第3話 国王と女子の秘密

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   双子と残された秘密

 王の私室を辞してから、騎士団備蓄庫の整理や他の家臣団への報告に走り回ること数時間。空腹に泣く腹を宥めながら仕事を終え、ようやくありつけた食事は冷めていた。王を補佐する者として当然の使命ではあれど、肉体的精神的疲労はそれなりに溜まる。
「はぁ……一時はどうなることかと思いましたが、何とかなりましたね」
 扉を潜るなり、フラットはそう呟きながら溜め息をついた。独り言ではない。部屋の前で合流し、ほぼ同時に中へ入った兄に向けて放った言葉だった。
 ここは双子の自室。近衛隊長であるシャープと側近のフラットは、いつでも馳せ参じられるように王の部屋の隣を私室としていた。
「……」
 シャープは身に付けていた装具を外してそのあたりに適当に放ると、長椅子にどかっと座った。フラットの言葉に対する返事はない。会話スキルに疎い兄だからそれ自体はよくあることだが、フラットにはいつもと様子が違って見えた。
「シャープ? ……どうしました、顔色が悪いですよ」
「……ん、いや」
 問いかけの返事も歯切れが悪い。フラットは兄のためのコーヒーと自分が飲む紅茶を淹れながらゆっくり待つことにする。
 しゅんしゅんとお湯が沸く頃、シャープがぽつりとこぼした。
「夢に出そうだな、と思ってよ」
「夢?」
 問い返すも、また間。
 次の言葉が出たのは、フラットが飲み物を淹れ終わった時だった。俯いて額を押さえながら、
「偽者だって分かってても、兄貴の姿したヤツを斬るなんて二度とゴメンだ……」
 青ざめた顔で絞り出した声は、フラットの胸に鈍い痛みを残した。

 昼間の国王偽者騒動。
 妹たちの異変、偽者の出現をキーワードに、倉庫に眠っている鏡に原因の当たりをつけた。フラットはあの鏡が城内に持ち込まれた際の魔道具調査報告書の内容を覚えていたからだ。
 案の定スラーの部屋で鏡を見つけた時、その場で壊してしまおうかと一度は思った。それを躊躇したのは、偽者も一緒に消えるという確証はなかったから。壊すことで事態が悪化する可能性を考えて、せめて偽者の反応を見てから――と慎重な選択をした結果、スラーだけでなくトーンまで危険に晒す状況を作ってしまった。

