第3話 国王と女子の秘密
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さらに裏庭を歩いていた時、捜索に出ていた騎士の一人が駆け寄ってきた。曰く、調理場の地下の食料保管庫から怪しげな声が聞こえるとのこと。
急いで向かいながら、考える。今までの偽者の行動を見れば、この行き先は妥当だなと思う。奴の胃袋は穴の空いたザルのように次々と食料を飲み込んできた。城下町に降りられないのなら、あと大量に食べられそうな場所は王宮の調理場くらいのものだろう。
俺は騎士に召集をかけ、いつでも捕縛できるよう準備しておいてもらった。シャープとシドを連れて地下への階段を下りると、扉の前には料理長が困り果てた顔で佇んでいた。
「こ、これは、国王陛下!?」
俺の姿に気づいた彼は慌てふためいて背筋を伸ばした。楽にしていい、と声をかけると、俺の顔をまじまじと見た後、再び眉尻を下げて溜め息をつく。
「話は聞いている。この中だな?」
「は、はい。ですが……ああっ」
シャープに扉を開けるよう指示した途端、料理長が情けない悲鳴をあげたので、訝しく思って振り返る。
「どうした? 何かまずいことでもあるのか?」
「いえっ、そういうわけでは! ……うぅ、参ったなぁ」
口では否定しても、態度がそう言っていない。どうにも煮え切らない料理長に痺れを切らしたのはシャープだった。
「オイ、この国で一番偉い人間に言えねェことって何なんだ、あ?」
「ひぃっ、すすすすみません!」
料理長は文字通り飛び上がって身を竦ませた。王弟殿下という肩書を持ち武装までしている騎士団の長に、こんなガラ悪く脅しつけられたら誰でもそうなるに決まっている。俺は少しだけ彼に同情した。
視線を右に左にさまよわせながら、料理長は震える手を押さえつけて話し始めた。
「く、口止めをされておりましたので、ご報告が遅れて申し訳ございません……中には、その」
またも口ごもった料理長は、肉食獣のような鋭い視線に射抜かれて泡を食う。
「お、お腹を押さえた陛下と……レミー様、ソファラ様、スラー姫様がおられますっ!」
「何だと……!?」
名前の羅列を聞いて俺は戦慄した。――フラットの懸念は当たっていたのだ。やはりこの事件には妹たちが濃密に関わっている。人質に取られているのなら、一刻も早く助け出さねばならない。
シドの言った通り、奴は腹を下しているようだ。突入するなら今だと判断し、シャープに目配せする。弟はひとつ頷くと、蹴破るように激しく扉を開いた。
「きゃあっ!」
中から女性特有の甲高い悲鳴が響く。食材を鮮度良く保管するためひんやりとした空気の地下室、その一角に愛すべき妹たちの姿を見つける。そしてその中心に――
『……うぅぅ……』
呻きながらうずくまっている、俺がいた。
「シャープ……と、お兄ちゃん!?」
レミーが青ざめた顔でこちらを向いた。その表情は今にも泣き出しそうだ。助けに来てくれたことへの感動というよりは、見つかってしまったことへの恐怖の方が近そうだが。
「あっ、トーンにぃ! 大変なんだ、トーンにぃがハラを壊して動けなくなって……? あれ?」
ソファラは俺を見るなり勢い込んで報告してきたが、自分の発言の矛盾に今更首を傾げている。ここまでの騒ぎにしておいて、そこにいるのが偽者だと知らなかったなんてことはあるのだろうか。さすがはシャープの部下である。褒めてない。
そして偽者の俺にぴったりと寄り添って看病しているのは、妹たちよりもひと回り小さな背中――亡国の姫君、スラーだった。
「トーン兄さま……大丈夫ですか、トーン兄さま……」
偽者の腹をさすってやりながら、虚ろな目でうわごとのように繰り返している。さらには周囲に黒い靄がかかっているように見える。これは明らかに様子がおかしい。
「レミー、ソファラ。事情は後で聞く。スラーを連れてそいつから離れるんだ」
俺の言葉に一瞬びくっと肩を震わせた二人だったが、慌ててコクコクと頷いた。
「スラー、本物のお兄ちゃんが来てくれたよ。早くあっちに行こう」
「……ほん、ものの……?」
レミーの呼びかけに反応するスラー。油をさしていないブリキ人形のようにぎこちなく振り向かせた頭、そこに貼りついた表情はまるで生気がない。それでも、俺を見た瞬間少しだけ瞳に光が戻ったような気がした――のだが。
『騙されるな、スラー……あれが偽者、本物は俺だ』
俺が声をかけるより先にスラーの華奢な肩を掴んだのは、偽者の俺だった。折角こちらを向いてくれたスラーがまた奴に視線を戻してしまう。
『スラー、よく聞いてくれ……あの偽者が、俺の食べ物に毒を盛ったのだ。王は二人要らない、と。この国は悪い偽者によって乗っ取られようとしている……』
「そんな……ひどい」
冗談を真に受けるにしては感情のこもり過ぎた応答を、スラーはした。完全に、奴に心酔している。
俺は言葉が出てこなかった。俺が紛れもなく本物で、偽者の言葉より信憑性のある説得をすることなどいくらでもできるはずだ。だが、そのための材料が思いつかない。俺が本物だと証明するに足る言葉を紡ぐことができない。俺が何かを言ったせいで彼女が余計混乱するかと思うと、尚更言えなかった。
