第3話 国王と女子の秘密

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 この国では割と有名な話だが、俺は兄弟たちを愛している。溺愛と言ってもいい。
 すぐ下の弟が双子で産まれたのは、俺が六歳の時だった。あまりの愛おしさに感動して、世話をする母にべったりだったことを覚えている。手伝えることは何でもやった。乳が出ないのが悔しかったくらいだ。
 その後も弟妹たちはどんどん産まれた。もちろん子沢山は両親の意向だろうが、俺が「もっと兄弟がほしい!」とお願いし続けたのも決して無関係ではないだろう。よく考えたら凄い無茶振りだな。
 そして、彼らがいくつになっても、実際に目の中に入れる勢いで可愛いと思っている。さすがにあまりしつこくすると嫌がられるので大人の距離感を保ってはいるが、時折無性に恋しくなって、幼い頃の彼らの写真を眺めては悦に入るのだ。ちょっと前まではそれで夜更かしして翌日に支障が出ていたが、最近は執務の合間に見ることにしている。
俺の至福のひとときである。



「最近、あの子たちが何か企んでいるようなんですよ」
 平穏な午後。執務もひと段落ついたのでいつものように写真世界に入ろうとした時だった。ご相談が、と言うので私室に招き入れたフラットは開口一番溜め息と共に切り出した。
「兄さんは何かご存じではありませんか?」
「いや初耳だし、ご存じも何もないぞ」
 というか話の詳細も聞いていないのにいきなり何か知らないかと言われてもな。いつも穏やかなあのフラットが焦っているのだろうか。珍しい。
 俺はいつも飲んでいるハーブティーを淹れて出してやる。
「あっ、す、すみません。兄さん手ずから」
「構わん。それより詳しく聞かせてくれ」
 はい、と居住まいを正すフラット。
「三人とも日常生活が上の空というか……何か別のことに夢中になっているようで、勉学や執務に身が入っていないのです。私が廊下などでふと出くわしますと、慌てたように逃げていくことも何度かありましたし」
「三人とも、か? スラーも?」
「ええ。あの真面目な子が、意外でしょう?」
 だから困っているのだと言わんばかりに二度目の溜め息をつく。
「レミーは朝の礼拝に必ずといっていいほど遅刻しますし、ソファラも入って二週間の研修生に訓練で打ち負かされたとシャープが怒っていました」
「それは……何というか、由々しき事態だな」
 俺は長椅子の背もたれに身体を預け、腕を組んで唸った。

 ムジーク王国は、俺――トーン=スコア=ムジークが治める南の小国だ。
 父王の代に、内乱で瓦解した友好国フェルマータの末姫・スラーを引き取って、それからずっと王宮で面倒を見ている。今年で九歳になるが真面目で勤勉で淑やかで慎ましく、母国がなくなっても健気に振舞う姿がいじらしい。
 そんなスラーの教育係兼・護衛兼・話し相手として付き従っているのが、俺の妹であるレミー=ムジークとソファラ=ムジークだ。女子には王位継承権がないため、王妹とはいえ一般国民と同様の職務に就いている。二十一歳のレミーは王立修道院のシスター、十六歳のソファラは騎士団員で、それぞれフラットとシャープの部下にあたる。

「何をしているかを探るのは、俺よりお前の方が得意なんじゃないのか?」
「確かに兄さんは隠密とか向いてないですものね」
 にべもない返答に若干カチンとくるが、俺から言ったことだし事実なので仕方がない。
「でも、偵察に最適な私の可愛いコウモリちゃんたちが現在休眠中なんです。起こすわけにはいかないですし」
 フラットが使い魔にしているコウモリは指先ほどのサイズしかなく、人の体に忍ばせて監視させることができる。以前俺も知らぬ間にくっつけられたことがある。
「まぁ、本人たちがやるべきことをやらずに後悔する分には、社会勉強にもなりますから別に構わないのですけどね。幸い他人への実害は出ていないようですから」
「ふむ……」
 軽い世間話の様相を呈してきたその時、扉が勢いよく開いた。

「あーのーさぁぁぁ……」

 王の私室の扉をそんな乱暴に扱える人間は数えるほどしかいない。その人物はノブを掴んだままゆらぁりとそこに立っていた。俯いていて表情は分からないが、ところどころ跳ねた水色の短髪と低い声音から恐らく寝起きで、しかも極めて機嫌が悪いであろうと推測できる。
「ど……どうしたヘオン」
 俺は若干及び腰で声をかけた。怒りの矢面に立ちたくはないが、俺の部屋を訪ねられた以上無視するわけにもいくまい。

