第1話 国王と臣下の間柄

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 城の中庭はそれなりの広さがあるが、人払いされているのか俺たち以外の人影は見当たらなかった。色とりどりの花が咲き乱れる花壇の間を、特に会話もなくゆっくりと歩く。俺の後ろを数歩遅れてファレが付いてきていた。
 中央の噴水まで歩いたところで、近くのベンチに座るよう促す。遠慮がちに腰かけたファレは、捨てられた子猫のように震えていた。無理もない、『だらけきった放蕩王』で有名な俺でも、国王という肩書きはそれだけで一般庶民を畏怖させる威力がある。
 こちらから言葉をかけてやるべきだが、しかし適当な言葉が見つからない。隣に座ったものの、気まずい無言の時間が流れる。

 が、意外にも沈黙を破ったのはファレの方だった。

「あ、あの……母が申し訳ありません。昔から、思い込んだら一直線なところがありまして。国王陛下には大変ご無礼をいたしました」
 深々と頭を下げ、謝罪する。彼女が悪いわけではないのだが、律儀だな。
「構わん。ヴェラの性格は俺もよく知っているからな。俺が言うことを聞かないとすぐ癇癪を起こすから、対ヴェラ専用の処世術を身に付けた」
「処世術?」
 俺の言に、ファレが目を丸くする。
「言うことは聞くだけ聞いて、最終的に無視する」
「まぁ……ふふっ、正しいご判断かもしれません」
 少し会話をして緊張がほぐれたのか、ファレはやっと笑顔を見せてくれた。
「だから、お前もこの見合いが不本意なのであれば無理する必要はない。適当に茶を濁して解散しよう」
「ふ、不本意だなんてそんな! 身に余る光栄にございます」
 俺の提案は、激しく首を振って否定される。彼女は無理やり駆り出されたわけではないのか。
「本気か? 歳の差結構あるぞ」
「確かにわたしは若輩者です。でも、国王陛下のお役に立ちたい気持ちは人一倍あります! 陛下はこんな年下はお嫌いですか?」
 先程までの委縮しきった子猫と同一人物とは思えないほど、上目遣いで迫ってくるファレ。わざとなのか、腕で寄せた胸元が殊更強調されて目のやり場に困る。……参ったな、ガチ見合いなのかコレ。
「嫌いではない、むしろ好きだ。――っとと、そうではなくて」
 うっかり本音が出てしまったが、ここから先は慎重にいくべきだろう。

「……お前のその気持ちが国民としての忠義心からくるのなら、やめておいた方がいい」

「何故ですか?」
「忠義心は、結婚という形でなくても昇華出来るからだ。愛のない婚姻生活は辛いだけだぞ。お前はまだ十九なのだ、今後もっと素敵な出会いがあるかもしれない」
 俺の言葉に、ぎゅっとドレスを握りしめて俯くファレ。しばらくそうしていたが、やがて顔を上げた時、大きな瞳には涙が溜まっていた。
「……陛下は、わたしを愛してはくださらないのですか……?」
 絞り出すような声に、俺は泡を食う。慰めようと手を取ろうとして、フラットの言葉を思い出し何とか直前で留めた。
「そうは言っていない。……が、愛する自信があるわけでもない」
 先日、フラットには言い出せなかった結婚に対する気持ち。まだ自分の中でもまとまってはいなかったが、説得を焦る心が勝手に言葉を紡がせる。
「俺は即位してから年月が浅い。覚えることはまだまだたくさんあるし、喫緊の課題も山積みだ。そんな状態で妃を迎えても、満足に相手をしてやれるのはいつになるか分からん。――確かに側で支えてくれる存在はありがたいが、一方的に支えられるのでは駄目だと思うのだ……」
 言いながら、何か違うと思った。今、妃を娶ることに対する後ろめたさが俺の中にあるのは確かだが、こんな表面的な話ではないような気もする。
 黙って聞いていたファレは、指先で涙を拭うと、決意を込めた目で俺を見た。

