第2話 国王と黄金色の寧日
王様の仕事って何? とたまに聞かれることがある。 市井の子供の純粋無垢な疑問だったり、宮廷内での嫌味だったりと、その意図は様々ではあるがまぁそこはどうでもいい。騎士団長や修道院長などと違って想像しにくいのは確かだからな。 一国を預かっている身として、責任は重大であることは間違いない。 恐らく最大の仕事と呼べるのは世継ぎを作ることなのだろうが――残念ながら俺はまだそれが可能な領域に達していない。見合いの話も度々舞い込んでくるものの、なかなか実を結ばないのは己が不甲斐ないせいだと自覚はしている。 政治に関しては、俺などより余程優秀な家臣たちが動いてくれているので、ほとんど考えることはないと言っていい。せいぜい最終的な判断をして書類にサインしまくる程度だ。 あとは……そうだな、城下を視察したり、他国との外交の場に出たり、貴族の接待に応じたり。くだけて言えば、散歩と井戸端会議というところか。これも基本的に護衛や随伴がしっかりしているから俺のやることはあまりない。 ……何だか情けなくなってきた。 国王というのは玉座に居るだけで良い、というのは先王である父の言だ。そこに存在するだけで、国民に秩序と安寧をもたらすのだと。息災であれ、と。 その言葉に胡坐をかいて本当に何もしないわけにはいかないが、何をすべきかもまだよく分かっていないのが現状だ。何せ父から国を継いでまだ数年。共に引き継いだ臣下たちのおかげで変わらず回せているが、国王としての仕事はほぼ手探り状態なのだ。 迷いながら、まずは自分にできることをがむしゃらに頑張っているところである。 「ふー、終わった終わった」 最後の書類にペンを走らせ、羽をインク壺に突っ込むと俺は大きく伸びをした。凝り固まった肩に血液がめぐり、あくびをひとつすれば鈍った脳に酸素が行き渡る。 書類の束をまとめて決裁済ボックスに放り込み、ポットから紅茶をカップに注いで一口。うん、冷めてる。それだけ長時間集中していたということだろう。 わざわざ呼び鈴を鳴らして新しい紅茶を淹れさせる時間も惜しくて、俺はそれを一気に飲み干した。喉が渇いていたのだ、はしたないと言われようが気にしない。というか自室に俺以外いないのだから気にする必要もない。ちなみにコーヒーより紅茶派である。 立ち上がり、大窓を開けてバルコニーに出る。爽やかな風が吹き抜けていき、俺の金髪とマントを揺らした。国中のいろんな空気を運んできた風をめいっぱい吸い込むのは実に心地良い。 ふと、その空気の中に知った香りが混じっていることに気づく。 「そうか……もうそんな季節か」 俺は顔が綻びるのを感じ、足は自然と中庭へ向けて歩き出した。 ムジーク王国の秋は長い。 というより、冬が極端に短いので相対的に長く感じるだけなのだが、とにかく過ごしやすい気候が長いのはそこで暮らす者にとってありがたいことには変わりない。 俺は中庭の門を潜り、レンガで舗装された道を歩きながら、匂いを頼りに目的地へと進む。 「あれ、陛下」 声がして横を見ると、土で汚れた顔を見せて笑う者がいた。 「シド、精が出るな。――あぁ、俺に構わず続けてくれ」 作業をやめて立とうとするのを、軽く手を上げて制する。シドは少し照れた様子で再び仕事に戻っていった。 シド=ムジーク。俺の末弟で、齢十八の柔和な若者である。深緑の髪色に違わずとにかく土いじりが大好きで、王家の血筋でありながら宮廷庭師として働いてくれている。国の耕作地管理も彼の管轄だ。 「陛下の御前でお目汚しすみません」 恐縮して言う彼に、俺は首を横に振る。 「何を言う、その汚れはこの美しい庭を守る勲章ではないか、もっと胸を張れ。……あと、敬語だとお兄ちゃん寂しいからやめて」 「いっつも敬語の誰かさんが近くにいるじゃん」 「フラットか、あいつは生まれた時から敬語だからいいんだ」 「なんだよそれ」 シドの屈託ない笑い方はまだ少年っぽさが残る。俺もつられてわははと笑った。 「いつもの、見に来たんだろ?」 「うむ。執務室まで匂いが届いたのでな」 頷き、視線を巡らせる。求めた光景は目の前に広がっていた。 ――クロス・コスモス。 十字架のような黄色の四枚と、その間を埋める橙色の四枚、計八枚の花弁から成るムジーク王国特有の秋の花だ。フルーティな香りは香油やポプリとして人気が高く、経済を支える一助となっている。温室栽培もしているので通年お目にかかれる花ではあるのだが、やはり屋外で堂々と咲くこの時期は国中が甘い香りに包まれるのだ。 それは整えられた花壇の中で、美しさを競うように咲き誇っていた。 俺は花に顔を近づけて息を吸い込む。その香りは鼻腔を刺激して、脳に心地よい幸福感をもたらした。 「あぁ……いい香りだ。