――いや多分、それよりも、ショックだったのだ。ここにきて、弟妹たちと同じように愛してきたスラーにまで信じてもらえないことが。
「ダメよスラー、思い出して! わたしたちはずっと――」
『余計なことを喋るな!』
急に偽者が声を荒らげたかと思うと、ものすごい勢いで腕を振り払った。それは目に見えない剣を振ったかのような衝撃を持って、説得を試みたレミーとそれを庇ったソファラに正面からぶつかった。
「きゃあぁ!」
「うわぁっ!」
二人は吹っ飛ばされて近くの棚に打ちつけられた。上から落ちてきた果物や野菜の下敷きになる。
「姉貴、ソファラ!」
シドが、埋もれた二人を助け出そうと咄嗟に駆け出す。それを横目で見ながら、俺は湧き上がる怒りを隠せないでいた。
二人はすぐに動いたので大した怪我はなさそうだが、奴が腹を壊しているからこの程度で済んだのかもしれない。本調子だったらどんな被害が出ていたかと思うとゾッとする。
「……貴様、よくも俺の大事な妹たちを!」
そんな俺の怒気に対し、偽者は嘲笑うように鼻を鳴らした。
『そうやって臣下の影に隠れながら言う台詞ほど、滑稽なものはないな、偽者よ』
俺はぐっと言葉に詰まる。――が、同時に少し冷静にもなれた。
シャープは自分の宣言通り、偽者の言動にほだされることなくずっと俺を護るように立っていた。近衛隊長という立場の彼にとって当然のことだが、それは俺が後ろから言い放題していいという理由にはなるまい。
「シャープ、済まないが下がってくれ」
「ンでだよ」
明らかに不満そうな物言いに思わず苦笑してしまう。
「いい。奴の言う通り、対話はきちんと向かい合ってするものだ」
小さく舌打ちしながら、渋々といった様子でシャープは背後に控えた。
そして俺は一歩前に歩み出る。――腹は括った。
「さて、俺の城で随分好き放題やってくれたようだな」
『何を言う、ここは俺の城だ。俺が何をしようと咎める者はいないだろう』
偽者はのそりと身体を起こしてやれやれと呟いた。見れば見るほど細部まで俺だ。これでは寝ぼけていたヘオンや直接話す機会の少ない騎士たちは間違うだろう。こうして自分自身と話すというのは何だか変な気分だな。
「咎める者は確かにいないかもしれん。……だが、悲しむ者は必ずいる」
スラーの目が、一瞬見開かれる。
「俺は、俺のすることで不必要に誰かを悲しませたりはしたくない。――何故なら、この国にいる皆を愛しているからだ。家族だからだ」
周囲が静かだ。ここにいる誰もが、俺の言葉に耳を傾けているのが分かる。偽者は、忌々しそうに顔を歪めた。
「俺がこの国を統べる王だ。いくら真似ようと、何人たりとも俺の代わりにはなり得ない」
目を閉じ、一呼吸置いて再び目を開けた。睨み据えて、告げる。
「大事な家族を傷つけた罪は重いぞ、偽者よ。――覚悟はいいか」
ぎり、と歯噛みする音。
「最後に申し開きがあるならば聞く」
俺の言葉に、偽者は憎らしげな視線を向けながら背後の壁へとじりじり引き下がる。呆然とこちらを見ていたスラーの手を取り、俺へではなく、彼女へ向けて哀願し始めた。
『なぁ、スラー……完全に罠にはめられてしまったが、俺が本物なんだ、信じてくれ! 君が望むなら、俺と二人でこの国を出よう。しがらみから解き放たれて、二人で慎ましく暮らそう。……君も苦しんでいただろう、この国には居場所がない、と』
「……!」
他人から聞かされるスラーの心情は衝撃的だった。不自由な思いをさせてきたつもりはないが、他国で一方的に世話になっているという状況は思いのほか精神的負担になっていたのかもしれない。奴がでまかせを言っていると信じたい心に、肯定も否定もしないスラーの表情が不安を煽る。
偽者は、さらに続けた。
『君が来た時から、俺には分かっていた。君の、本当の心の叫びが。……今なら応えてやれる。王を信じぬ国など要らん、俺と共に逃げ――』
「……ません」
その時、小さく――だが確かな存在感を持って、スラーが声を発した。
「スラーは……スラーは、トーン兄さまがこの国を誰よりも愛していらっしゃることを知っています」
その声は徐々に大きく、そして瞳の輝きは比例するように増していく。
「間違っても、要らないなんて、言わない!」
偽者の手を振り払って叫んだ時、一瞬スラーの身体が光ったかと思うと、周囲を覆う黒い靄が一気に晴れた。
『……うおおああぁぁっ!!』
同時に苦悶の悲鳴をあげた偽者の身体から、今度は白い光のような靄が噴き出してきた。
『な、何という……ここまで来て俺の呪いが解けてしまうなんて!』
全員が目を見張る中、偽者はよろよろと悶えながら掌で顔を覆う。
『あと少しで、結界が消えて外に出られるはずだったのに……!』
「結界――魔法障壁のことですか。あれも貴方の仕業だったのですね」
声に気づいて振り返ると、背後にフラットが立っていた。静かな口調だが怒りを内包している。
「陛下、遅くなってしまい申し訳ありません。恐らく原因はこちらです」
その手には、一抱えほどもある鏡があった。
世の女性が好みそうな繊細な装飾が施されている、一見どこにでもありそうな鏡だ。だが不思議なことに、俺に向けられても何も映っていなかった。というか正確には、室内の様子