「辛い役目をさせてしまい、すみません……私がもっと早く鏡を壊していれば」
 鏡本体を見せたことが刺激になって、偽者に自棄を起こさせたのも事実だ。シャープが今感じている苦痛を生んだのも自分のせいだと思うと、自然と声が湿った。
 それに気づいたのか、はっとシャープが顔を上げる。
「あ、いや、……フラットは悪くねェよ。オレの仕事だ」
 単純で不器用な慰めの言葉。思わずフラットは笑ってしまう。
「さっきの言葉、兄さんに言ってあげたら喜ぶと思いますけど」
「ヤだね」
 ローテーブルにカップを二つ並べて置き、シャープの隣に腰かけた。熱い飲み物で喉を潤しながら、二人でしばし一息つく。
「ま、今後も兄貴の偽者が出てこないって保証もねェしな。予行演習だったと思うことにしとく」
 そんな事態にはならねェことを祈るがな、と付け加えてシャープは薄く笑う。フラットもそれは同感だ。この不器用で任務に忠実な兄を、もう一度同じ理由で傷つけることなどあってはならない。
「その時は、ちゃんと一発で本物の兄さんかどうか見極めてくださいね」
「……分かってンよ」
 昼間のやりとりを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような表情でそっぽを向くシャープ。くすくす笑いながら、フラットもまた当時の喧騒に思いを馳せる。
「そういえば、ひとつだけ気になることがあるんですよね……」
「ん?」
「あの鏡の悪魔は本来肉食なんです。調査報告によると、鏡を見た者の心の中を覗いて彼の者を魅了し得る人物に変身し、心を許したところを鏡に引きずり込んで喰うという手口です。しかも、女性の方が鏡を覗く機会が多く、また恋愛絡みとなると引っかかりやすいため、好んで女性をターゲットにしていたとか」
「……はァ」
 兄の表情筋が「分からん」と訴えている。フラットは難しく話しすぎたことを胸中で反省し、言い直した。
「女性が見ると鏡に好きな人が映って、メロメロになったところを食べられちゃうんです」
「なるほど」
 要約しすぎなくらいで丁度いいのかもしれない。シャープが頷いたのを見て、フラットは先を続ける。
「必要とあらばそのまま実体化もしますから、一度に変身できるのは一人だけ。今回はスラーが狙われました。でも、その前に鏡を持ってきた張本人のレミーは何ともなかった。……これがどういうことなのか」
「鏡を覗いてない、とかか?」
「鏡の装飾に惚れ込んだのはレミーです、額だけ見て本体を見ないということは恐らくありえないでしょう。しかも、呪われた鏡と知らずに持ち出している。それなら、レミーには普通の鏡に見えていたはずです」
 ふーんと興味なさげに鼻を鳴らして、シャープは長椅子の背もたれに寄り掛かる。
「……じゃあ、好きなヤツがいないんじゃねェの」
「ソファラならあり得なくはないと思うんですけどねぇ。レミーまでそんなだと、我が家の女子はスラーが一番進んでいるということに」
「はは、ただでさえやかましいのに行き遅れられると困るな」
 シャープの発言に苦笑しながら、フラットは膝上のティーカップを覗き見た。琥珀色の水面に自分の顔が映っている。もしここに、想像もしていなかった相手の顔が現れたとしたら、一体自分はどういう反応をするだろうか。――自分でも意識していなかった恋心を暴かれてしまったとしたら。
「……あくまで私の予想、なんですけど」
 そう前置いて、フラットは言葉を紡ぐ。
「私は、レミーが嘘をついている可能性もあると思っています」
「嘘?」
「息抜きにお洒落をしたいだけなら、スラーの部屋に元々ある鏡を使えば済むんです。それでも敢えて倉庫から持っていったのは、スラーやソファラにあの鏡を見せたかったから。つまり、レミーはあれが普通の鏡ではないことを知っていたのではないかと」
 シャープが視線だけで続きを促した。
「鏡の悪魔はレミーの心を覗き見て、一度は想い人を映したんです。でもレミーは鏡の誘惑に引っかからなかったから無事だった。単に『覗くと誰かが映って話ができる鏡』として認識していたのなら、レミーの行動原理も理解できます」
「てコトは……アレか。アイツ好きなヤツいんのか」
「予想が正しければ、の話ですけどね。気になりますか?」
 フラットはにこやかな笑みを浮かべて兄に問う。もしこの話をトーンにしたならば、レミーの恋人が挨拶に来る未来のことまで勝手に想像しながら慌てるだろう。
「別に」
 対して、シャープの反応はそっけないものだった。
「おや、淡白ですねぇ」
「相手が誰だろうがオレの知ったこっちゃねェよ。……気になるとしたら、どうやって偽者の誘惑を跳ね除けたのかってところだな。方法知ってンなら、スラーにも教えてやりゃよかったんだ」
「それは――」
 レミーが呪いにかからなかった理由。それはスラーが解いた時のことを考えれば自ずと答えは出る。

「――偽者は本物ではない、ということだと思いますよ」

 その言葉に、シャープが思いっきりしかめっ面を作る。
「は? 何言ってンだ、当たり前だろそんなこと」
「ふふ、そうですね。すみません」
 詳しく説明するのも野暮だと考えて素直に謝ったところで、コンコンと小さな音が聞こえた。隣室の扉をノックする音だ。
「あぁ、スラーが兄さんの部屋に来ましたね」
 やがて扉が開き、一言二言会話らしき声が聞こえてから再び閉まった。
 周囲を巻き込みはしたものの、スラーは無事に本物の想い人の隣で温もりを感じながら眠る権利を得たのだ。その幼い胸に抱く気持ちが憧れや尊敬からくるものなのか、はたまた恋なのか、それは鏡の悪魔にしか分からないが。

「禍を転じて福と為す、ですかね」
「終わり良ければ全て良し、とも言うな」

 敬愛する兄と健気な少女に幸福で安穏な眠りが訪れることを祈りながら、双子はお互いに笑い合うのだった。

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