「わたしは大丈夫です。寂しいのも耐えてみせます。陛下の疲れだって癒します。……この身体で」
「!?」

 元々露出の高かった胸元をさらにはだけさせ、ゆっくりと近づいてくる。この急展開、俺の思考は周回遅れでついていけてない。手を出すわけにはいかん、でもこれは許可が出ていると思っていいのか? 違うのか? いや駄目だろうどう考えても。
「ちょ、ちょっと待てファレ! 俺はまだ――」
 うろたえる俺の唇に、彼女は人差し指を当て、
「陛下の妻になると決めた時から、わたしは自分の身体に磨きをかけてきました。もちろん、他の殿方にもお見せしたことはありません。……今の側近の方では、陛下も物足りないのでは?」
 齢十九とは思えない色気でさらに接近してくる。
「ファレ……」
 まずい、このままでは触れてしまう。見合い当日にこんなことになったら、もう後には引けない!
 ファレはうるんだ瞳で俺の首に抱きつくように腕を回してきて――俺は咄嗟に彼女の右手首を掴んだ。

「……何の真似だ」
 低く問う。細い指先には小さな針。

「だって……陛下がちっとも積極的になってくださらないから、ちょっとした媚薬を」
 俺の目を覗き込んでクスクスと笑うファレは無邪気だった。まるでイタズラがバレてしまった時の子供のような。俺は一気に不信感を募らせる。
「冗談ならば笑えんな。薬に頼らんでも、もう少し上手いやり方があるだろう」
「そうですね、思ったより敏くていらっしゃったのでびっくりしました。下の噂なんてアテにならないわ。……腕が痛いので、そろそろ離していただけませんか?」
「あ……あぁ、すまん」
 言われて気づき、掴んでいた手首を慌てて離した。強く握りすぎたのか、白い肌が赤くなってしまっている。刹那――

「きゃあああああああっ!!」

 突然ファレが耳を劈く長い悲鳴を発して、俺は心臓が飛び出るほど驚いた。そのまま彼女は地面に倒れ込む。一体何が起こった?
 人払いしているとはいえ、悲鳴などが聞こえれば別だ。城内で仕事をしていた使用人たちが、何だ何だと廊下や窓から顔を出す。そんな中で真っ先に駆け寄ってきたのは、この先の東屋で茶の用意をすると言っていたヴェラだった。
「ファレ! どうしたのです!」
 ヴェラが倒れた娘の身体を抱きかかえると、ファレは今にも泣き出しそうな顔で訴えた。

「へ……陛下が、強引にわたしの身体を!」
「いっ!?」

 血の気が引く感覚は久し振りだった。十二歳にもなって母に寝小便がバレた時以来。だが今回はあの時のような罪悪感はない、だって事実無根だもの!
 ファレが震えながら掲げた手首には、くっきりと俺の手の跡が残っている。それを見たヴェラは顔色を変えた。
「トーン様! いくらファレが魅力的だったからといって、いきなり襲い掛かるような真似をなさるなんて! はしたないと思わないのですか!?」
「誤解だヴェラ、落ち着け!」
「いいえ、この痛々しい跡が何よりの証拠ですわ! いくらトーン様といえど、やっていいことと悪いことがございます、相応の責任はとっていただきますわ。――誰か!」
 ヴェラが叫ぶと、どこからともなく騎士団の連中がやってきて俺たちの周囲を取り囲んだ。筆頭には団長であるシャープの姿。
 非常にまずい。ただでさえ俺が訓練所の使用許可を出さないものだから(これについてはシャープが悪いのだと再三主張しておくが)、狭い裏庭で訓練するハメになっている騎士たちのフラストレーションは許容ゲージを振り切っているに違いない。しかも騎士道精神とやらに悖るこの状況、主君である俺の味方をしてくれるかどうかも怪しい。
 騎士団の頼もしい円陣を満足げに見やって、ヴェラが朗々と宣言する。
「国王陛下は、か弱き女性を力づくで我が物にしようとなされました。正しき道を知る者たちよ、この場の悪を取り押さえなさい!」
「くっ……」
 ここで『この女の狂言だ』と主張しても、女性に罪を擦りつける卑怯者というレッテルを貼られるだけだろう。俺は何も反論出来ずに唇を噛む。
「了解、マム」
 シャープが前に歩み出て、俺にとって絶望的な一言を口にした。ふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべるヴェラと、シャープの合図でザッと包囲網を縮める騎士団。――その中心で。

