第1話 国王と臣下の間柄
1 俺は今、猛烈に悩んでいる。 仮にも一国一城の主なのである。……あぁ、成人男子がマイホームを構えた時に言いがちな感じのニュアンスではなく、そのまんまの意味で、職業で言うと『王様』というヤツである。つまり、この国で一番偉いのである。 なのに。なのにだ。 「いい加減に訓練所の使用許可出せよてめェ、こちとら狭っ苦しい裏庭に押し込まれて身体が鈍ってンだよ。イザって時どうなっても知らねェぞ?」 などというヤクザまがいの脅迫と、 「はぁ……どうして陛下はいつも朝議に集中なさらないんですか。昨夜も夜更かししたんでしょう、知ってますよ私。参加者に頭を下げるこちらの身にもなってくださいよまったく」 などという姑舅のようなネチネチ小言に、両方向から責められているこの状況は一体何なのだ。 い、一応、王の矜持を保つために反論でもしてみるか。 「いいかシャープよ。訓練所は暮れの交流餅つき大会で、臼ごと床を破壊した誰かさんのせいで修理に二ヶ月かかったのだ。それを反省するまでは、騎士団に使用許可を出すわけにはいかん」 「杵は壊れなかったんだからいいじゃねェか」 「そういう問題かっ!! ってか全然反省してないなお前! びっくりしたぞ!」 あの時四方八方に飛び散った餅が、城下から参加していた長老の口に飛び込んだせいで、あわや暴動に繋がりかねない事態だった暮れの大騒動。何故か無傷だった杵は後に『奇跡の杵』と名付けられ、戦の神として騎士たちに祀り上げられているとか何とか。――まぁそんな話はどうでもいいか。 その騒動の犯人がこの男、ムジーク王国騎士団長および王直属近衛騎士隊長のシャープ=リード=ムジークである。自慢の腕力で愛用の重量級ハルバードをブン回し、敵をバッタバッタとなぎ倒す姿は勇壮であるが、いかんせん脳味噌の筋肉化が末期だ。 痛む頭を押さえつつ、俺はもう一方の人間に向き直る。 「フラットよ。俺だって会議が退屈で寝ているわけではない。連日連夜地味な仕事に追われ、寝る間も惜しんで作業しているのだ。平和極まりない今日、朝議の議事録を二、三すっ飛ばしたところで国の運営に特に影響はないだろう」 「影響があるかないかで言ったら、確かにないですけど」 「……断言されるのも何か悲しい」 「私は、ピシッとした空気の中で家臣が一日の気合いを入れるべき朝議の場で、主たる貴方がダラリとなさる姿を見るのが情けないのですよ。分かりますか?『あぁまたか』みたいなあの諦めムード! 皆の溜息が聞こえていないのは陛下だけなんですからね!」 「うぅ……そんなに怒ったら綺麗な顔が台無しだぞ」 おべっか使っても無駄です、と大袈裟な溜息をついたのは、王立修道院の院長兼、俺の側近を務めるフラット=ネウマ=ムジークだ。華奢な容姿で、普段は物腰柔らかく俺にも優しいのだが、若干オカン気質でたまにこういう説教が飛んでくる。 「今日だってなんですか、ヨダレが机上でムジーク王国周辺地図を象ってましたよ! ご丁寧に近海の小島まで再現なされて! 書記官がスケッチしてましたが、まぎれもなくただの複製地図が出来上がりました!」 ばん! と政務机に叩きつけられたイラスト。覗き込んだシャープが盛大に噴き出す。フラットはそれを睨みつけて、さらに続けた。 「シャープ、笑っている場合じゃありませんよ。貴方が先程まで掛け合っていた訓練所の件、使っていないなら城下のちびっ子武道クラブに無料開放しようなんて話がその朝議で出ているんです。この人が寝ぼけて首を縦に振ろうものなら、あっという間に訓練所は子供たちのものですよ」 「ぁンだと!? オイ、聞いてねェぞそんなコト!」 同じく、ばり! と机を両腕で叩き、シャープが俺に迫る。さっきと音が違うのは、天板に張られたガラスが蜘蛛の巣状に割れたからだ。 「お、お前はやらかした例の一件で朝議の謹慎くらってるからだろうが! だから殴らないでくださいお願いします」 うっかり語尾が懇願口調になってしまったが、防衛本能が成せる業だ、仕方ないだろう。 「だってよぉ、あのジィサン七十超えてンだろ? オレがやんなくても遅かれ早かれノドに詰まらせてたって」 「だからそういう問題じゃないっつーに! 不謹慎すぎるぞ!」 相変わらず反省の色が見られないシャープに全力で突っ込む。ここは俺の執務室だからいいものの、誰かに聞かれでもしたらどうするんだ。 話がズレてきたのを戻すかのように、フラットがわざとらしい咳払いをひとつ。 「ともかく。深夜までかかる雑務はほどほどになさってください。……それがたとえ、我々の幼い頃の写真を眺めることだとしても、です」 ぎくっ。 「気持ち悪っ」 嫌そうに両腕を抱き竦めるポーズを取ったシャープを見て、俺は反射的に立ち上がる。 「気持ち悪いことなどあるか! お前たちが生まれた時、幼心に『俺が守ってやらなければ』と思ったものだぞ、そしてその気持ちは今も変わっていない! 一日の終わりにアルバムを開くことは、俺にとって絶対必要な癒しのひとときなのだ! その大切な時間を取り上げる権利など、いくらお前たちであっても与えるつもりはないっ!!」 一気にそこまで言い切ったせいで酸素不足に陥り、肩で息をする。 そんな俺の様子をポカンとした表情で見ていた二人だったが――やがてお互い顔を見合わせて苦笑し、揃って俺の肩に手を置いた。 「それほどまでに可愛~い弟の頼みなんだから、訓練所の使用許可くれェ出せるよな?」 ニヤリと笑って、シャープ。 「明日の朝議も居眠りするようなら、一週間オヤツ抜きですよ、兄さん」 これ以上ない笑顔で、フラット。 用件を伝え終えてスッキリした様子の二人が部屋を出ていく後ろ姿を見つめながら、俺は改めて浮き彫りになった問題と直面せざるを得なかった。 ムジーク王国君主、トーン=スコア=ムジーク。目下の悩みは、臣下たちからイマイチ敬意を感じられないことと――俺の愛情が空回りしているということ。 あぁ、何故いつもこうなるのだ!