心が和むな」 「今年は特に、黄色と橙の色差が綺麗に出てるよ。日照と雨のバランスが良かったからかな。農作物の収穫も上々で嬉しい」 シドが言葉通り嬉しそうに語ってくれた。クロス・コスモスが美しく咲いた年は、自然の恵みを十分に受け取れる合図でもある。国のシンボルマークはこの花を模していて、豊年満作を祈願したものだという。 「豊作の報告は俺の耳にも届いているぞ。お前はよくやってくれているようだ、礼を言おう」 「やめてよ。好きでやってるだけなんだから」 謙遜する弟が何だか大きく見える。簡単に言っているが、若き身で背負った責任に押し潰されそうになった日もあっただろうに。褒められて得意げになっていた幼少の頃を思い出してちょっぴりノスタルジックな気分になった。 「……季節が巡るのは早いものだ」 ホントだね、とシド。結局作業を中断してくれて、軍手を脱ぎながら立ち上がる。 「お前も大きくなるわけだな」 俺は苦笑しながら、隣に立つ弟を見上げる。いつの間にか追い越された身長も、抜かれるのが三人目ともなると悔しさにも慣れてしまった。男は身長が全てではない。心の大きさが物をいうのだ! 決してヤケになってなどいない! きょとんとしていたシドだったが、すぐににっこりと笑って言った。 「トーン兄貴は、おれから見たらいつでもでっかいよ」 その言葉があまりに唐突でストレートに突き刺さったので、俺は動揺してあらぬ方を向きながら腕組みする。 「そ、それはそうだろう。兄というのは常に弟妹たちから尊敬されるべき存在だからな」 「うーん、そういうんじゃなくてさ」 俺の照れ隠しはあっさり否定された。さっきのヤケクソな心の声がだだ漏れだったか。 シドは、クロス・コスモスの花を慈しむように撫でる。 「兄貴が国王として立っててくれるから、おれは余計なことを気にせず存分に土いじりができるんだよ」 父と、同じ言葉。 末の弟からも聞かされるとは思ってもいなかった。俺が何の反応もできずにいると、シドはさらに重ねる。 「どーんと玉座に座って国を守ってくれてる。それだけで、他の兄貴や姉貴たちもみんな、安心して自分のやりたいことをやれてると思うんだ」 風が吹いて、二重十字の花弁も一斉に頷いたように見えた。 「そういう……ものだろうか?」 口から出た言葉が思いのほか弱気な声音になってしまって内心少し慌てる。シドがそれに気づいたのかは分からないが、しゃがんで花壇から手際よく花を手折っていく。 「クロス・コスモスの花言葉って、知ってる?」 「……いや、知らないな」 「平和と安定、だよ」 瞬く間に小さな花束ができた。それを手に再び立ち上がったシドが、俺の目をまっすぐに見る。 「花を愛でる心の余裕と、この花――平和を愛する気持ちがあるなら、兄貴は大丈夫だ」 「……!」 国王として何かを成さねばという焦りが見透かされていたのだろうか。シドの言葉は俺の心に優しく染み渡っていった。思わず鼻の奥がツンとして、弟の前で泣くわけにはいかないという小さな矜持がそれを留める。――が。 「花が綺麗に咲くのも、農作物が採れて国民の生活が潤うのも、きっと兄貴のおかげ。いつもおれたちを守ってくれて、ありがとう」 そんなことを言いながら花束を手渡してくるものだから。 「……馬鹿お前……泣かせることをするんじゃない……!」 先程まで頑張ってせき止めていた矜持の壁があっけなく決壊した。片手で目元を覆っても隠し切れない雫が頬を伝っていく。 シドは驚いた様子で、しどろもどろに話しかけてきた。 「うわっ、ちょ、ごめんって……まさかトーン兄貴がおれの前で泣くとか、そんな」 「いや……こちらこそすまん、格好悪いところを見せたな」 ぐす、と鼻をすすりながら何とか平静を装う。シドもしばらくオロオロしていたが、俺が落ち着きを取り戻すにつれてホッとした表情になっていった。 お互いの変化が面白くて、顔を見合わせて同時に噴き出す。 「兄貴も泣いたりするんだな。ちょっと嬉しい」 「嬉しいって何だ。……くれぐれも、他の兄弟たちには内緒だぞ」 「えー、どうしよっかなー」 「くそっ、完全に弱味を握られた……!」 弟の記憶を消せない悔しさに歯噛みしつつ、俺は手元の花束を見た。黄色と橙の花は黄金色の夕日と同調している。地面から離れても美しさは変わらないが、すぐ花瓶に活けてやらなければ。 執務室に飾れば、香りが今日の言葉を思い起こさせてくれるに違いない。恥ずかしい記憶も同時に蘇るだろうが――それでも、とても幸せなことだと思った。 「ありがとう、シド。これでまた頑張れる」 「うん」 シドが満足そうに微笑む。 二人並んで、可憐な花と同じ色の空を見上げた。 夜、クロス・コスモスのフレーバーティーを淹れて、早めの就寝を心に誓う。何せ健康第一だからな!