「ちょいと調子に乗りすぎたな」

 ぶん、という低い風切り音と共に煌めく銀色の刃。
「んなっ……!?」
 同時に起きた短い悲鳴は驚愕を露わにする。ハルバードの斧先が、ヴェラの喉元を狙い澄ましていた。
「な……なに、を……」
「おっと動くなよ。いくらオレでも、娘の目の前で母親を殺したくはねェからな」
 武器を片手で構えたまま、しゅぼ、とタバコに火をつけるシャープ。ヴェラの額から流れ落ちる冷や汗と対照的に、紫煙はゆったりと空へ昇っていく。
「強姦未遂だぁ? コイツにそんな度胸がありゃ、はなっから見合いなんて面倒なコトする必要ねェんだよ」
シャープは母娘を見下ろしながら、心底呆れたようにボヤく。……何だろう、この、信じてもらえてるのにこき下ろされてる感。
 目を見開いて硬直していたファレが、我に返って母を庇うように声をあげた。
「で、でも、わたし本当に……! 見てください、この腕の跡! 服だって乱されて――」

「無駄ですよ」

 背後から静かな声がして、俺は振り返る。いつの間にか、優しい笑みをたたえたフラットが立っていた。騎士たちの円陣が割れ、俺の傍に歩み寄る。
「ぜ~んぶ、知ってますからね」
「おわっ!?」
 フラットはおもむろに俺の襟元に手を入れると、何かを取り出した。指先に乗る程度の、小さな小さな生き物。
「私のペットのコウモリちゃんです。この子が一部始終を見聞きし中継して、私に伝えてくれました」
「お、おまっ、いつの間に……」
「ふふ、すみません。陛下が何も知らずに誤って潰してしまわないかだけが唯一の心配でした」
 フラットはコウモリを慈しむように撫でる。入れたのは庭に出る前か。大人しくしていたとはいえ、こんなところに生き物がいて気づかんものなのだなぁと、思わず自身の首筋の感覚を確かめた。
「シャープ、ファレさんの指先かベンチの側、もしくは衣服の中に針があるはずですので、回収を。それと東屋のお茶はそのまま成分分析に回してください。――お砂糖もミルクも入れる前なのに、何故かかき混ぜる音がしましたから」
「あいよ」
 フラットの指示に、シャープが短く応えて騎士たちを動かす。取り押さえられたヴェラとファレは、鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。
「な、なんたること……あたくしの計画が……! トーン様、今までの恩を仇で返すおつもりですか!?」
 口角泡を飛ばしながら叫ぶヴェラ。その姿が哀れに見えて、俺は首を横に振る。
「言葉を返すようだが、失望しているのは俺の方だ。見え透いた小細工などしなければ、この縁が成立していた可能性もあっただろうに」
 ううっ、と悔しそうに唇を噛んでヴェラは俯き、怒りを引き継ぐかのようにファレが喚き立てる。
「男女二人きりの時間を覗き見するなんて信じられない! プライバシーの侵害だわ!」
 フラットが、その言葉を聞いて表情から笑みを消した。
「大事な国王陛下を、素性の知れない女と完全に二人きりにすると思いますか? 馬鹿も休み休み言いなさいな」
 軽蔑するような眼差しで冷たく言い放つ。ファレは一瞬怯んだものの、やはり若さ故か、さらに突っかかってきた。
「何よ、嫉妬? わたしの方がよっぽど側仕えに相応しいわ! あんたなんかぺったんこのクセに!」
「は?」
 俺とフラットは意味を酌みかねて、思わず顔を見合わせる。すると、隣で聞いていたシャープが腹を抱えて笑い出した。
「ちょ、そういうオチかよ!」
 発言したファレまでもが頭上に疑問符を浮かべている。シャープはひとしきり笑った後、フラットの肩に腕を回して、言った。

「コイツは、オレの双子の弟。ぺったんこで当たり前なの。お分かり?」

 そして、ぺんぺん、と掌で平べったい胸を叩いてみせる。ファレはその言動の意味を理解する前に、騎士たちに連行されていく。
「――……男ぉ!?」
 だいぶ遠くへ行ったところで、裏返った叫び声が中庭にこだました。

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