 ヘオン=ムジーク、二十六歳。言わずもがな、俺の三番目の弟である。ムジーク家の男子だが王位にそもそも興味がなかったらしく継承権は早々に放棄した。普段は王立魔法研究所で王宮の設備管理や魔法による国防の指揮を執っている。普段は冷静沈着――というか冷酷なほどクールな男で、このように感情をむき出しにすることは滅多にない。これは相当ヤバイ。

 彼は力なく扉にもたれかかりながら顔を上げた。眼鏡を通したまなざしは暗鬱で、色濃いクマが瞼を縁取っている。
「王宮の魔法障壁が一部生成できなくなったって言うから僕は二徹して調整してるのに、それを頼んだ長兄が僕の邪魔をしてくるってどういうことさ……」
「は?」
 まったく身に覚えがなくて、俺の口から間抜けな音が飛び出た。正確には、仕事を頼んだ覚えはあるのだが邪魔した覚えは一切ない。
「僕には少しの仮眠も許されないってわけ? 人権は保障されないの? ただでさえ研究に支障が出てるのに、これ以上邪魔するつもりならいくら長兄でも許さないよ……」
「い、いや待て、何かの間違いではないのか? 確かにこの二日間お前の様子を見に行けなかったのは悪かったと思っているが――」
「何でそんな堂々とした嘘つけるの?」
「はぇ?」
 さっきよりもっと変な音が出た。
「僕が仮眠取ろうとした瞬間、大声で何か叫びながら乱入してきたでしょ!?」
 だん! と扉に拳を叩きつけて、ヘオンが叫ぶ。フラットが確認の眼差しを向けてくるが、俺はぶんぶんと首を横に振って否定した。
 本当に事実無根である。ヘオンが睡眠を妨げられてすぐここに来たのだとしたら、俺はフラットと話をしていたのだし、その前も執務室で仕事をしていた。途中侍女を呼んで紅茶を替えてもらったし、アリバイはある。
 それらを説明しようとする前に、扉から冷気が漂ってくることに気づいた。いつの間にか、ヘオンの周囲にキラキラと氷の粒が舞っている。
「!? こらヘオン、王宮内で魔法を使うなといつも言ってるだろう!」
 俺の制止も聞かず、明らかに冷静さを失っているヘオンは胡乱な目でこちらを睨む。
「そんな説教僕には関係ないね……もう逃げ場はないから覚悟してよ」
「だから、俺はこの二日間お前のところには行ってないんだって!」
「しらばっくれるのもいい加減に――……っ」
 氷魔法が発動する寸前、ヘオンは急に四肢の力が抜けてその場に崩れ落ちた。はっとして隣を見ると、フラットが片手を翳して立っていた。
「すみません、私も王宮内で使ってしまいました」
 苦笑しながら申し訳なさそうに言うフラット。どうやらヘオンを先に催眠魔法で眠らせたらしい。知らぬ間に額に滲んでいた汗が冷気で冷やされるのを感じながら、俺はホッと一息つく。
「い……いや、非常事態だったからな、助かった。――それより」
 俺は扉に駆け寄り、倒れているヘオンを抱き上げた。異常を察知して飛んできた近衛兵を下がらせて、そのまま自分のベッドに運ぶ。ヘオンは元々寝不足だったこともあってか、死んだように深い眠りについていた。
「……実害、出てましたねぇ」
 フラットがぼそっと呟く。
「どういうことだ?」
「あの子たちの仕業ですよ……恐らく、ね」
 呆れたような溜め息をひとつ。俺が頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、フラットはヘオンの髪を撫でて言った。

「ヘオンから詳しい話を聞ける状況でなかったのが残念ですが……王宮内に、兄さんがもう一人いるようです」
「そんな馬鹿な」

 否定の言葉が間髪入れず口をついて出た。俺がもう一人いるなど、にわかには信じがたい。ドッペルゲンガーとかいうやつか?
「とにかく調べに行くしかないでしょうね。……面倒なことになっていなければ良いのですが」
 フラットもそれ以上は確信があるわけではないらしく、苦い表情で俯いた。
 面倒なこと――フラットが危惧しているのは、国王である俺の偽者が王宮を徘徊することによって起きる予想外の事件や事故だろう。なんか重要な書類に勝手にサインしたとか、曲がり角でぶつかって来賓に怪我させたとか。そして、(あずか)り知らないことで責任を負わされるのは、本物である俺だ。――あぁ、確かに面倒臭い。
「……仕方ないな、行くか」
「はい」
 ヘオンはしばらく目を覚まさないだろう。俺はフラットを伴い、王宮内へと繰り出した。

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