第3話 国王と女子の秘密

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 騎士団と料理長に騒がせた旨を詫び、さすがにあの暴食鏡が食べたものが元に戻るなどという都合のいいことは起きなかったので、国費から速やかな食料の補填を約束してその場は解散とした。この件の全ての責は俺が負う、俺の判断によって適切な処分を下す、と宣言して大臣を黙らせ、弟妹たちを連れて私室に戻ってきた。
 窓から見える夕焼けが美しい。俺は長椅子に腰かけて、目の前で執り行われている家庭裁判の様子をボーッと眺めていた。
「あんな鏡だったなんて、知らなかったの……」
 俺の向かいに並んで座っている、レミー、ソファラ、スラー。三人とも意気消沈した様子でうなだれている。
「レミー、あの倉庫には危険な魔道具もたくさんあるからむやみに入ってはいけない、と申し伝えておいたはずでしょう?」
 向かいの長椅子の周囲をゆっくり歩きながら、フラットが呆れた声で尋問する。ごめんなさい、と消え入るような声で呟くレミー。
「知らなかった、じゃ済まされねェこともあるんだぜ。馬鹿かてめェは」
「……! なによ、シャープだって知らずにお兄ちゃん宙吊りにしたくせに」
「宙吊りにゃしてねェよ、胸倉掴んだだけだ」
「ひどいことしたのは同じでしょ!」
「やめなさい、二人とも」
 何故か始まってしまったシャープとレミーの兄妹喧嘩をぴしゃりと収めて、フラットはコホンと一つ咳払いをする。
「ここ一週間ほど、貴方たちの様子がおかしかったのはそれが原因ですね。詳しく説明してください」
 うん、と覚悟を決めたような表情で、レミーが話し始めた。
「わたしが鏡の装飾に一目惚れして、こっそり外に持ち出したのが始まりなの。スラーの勉強の息抜きに、ソファラと三人でオシャレでもして楽しめたらなって」
 曰く、見た目はごく普通の鏡だったという。それを部屋に持っていきスラーが覗き込んだ途端、映ったスラーの顔がみるみるうちに俺に変化し、突然喋り始めたらしい。
「最初はものすごく驚いたけど……鏡の中のお兄ちゃんは何だか気さくで、いつ覗き込んでも話し相手になってくれたから、わたしたちも楽しくなってきちゃって」
「アタシ、鏡がトーンにぃの部屋に繋がってて直接喋ってんだとしばらく本気で思ってたよ」 
 ソファラの能天気な発言はさておき、レミーと最後に兄妹らしい会話をしたのはいつだったかと、それを頑張って思い出さねばならないほど昔のことになっていて俺は愕然とする。女子の難しい年頃と、俺の即位が重なってバタバタしていて――というのは言い訳にしかならない。レミーは強がりだから、寂しいなどとは口が裂けても言わないだろう。
 そしてそれは、ソファラとスラーも同じだ。父王がいない今、俺が父親代わりであるべきだったのに。皮肉にも鏡の悪魔が彼女らの心の隙間を埋めたことになって、悔しさと己の至らなさに拳を握りしめる。
「わたしたちだけの秘密ってことにして、鏡は一番違和感のないスラーの部屋に置いてもらってたんだけど……一昨日部屋に行ったら、迎えてくれたスラーの横に実物のお兄ちゃんがいたの」
 ただ、レミーは直前に廊下を歩いている俺を見ていたため、すぐ偽者だと気づいたという。
「その頃からかな、スラーの様子がおかしくなったのは。ずーっとお兄ちゃんにべったりで勉強もほとんどしなくなっちゃったし、ものすごく楽しそうなのに表情が乏しくて、なんだかお人形さんになったみたいだった」
 当のスラーは俯いたまま、ただ黙って聞いている。
「それで今日、お兄ちゃんがお腹すいたって言うから、手料理を作ってあげようってことになったの。料理長に頼んでこっそり厨房を使わせてもらって……出来は良くなかったけど、美味い美味いって食べてくれた」
「その後『もっとないのか』って言うからさ、追加で作るためにアタシたちが部屋を留守にしてた間に……逃げられちゃったんだ」
 そのソファラの説明から、騎士団備蓄庫襲撃事件に繋がるようだ。初めて外の食べ物を口にして感動した鏡の悪魔は、食事への欲求が抑えられなくなって暴挙に走った、というところか。
 レミーは、自らのスカートをぎゅっと握りしめた。その手は少し震えている。
「……もっと早い段階でフラットに報告すれば良かったのよ。わたしのせいでスラーがおかしくなっちゃって、怖くなって言い出せなくて。全部わたしのせい。本当にごめ――」
「違います!」
 レミーの謝罪を遮るように叫んだのは、今まで一言も発していなかったスラーだった。
「レミー姉さまもソファラ姉さまも、スラーのために一生懸命やってくれたのです! 一番悪いのは、スラーなのです……」
 言葉の勢いは徐々になくなっていき、語尾は涙声になっていた。俺はフラットに目配せし、軽く頷く。
「ゆっくりでいい。話してくれるか、スラー」
