第1話 国王と臣下の間柄
2 「気が進まんなぁ」 俺はダラけきった態度で返事をした。 「真面目にお聞きくださいませ、トーン様」 当然ながら、相手からは不満そうな声が上がる。 さすがにオヤツ抜きは精神衛生上良くないので昨晩は早めに床に就き、今日の朝議は何とかキリッとした顔を保てたのだが、反動で解散後は夏のシロクマのようにどこもかしこも弛緩しきっていた。そんな時に話しかけられたのだから仕方がない。 「今日は御身体の調子が良いとお見受けしましたので、この機会に是非お話をと思いましたのに」 婉曲な嫌味を混ぜ込みながら、目の前の女性はしなを作ってみせる。彼女も朝議での俺の居眠りにヤキモキしていた一人なのだろう。 「そう言われてもなぁヴェラ。俺まだ三十四だし、親父から国を継いで間もないから正直それどころではないのだが」 ヴェラは、俺の父である先王の従兄の嫁の妹、つまり遠い親戚である。が、まだ幼かった俺たち兄弟の世話役として入城して以来、現在も召使いたちの筆頭的な地位で動いてくれている。 「何を仰います。『まだ』ではなく『もう』でございますわよ。ムジーク国王は妃も娶れない軟弱者、と他国に謗られてもよろしいのですか?」 「言わせておけばいい。大体、年齢のことを言うなら俺ももうお前に面倒見てもらう歳ではないし、そんな縁結びの世話焼きおばちゃんみたいな真似せんでも」 「ぅおばちゃんん!?」 あ、ヤバイ。なんか逆鱗に触れた。ヴェラの顔色がみるみるうちに赤く染まっていく。 「あたくしはこの国とトーン様のためを思って申し上げているのに、おばちゃん呼ばわりとは聞き捨てなりませんわ!」 急に声を荒らげたヴェラに、会議室を出ようとしていた数名が立ち止まり驚いた表情でこちらを見ている。 年齢的にも立場的にも『おばちゃん』で相違ないはずだが、レディに向かってあけすけすぎたかもしれない。反省した俺は謝罪を試みる。 「いや、すまん、あのな、」 「いいでしょう。では『世話焼きおばちゃん』の名にかけて、あたくしが腕によりをかけてお見合いをセッティングしてみせますから、実現した暁には必ずお会いになってくださいませ!」 ヤケクソ、とはこういう状態のことを言うのだろう。まったく聞く耳を持たないヴェラは叫ぶように言い切った後、肩を怒らせながらズシズシと早歩きで会議室を出ていった――かと思いきや、 「必ずですよ!」 もう一度顔を出して俺に念を押すと、今度こそ部屋の外へと消えていったのだった。 嵐が去り、残っていた参加者も退出して、周囲が一気に静かになる。 「……結婚、なぁ」 頭の後ろで指を組み、ボソリと呟いたところで、背後からクスッと笑い声が聞こえた。フラットだ。 「どうしたんです、陛下らしくもない。以前なら女性を紹介してくれる話には何でも目の色変えて飛びついていたというのに」 「人聞きの悪いことを言うな。あれはその、若気の至りというやつだ。……カ、カノジョの一人や二人、作っておいた方が良い人生経験になると思ってだな」 「今は、必要ないと?」 「そういうわけでは、ないのだが……」 何気ない質問に、俺は言葉を詰まらせる。心の内を上手く表現出来ずにしばらく沈黙してしまったのだが、フラットは特に続きを催促することもせず、苦笑しながら溜息をついた。 「しかし、ヴェラさんは手強そうですねぇ。何だか強引に縁談を成立させちゃいそうな勢いがありましたよ」 「うむ……相手の女性も強引に連れてこられてるパターンが目に浮かぶな」 「それならそれで、お断りしやすいんですけどね。もちろん、陛下のお眼鏡に適う女性でしたらその限りではありませんが」 クスクスと笑うフラット。何だか冷やかされている気分になって、俺は渋面を作る。 「お前は、兄が他の女に取られてしまってもいいと言うのか?」 「はい、むしろそうあるべきです」 即答されてお兄ちゃんちょっと凹んだ。 「私たちにとっても義姉になるわけですから、兄さんがご自分の意思で選んだ方でしたら歓迎しますよ。――ね、シャープ?」 「……オレに振ンなよ」 近くの扉の向こうから、仏頂面のシャープが姿を現す。 「なんだシャープ、いたのか」 「入らせてもらえねェから、部屋の護衛を交代した。オレはアンタの結婚なんかより、訓練所使えるかどうかの方が大事なんだけどよ」 「しつっこいなお前も! だったら反省文の一枚くらい持ってこんかい!」 へーい、とやる気のない返事をしてから、シャープは何故かニヤッと笑った。 「……でもまァ、ちょっと面白そうだよな」 「ふふ、貴方もそう思いますか」 フラットも同調して、意味深な笑みを浮かべる。彼らは俺の見合いを楽しげなパーティーか何かと勘違いしているのだろうか。 朝からドッと疲れて、俺はフラフラと会議室を後にした。 見合いが実現する日は、さほど遠くなかった。 場違いなほどキラキラに飾り付けられた貴賓室に、元に戻すのが大変そうだなぁなどと安直な感想を抱く。やたら濃い化粧で鼻息荒く対面しているヴェラの隣で、ただひたすら恐縮している女性が俺の見合い相手だった。 名をファレといい、何とヴェラの実の娘だという。まだ十九歳だそうだ。ぴちぴちだ。 「……まさか身内を連れてくるとは思わなかったぞ、ヴェラ」 「身内ではいけないという決まりはありませんわ。遠縁ですが、血の繋がりはございませんしね」 俺は呆れながら伝えたのだが、ヴェラは意に介さないようだった。 「親のあたくしが言うのも何ですが、ファレは気立てが良くて料理上手、細かいところにもよく気がついて、陛下のお側に置くにはもってこいですわ。しかもご覧くださいこの豊満な胸」 「ちょっと、お母様っ……!」 顔を真っ赤にし、暴走する母親のドレスの袖を一生懸命引っ張って止めようとするファレ。ただし小声すぎてヴェラの耳には素通りされている。……ふむ、確かに胸は大きい。 「直接お話しして人となりを知っていただければ、きっとお気に召すと思いますの。ささ、あとは若いお二人だけで、中庭でも散策なさってはいかが? 東屋にお茶をご用意しておきますわ」 通り一遍の雛形台詞を言い終えて、ヴェラは満足そうに立ち上がる。俺も続いて席を立ち、移動しかけたところで、背後に控えていたフラットがこそっと耳打ちしてきた。 「若い女性と二人きりになりますけど、手を出しては駄目ですよ。陛下が女性に触れていいのは、許可がある時と緊急事態の時のみですからね」 「……わ、分かっている」 襟元やマントを整えてもらいながら返事をすると、緊張が伝わってしまったのか、フラットは優しく微笑んだ。 「変に下心を出さず、いつも通り自然体で振る舞っていただければ大丈夫。どう転んだとしても、後のフォローはいたしますから」 ぽん、と背中を押され、頷く。 「頼むぞ。――では、行ってくる」 俺はファレを伴って、中庭へと向かった。