、国王が精霊王から受ける加護。それが『王気』だ。 精霊王に認められた証として、全ての精霊を少ない魔力で安定して使役することができる。 なので俺に限っては相性による消費魔力の増加を気にしなくていい。 だが精霊語による命令まで王気で省略できるものではない。使役しようにも、精霊語が喋れなければ意味がないのだ。 「私の精霊適性は陛下とほぼ正反対ですから、苦手な部分はフォローできると思います。――では、次は闇魔法をお願いします。一番ダメなやつからクリアしていけば、後々の自信になりますよ」 「ダメなやつとか言うな。……うぅ、全然分からん」 頭の中に、思い出せる限りの闇の精霊語を浮かべる。 単語レベルで、しかも文章にするには圧倒的に語彙力が足りない。それでも何とか捻り出す。 《闇よ……えーと、ここに集まれ》 先程と同じく上に向けて掲げた掌の、何故か甲の側から机に向かってほっそい影が伸びた。 まるで一本の黒い毛でも生えたかのようだ。 「これは……」 それを見てフラットが苦笑いを浮かべる。 むぐぐ、いっそ思いっきり笑ってくれた方が気が楽だというのに。 「言語自体も覚束ないですが、それ以上に魔力の受け渡しと意思疎通が問題ですね。これでは式典の文言を丸暗記したところで、上手く精霊が動いてくれるかどうか」 どうやら、光の精霊みたいに放っておいても勝手に魔力を持っていってくれるわけではないらしい。 こちらからも俺の魔力をどうぞお持ちくださいとアピールしていかなくてはならないわけか。 ……一体どうやって。 「陛下は精霊と魔力の関係について、あまりお詳しくないようですね」 疑問が顔に出ていたらしい。 勉強不足を責められているように感じて俺は無意識に肩を竦める。 「あぁ、いいんですよ。相性が悪い属性の精霊魔法は使わないのが普通ですから。いずれ王を継ぐのだからと勉強していたとしても、あまりに昔のことだと陛下はすっかり忘れちゃうでしょうしね?」 うぅ、フォローされた次の瞬間にこやかに貶された。 「改めて学びましょう。今からでも遅くないですから」 そう言って、フラットは俺の本のページを指定しながら板書を始める。 「まず『魔力』とは、生物であれば皆体内に持っている力です。『フォルス』と呼ばれる目に見えない器があって、その中に魔力が入っていると想像してくださいね」 言われて、俺は「ふぉるす」と書かれた札が貼ってある古ぼけた壺を想像した。 中をなみなみと液体が満たしている。これが魔力か。 「フォルスは私たちには見えませんが、精霊たちには分かります。相性の良い精霊の目には、フォルスはとても綺麗なグラスに、魔力はそれに注がれた芳醇なワインのように映るでしょう。当然、美味しそうだから飲みたいって思います。精霊語で命令することは、それを飲んでいいから力を貸してとお願いすることなんです」 頭の中の壺がワイングラスに変化した。 俺も勉強なんか放り出して飲みたい。 「相性の悪い精霊からだと、フォルスは薄汚れて縁が欠けたボウルに、魔力は泥水みたいに濁って見えるかもしれません。さすがにそれは飲みたくないですよね。命令されても意図がよく分からないし、いっぱいあげるからと言われたって拒否することもあるでしょう」 「なるほど、そうやって魔法が失敗したりするわけか」 相性下位の精霊に精霊語で話しかけても何の反応もないことがある。あれはそういう理由なのだろう。 フラットは頷き、続ける。 「でも、魔力は精霊にとっても原動力ですから、例えそれが一見マズそうでも飲んで損することはないはずなんです。泥水だってもしかしたらにごり酒かもしれません。つまり器の問題。フォルスを美しく見せることができれば、それだけで契約のハードルはぐんと下がります」 「……ふむ」 確かに俺たち人間だって、料理は同じでも盛り付けられた皿によって食欲が増進・減退するのはよくあることだしな。 「では、そのフォルスを美しく見せるにはどうしたらいいんだ?」 「イメージです」 何だか漠然とした答えが返ってきた。 「イメージって……美しい器を想像すればいいのか?」 「うーん、そもそもフォルスが器だというのは例えであって、目に見えないものを見目良く想像しようとしても無理ですよね。ここで言うイメージとは、強い自信と高い意識の説得力でもって、フォルスが美しいものであると精霊に錯覚させることです」 「ほーん」 俺の口から気の抜けた音が出る。 あ、今のが生返事というやつだなと自覚したのは初めてだ。慌てて言葉の内容を脳内で反芻する。 「要するに、『外見じゃなくて、中身で勝負させてくれ』と説得するということか?」 「なんかモテない男性の叫びみたいに聞こえましたが……くだいて言えば、そうです。説得と言っても言葉でするわけにはいきませんから、いかに堂々と、自分のフォルスは素晴らしいのだと振舞えるかが鍵となります。力を借りるからと言って下手に出てはなりません。精霊たちも威厳ある者に傅きたいのです」 その言葉に何となく、国王と民の関係性に通ずるものを感じ、身が引き締まる。 「そして、無数にいる精霊たちには横の繋がりがあります。錯覚による使役を繰り返していくうちに、このフォルスに入った魔力なら信用できる、という情報が周囲の同属性の精霊たちに伝播していきます。これが、精霊と仲良くなるということですね」 俺は幾度か頷いて、理解したことを示す。 光の精霊が、何の抵抗もなく俺の魔力を吸い取り、言葉少なくとも意図を酌んで力を使ってくれる理由。 それは俺のフォルスが好みであると同時に、今まで何度も使役してきて信頼関係を築けたことで俺の言葉の行間を読んでくれるからだ。 精霊たちも生きているんだなぁと、妙に感動してしまった。 逆に言えば、他の精霊とも同じことができるようにならないと式典を成功させることができない。 何せ、国民も間近で見ているのだ。 中には俺の苦手な属性が得意な者もいるだろうし、精霊が俺の言うことを聞いていなかったらすぐバレる。文言を噛んで恥ずかしいとかそういうレベルではない。 ――下手をすれば失望される。 つまり、まず確実に言語を覚え、威風堂々と使役して、各精霊に「アイツいいやつだから皆もっと力貸してやろうぜ(※裏声)」と思ってもらえるよう努力しなくてはならない。 畢竟、相性が悪いからと今まで避けてきた言語こそを積極的に使っていくしかないということだ。 ……気が重くなってきた。 「俺に、できるだろうか」 思わず吐いた弱音。フラットが珍しく拳を作って鼻息を荒くする。 「陛下の記憶が怪しい相性下位の言語については、別途教師をつけます。あと一ヶ月ちょっと、みっちり頑張っていきましょう! やればできます!」 ――なんか根性論みたいな話になってきた。 俺は手元の本を眺め、長く大きな溜め息をついた。