 なるべく優しく声をかけると、鼻をすする音の後、はい、と小さな返事が聞こえた。
「そもそもレミー姉さまが鏡を持ってきてくれたのは、スラーを元気づけるためだったのです。ホームシック、っていうんでしょうか。最近何だかとてもさみしくて」
 スラーはそう言った後、もちろんレミーやソファラと一緒にいるのは楽しい、と慌てて付け加えた。ただ心の何かが満たされていなかったのだ、と。
「鏡を覗き込んだらトーン兄さまが映って、スラーとお話ししてくれて……トーン兄さまはお忙しいから、すごく、嬉しかった。スラーが喜んだから、レミー姉さまたちも秘密に付き合ってくれたんです」
 瞳に涙を溜めながらも、幸せそうに笑うスラー。……本人の口から直接聞くと、胸に深く突き刺さるな。
「鏡の中のトーン兄さまと話しているうちに、スラーはよくばりさんになってしまいました。『鏡の中から出てきてほしい』ってお願いしたんです。そうしたら本当に出てきてくれて……夢のようでした。スラーがトーン兄さまを独り占めできる、って思ってしまったんです」
 重い溜め息をこぼして、尚もスラーは語る。
「トーン兄さまは優しい言葉をたくさんかけてくれて。他の人に見つからないようにして城の中を一緒にお散歩するのも楽しかった。スラーの頭は嬉しくてボーッとしていました。実は、さっき本物のトーン兄さまが助けにきてくださった時より前のことは、あんまり記憶にないのです……一度だけ、誰かをすっごく怒らせてしまって逃げたことは覚えているのですが」
「……そういうことだったんだ」
 ふと声がして、室内の視線がその出どころに集まる。ベッドで寝ていたヘオンが身体を起こしたところだった。据わった眼差しで、枕元の眼鏡を手探りしながら、
「おかしいと思ったんだよ。二日前から魔法障壁維持のための魔法陣を遠隔操作で修復してたけど、直したらまた別のところが動かなくなってさ。動力室に、そこの姫が忍び込んで壊してたんだね」
「スラーが壊したわけじゃない、俺の偽者が――」
「一緒にいたからこそ、顔パスだったんでしょ。案内したのは事実だし、どっちが壊そうと関係ないよ。……僕としたことが、直接確かめもしないなんて迂闊だった」
 不機嫌そうに、見つけた眼鏡を装着する。
「なかなか結界が消えないから、僕が修復してることに気づいて、仮眠するところを襲ってきたのも姫たちだね。二日も僕の貴重な時間を無駄にしてくれて、どうしてくれようか」
 今度は氷こそ出さないものの、底冷えのする眼差しで少女を睨みつけるヘオン。
「うぅ……ごめん、なさ……!」
 萎縮したスラーは大きな瞳を潤ませてガタガタと震えている。俺は嘆息して立ち上がり、ヘオンのいるベッドへ近づいた。
「ヘオン、迷惑をかけたことは詫びよう。だが私刑は禁ずる。お前の悪いようにはしないから、ここはひとつ矛を収めてくれないだろうか」
「へぇ、僕の胸がすくような魅力的な提案が長兄にできるっていうの?」
 口角を上げながら、睨む対象を俺へと変更する。小馬鹿にしたような物言いは彼の標準装備なので慣れている。俺は顔を近づけてこそっと耳打ちした。
「国の蔵書庫、二日間独占権」
 ヘオンが目を見開く。若干嬉しそうに頬を染めて咳払いなどしながら、
「……分かったよ、長兄がそこまで言うなら」
 と、意外にあっさり折れてくれた。持つべきものは餌だな。フラットに聞こえていたらしく、また勝手なことを、とでも言いたげな溜め息をつかれたが、起こり得る被害に比べたら些細なものだ。
 俺は長椅子に戻り、改めて三人に向かい合う。皆一様に眉尻を下げ、まるでこれから断頭台に上らされるかのような表情で俺の沙汰を待っていた。
 今回の事件は大元を辿れば、俺が構ってやれなくて寂しい思いをさせてしまっていたのが原因だ。しかもよりによって国王である俺の偽者だったことで、城の者も暴挙を咎めることができなかった。そして、あのような鏡をいつまでも処分せず倉庫に放り込んでおいたのも俺。――つまり、全面的に俺が悪い。弟妹たちの前でなければ、恐らくフラットの尋問にかけられていたのはこちらの方だろう。
 そんな俺に、罰を与える権利などあるはずがない。それでも敢えて断罪するならば。
「レミー、ソファラ」
「はい」
 二人が揃って返事をし、姿勢を正す。
「お前たちは、しかるべき時に上への報告を怠ったことにより被害を大きくした。よって、各上長より反省と自戒のための指導を受けてもらう。……シャープ、フラット、頼んだぞ」
「了解」
「かしこまりました」
 短い返事でも、双子な兄たちの含みのある笑みは妹二人を大いに震え上がらせた。それを見たスラーも、自分にはどんな罰が待ち受けているのだろうかと想像したらしく身体を固くしている。
「そして、スラー」
「は、はいっ」
 裏返った返事は緊張からくるものだ。俺は苦笑して、スラーの瞳を覗き込んだ。

「言いたいことがあったら遠慮なく言うこと」

「……え?」
 呆然と、スラー。
「それだけ、ですか?」
「あぁ。それだけだ」
 俺は頷く。腑に落ちない声を上げたのはヘオンだ。
「……ちょっと甘すぎるんじゃないの?」
「スラーは我慢しすぎるから、これくらいでちょうどいいんだ」
 肩を竦めてそれに応え、俺は改めてスラーに向き直る。
「俺は今やることがたくさんあって、スラーが悩んでいても気づいてやることができんのだ。スラーが何か困ったことがあってそれを伝えてきてくれたら、一緒に考えることができる。力になれることもきっと見つかるだろう。――俺のためにも、頼む」
 最後まで呆然と聞いていたスラーだったが、隣で魂が半分抜けかけているレミーとソファラ、そして俺を交互に見、俯いて遠慮がちに呟く。
「あ、あの……本当に、スラーだけそんなご褒美みたいな罰でいいんでしょうか。一番悪い子だったのはスラーなのに」
 殊勝な言葉が飛んできたので、この子は心底真面目だな、と感心しながら受け止める。
「そう思うなら、今この場でひとつ言ってみるといい。意外に罰になっているかもしれんぞ」
「え……えーっと」
 スラーはオロオロと視線をさまよわせながら必死に考え始めた。時折何かを言おうと口をパクパクしたりしていたが、結局それは形になっては出てこなかった。
「すみません、うまく言えなくて。確かにこれは罰なのです……」
 溜め息をついて、しゅん、としてしまったスラー。
「スラー、耳貸して」
 そこに近づいたのはシドだった。スラーの脇にしゃがんで、何やらコソコソと耳打ちしている。
「えっ、そんなこと……!」
「いいからいいから。言ってみないと分からないよ?」
 離れ際、シドはポンと優しくスラーの肩を叩いた。スラーはしばらくシドと俺の様子を窺うようにしていたが、やがて胸の前で手を握りしめると、戸惑いながらも口を開いた。

「……えっと、今度、トーン兄さまと一緒に眠ってみたいです……だめですか?」
「俺と?」

 俺は目を見開く。確かに今まで同室で就寝したことはない。が、齢九歳ということを考えると確かにまだ親と一緒に寝ていてもおかしくないだろう。ましてや、物心つかぬ頃に祖国を追われた身、不安と寂しさで眠れぬ夜を過ごしたことも何度もあろう。
 上目遣いの自信なさげな表情。こんなささやかな願いでも、俺の安眠を妨げることになってしまうのではと無駄に気を遣うところがスラーらしいとも言えた。これは父親代理としての名誉挽回のチャンスかもしれない。
「こんな子供みたいなお願い、ご迷惑ですよね……あの、ほんとに無理なら――」
「いや、構わん」
「えっ?」
 俺は驚くスラーの目をじっと見て、言った。
「たまに一緒に寝るくらい、お安い御用だ。では今夜、寝支度が済んだらまたここに来るといい」
 スラーの表情がみるみるうちに、ぱぁっと太陽のように輝き出す。
「あ、ありがとうございます! 嬉しい……!」
 頬を押さえて感激しているスラーに、シドが良かったねと声をかけている。他の弟妹たちもまた、微笑ましくそれを見守っていた。
 俺は室内に広がる温かな空気を肌で感じ、幸せを噛みしめた。愛する家族たちに疑われた時に刺さった胸の楔が、雪解けのようにすうっと消えてなくなっていくのが分かる。俺の皆への愛が一方通行でないと、今回の事件は証明してくれたのだ。
「皆、今日はご苦労だった。兄弟が一堂に会する機会はそうないから名残惜しいが……そろそろ夕餉だ、ひとまず解散としよう」

 こうして、一連の騒動は幕を閉じた。

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